先日、とある中国語の小説を翻訳していたところ、現実に基づいているのかそれともフィクションなのか分からない描写があり、身近な中国人に相談するまでになりました。
 その作品では現代中国ではもう当たり前のシステムがキーになっているですが、その執筆時期が今からたった数年前なのに、システムに抜け穴がありすぎるのではという点が気になりました。当時のシステムは現在と比べたら当然不完全や不徹底な部分もあったかと思いますが、作品に登場するほどの欠陥があったことが想像できず、作者の勘違いの可能性も考えました。しかしネットで少し調べたところ、数年前はまだそのシステムの過渡期であり、まだまだ問題が散見していたこともあって、その調整や改善のために現在と比べて一時的にシステムが劣化していた時期もあったので、そういった欠陥があっても不思議ではないという結論になりました。
 自分も北京でそのシステムの変遷を経験しているはずなのに、なぜその描写に違和感を覚えたのかと言うと、現在の整備されたシステムの中に身を置いているからで、たかだか数年前のことがすっかり遠い昔の話のようにしか聞こえません。

 北京での対新型コロナ生活も2カ月以上を数えたいま、各企業や店舗は順次営業を再開して、地下鉄が人で込み合うことも珍しくなくなり、普段どおりの生活が戻りつつあります。とは言え、外出時はマスクをし、ビルやデパートなどの入り口で体温を測り、人と一定の距離を取り合うという「マナー」は今後しばらく続くでしょうし、コロナが終息したら生活が元通りになるわけではないでしょう。
「ポスト・コロナ」の中国では、すでにマスクが不要になっているかもしれませんが、ビルの入り口では相変わらず警備員が入場者を念入りにチェックし、部外者を入れさせない措置が取られるかもしれません。中国で新型コロナウイルスの勢いがそこそこ落ち着いたいま、セキュリティ面が今後の中国ミステリーにどう影響を与えるのかがますます気になっています。「ポスト・コロナ」基準で過去の作品に接してしまって、「この犯人はなんで誰からも見咎められず、やすやすとマンション内に入れているんだ?」という疑問も生じるでしょう。また、携帯電話と同じ理由で、ウイルスがない土地を求めて孤島や山奥が作品の舞台に選ばれることもあり得るわけで、作家たちには思う存分今の時期を題材にした作品を書いてもらいたいです。

 

 さて、今回はとある関連性から、2月に出た日常ミステリー『春日之書』(春の日の書)と、5月に出る予定のSFミステリー『逆時偵査組』(タイムリープ調査チーム)の2作を紹介します。

■『春日之書』 著:陸燁華

 コーヒー専門雑誌をつくる編集者の張悠悠は、担当しているコラムの執筆者が急病になり、このままでは誌面に穴を空けてしまいかねないと焦っている。だが、締め切りまでもう時間がないというところに、差出人不明の原稿が届く。内容は短編のミステリー小説で、同じ部屋に侵入した泥棒2人が殺し合う寸前という中途半端なところで終わっていた。同僚の江月に読ませたところ、悪くはないということなので、それを載せることに。以降彼女のもとには毎週、作者不明で作品同士に関連性が見えない短編ミステリーが届く。そしてコーヒー専門雑誌にミステリーを載せた張悠悠の社内での評判は高まり、次期編集長を期待されるようになる。だが張悠悠の周囲の人間は差出人も意図も不明な投稿に不安を覚え、また作品内の事件が現実の事件とわずかにリンクしているように見えることにも疑念を抱く。投稿者の目的は一体なんなのか。

 同じ部屋に侵入した泥棒同士の殺し合い、目隠しをしたまま遊ぶ少女たち、同窓会で推理される旧友の殺害疑惑など、作品ごとの関連性が見えず、オチも弱く、全体的に掴みどころがない変な原稿が届く、というのが大まかな内容です。これらの作品が誰によって何のために書かれたのか、そして各作品に込められた意味を探ることが焦点なのですが、最後の種明かしが今ひとつ納得いかない終わり方になっていて、もう一度読むことで作品内には直接描かれなかった真相にたどり着くという構成になっています。また、現代中国の女性をめぐる労働意識などの問題提起も隠れたテーマになっているようで、社会批判というよりも女性への応援メッセージが込められた結構珍しい内容の作品でした。

 

■『逆時偵査組』 著:張小猫

これはまだ読めていないので、発表されているあらすじのみ紹介。

 刑事の路天峰は、同じ1日を5回繰り返せるタイムリープ能力を持っており、その能力を利用し、事件が起こる前に戻ってあらかじめ捜査を行い、事件を次々に解決していく。ある日、正体不明の容疑者による殺人予告の出現によって、自分と同じ能力を持つ者が他にもいることを悟る

 チームということは超能力を持つ集団なのか、SFミステリーならサイエンス要素はどう絡んでくるのか、あらすじだけではいまいち内容が掴めません。
 作者の張小猫はTVバラエティ番組の脚本家としても有名なので、おそらく視覚重視の派手めなストーリーにしてくると思いますが、もしかしたらすでにドラマ化などを視野にいれているのかもしれません。

 

 実はこの陸燁華と張小猫の2人は、それぞれ中国ミステリー小説賞の主催者であります。前者は他の中国ミステリー小説家らと共に長編小説を対象にした「QED推理小説賞」を、後者は中編小説を対象にした「中国原創推理星火賞」を創設して、どちらも今年が第1回目の締め切りになっています。
 これに短編小説を対象にした「華斯比推理小説賞」を加えると、長中短編ミステリーを網羅したことになります。中でも期待できるのは出版レーベル・99読書人と共催する「QED推理小説賞」です。長編小説という一番商業化しやすい作品を複数の作家で審査し、出版の道も用意しているこの賞が作家の卵たちの目にどのように映るのか。それは入選作品を見れば明らかになるでしょう。

 中国ミステリーはいま、「QED推理小説賞」の審査員のような30~40代の中堅作家が第一線で活躍しながら、若手の成長を伸ばす手助けもしており、若いのに大変だなぁと感心するばかりです。しかし、では彼らを評価・批評する人間は誰になるのかと考えると、やはり権威的な存在も必要ではないかと、若手中心の現状にわずかな不安を覚えるこの頃です。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
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・マイクロブログ http://weibo.com/u/1937491737







現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


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