最近、中国で『黄雀在後!』というサスペンス映画を見ました。

 ちょっと入り組んだ内容なので簡単にまとめられないのですが、物語は女性の他殺体から始まります。当初、彼女の身元の特定すら難しかったのですが、ホステス嬢をしていた彼女には太客がおり、その男が彼女に強請られていたためヒットマンを雇ったことが分かります。現場からそれらしき男が逃げたことが関係者の証言から明らかになったため、彼を捕まえれば解決と思った矢先、ヒットマンが何者かに襲われ瀕死の重傷。しかも現場付近でそのヒットマンにひったくりされそうになったと証言する女性の事件前後の行動に不審な点が多く、警察はこの事件が単なる男女の痴情のもつれではなく、もっと複雑な人間関係が絡んでいることに勘付きます。そして関係者の証言から矛楯や食い違いを見つけ出し、「藪の中」のような複雑な殺人事件の真相を解き明かしていく、という内容です。
 タイトルは「螳螂捕蝉、黄雀在後」(セミを獲ろうとしているカマキリの後ろにヒワがいる)ということわざから来ていて、つまり、目先の利益に目がくらみ、背後の危険をおろそかにしてしまうという意味です。作中では、自分のことをカマキリだと思い込んでまんまと足元をすくわれてしまう者もいれば、カマキリに見せかけた自身をヒワに差し出す者なども登場し、その錯綜した人間関係に混乱しかけるものの、刑事がその都度うまくまとめてくれるおかげで頭がこんがらがることはありませんでした。
 そしてこの映画の犯罪者も例外に漏れず、どれだけのっぴきならない事情があろうとも結局警察に捕まり、法の裁きを受けることになります。映画のラストで、「◯◯◯(名前)、殺人及び死体遺棄により死刑」云々とテロップが流れますが、これは犯罪がテーマの中国映画ではもはや見慣れた光景です。そして『黄雀在後!』は特に教育映画的側面が強く、刑罰の内容以外に「この映画のようなことをしたら駄目だよ」というありがたい忠告まで発してくれます。
 中国のミステリーやサスペンス作品、特に映画やドラマでは、犯罪者側にどんな理由があろうとも基本的に勝ち逃げは許されません。小説なら犯罪者の勝ち目はあるかと聞かれたら必ずしもそうではなく、IP(知的財産)の映像化が当たり前になると、映像化を見越した内容が求められるようになります。犯罪者にはきちんとした罰を受けてほしいものですが、盗人にも三分の理という言葉があるように、理由によっては被害者よりむしろ加害者側に同情してしまうことも珍しくありません。ただ、最近読んだ中国の社会派ミステリーが哀れな境遇の犯罪者にも容赦がない内容だったので、ここに紹介します。

『一生懸命』陳春吾(2023年)

 日本語っぽいタイトル、というより「一生懸命」なんて中国語、今まで聞いたことがありません。ただ、話の内容は「精一杯頑張る」なんていうポジティブなものではなく、むしろ、中国語の字面通り「生涯命懸け」とか、表紙の絵のような「人生綱渡り」がニュアンス的に近いです。

 兄弟分・曹小軍の頼みを受けて山奥まで木箱を運んだ倪向東。蓋を開けてみると、中には曹小軍の死体が入っていた。一体なぜと焦って目を離したすきに、箱の中の死体は見知らぬ警備員のものと入れ替わっていた。
 一方、曹小軍の妻・呉細妹は夫の失踪を警察に通報し、夫を殺したのは倪向東だと主張する。刑事の孟朝たちは倪向東の行方を追うとともに彼の交友関係を洗うが、呉細妹が話す倪向東の人物像と倪向東の仕事仲間たちの彼への評価が大きく異なることに違和感を覚える。倪向東は職場ではとても慕われていて、冤罪を信じる仲間たちが彼のために嘆願書まで出す始末だ。
 どうして倪向東はハメられたのか? 彼の印象が人によって異なるのはどういうわけか? 孟朝は倪向東、そして呉細妹らが隠している秘密にたどり着く。

■脛に傷持つ者同士の探り合い
 友人から預かった木箱の中に友人の死体が入っているという驚きの冒頭からスタートする本作は「まさか?」と思う展開のオンパレードで、最後まで飽きずに楽しめる作品でした。中国での評判も上々で、真偽不明ですが2026年にドラマ化されるそうです。

 倪向東と曹小軍、そして呉細妹は同郷で、呉細妹が警察に語った内容によれば、倪向東は超がつくほどのクズ男。呉細妹との間に何度も子どもをつくっては堕胎させ、いま曹小軍と呉細妹が育てている子どもも実は倪向東と血が繋がっています。夫婦はせっかく遠いところまで逃げてきたのに、偶然か必然か、二人の前に再び倪向東が現れて、曹小軍は殺されてしまったというのが呉細妹の言い分です。
 一方、逃亡中の倪向東は自分が何者かハメられたと勘付きますが、いくら考えてもその理由が分かりません。なぜなら彼には全く身に覚えがないからです。両者の認識の差は一体何なのでしょう。倪向東にとって曹小軍と呉細妹にしてきたことは些細なことだったとでも? それとも呉細妹が警察に語った内容はすべてデタラメ? この両者のギャップを埋める上で重要な役割を果たすのが、刑事の孟朝です。

 倪向東が毎月の給料の一部を赤の他人に振り込んでいることを突き止めた孟朝たちは、その人物が暮らす土地へ向かいますが、そこは倪向東ら三人の生まれ故郷の近所でした。しかし給料の振込先の口座の持ち主は徐という老人。付近の住民の話では、その老人には徐慶利という息子がいたのですが、地元の裕福な家の息子を殺害し自殺したそうで、現在は一人で暮らしているのだとか。孤独に暮らす老人を憐れんだがゆえの募金であったとして、決して恵まれた生活ではなかった倪向東が赤の他人にお金を振り込む理由は? 孟朝の脳裏にある仮説が浮かび、その線に沿って捜査を進めると、倪向東らにまつわる一連の真実や誤解が見えてくるのですが、そのときにはもはや後の祭り。倪向東らにはすでに退路のない逃走経路を逃げ切る以外の選択肢がなく、孟朝のやるべきことは彼らを勝ち逃げさせな いことです。

■題材として選ばれる社会的弱者
 倪向東も曹小軍と呉細妹も綱渡りのような人生を歩いてきて、その中で他人には言えない秘密を抱え、秘密を秘密のままにしていたために、今回、悪夢のようなすれ違いが起きてしまいました。だからこそ過酷な人生を歩んできた三人には何らかの救いの手が差し伸べられてほしかったですが、そこは犯罪者の逃げ得を許さない中国ミステリー。終盤は犯罪小説ではなく刑事小説かと思うぐらい刑事による犯罪者への反撃と合法的な復讐が描かれ、そのスカッとするような逆転劇に、この小説って最初から映像化を狙っていたのかなとさえ思ってしまいました。

 その一方で、いくらフィクションとはいえ出来過ぎでは? という展開も少なくありません。人生のどん底にいた人物に偶然転機が訪れるというこのストーリーに、以前紹介した、中年女性がホームレスになって第二の人生を歩む『尋找金福真/金福真を探して』第106回:女性が主役の中国サスペンス小説)を連想しました。具体的に何が似ているのか書けばネタバレになってしまいますし、パクリを指摘したいわけでもありません。ただ、いまの中国社会派ミステリー界隈には、こう書くべきといったモデルやひな形、盛り込まなければならないテーマがあるのではないかと疑うぐらい、この二作から同じ印象を受けました。そしてそれらをうまく踏まえた『一生懸命』や『尋找金福真』が結果的に売れたと仮定すると、そこに多様性を見ることは難しいです。二作とも弱者に焦点を当てており、それ自体は結構なことなのですが、売れるために弱者を出したんじゃまるで創作的搾取です。

 ある理由によって人目を避けて生きてきた倪向東、貧困ゆえに体を売って稼いできた呉細妹、人生で常に貧乏くじを引き続ける曹小軍……本作にはその他にも制度に虐げられる者や、いわゆる「弱者男性」的な人間も登場しますが、弱者に寄り添った内容かと言うと必ずしもそうではありません。なぜなら、本作には弱者とはいえ悪いことをしたら罰を受けなければいけないという厳正なレッドラインがあり、その罰の内容と罰に向かわせた悪行があまりにも過酷なため、悪事を働いた弱者を突き放しているからです。中でも倪向東の変貌っぷりは最たるもので、彼はとある理由で顔の左半分にひどい怪我を負い、知らない人が見たら恐ろしい悪人のような顔なのですが、根は善人でした。しかし物語の後半になると、まるで悪人のように見える顔に徐々に意識が乗っ取られるかのように大胆な悪事を次々と働き、彼は守られるべき弱者ではなくなるのです。

 倪向東らと同じ弱者でありながら、努力すれば道は開けるということを行動で示した田宝珍という女性が登場するのがなおのこと残酷でした。さらには、刑罰を救済ではなく応報として書いているのも気になるところです。要するに本作からは、たとえどれだけ踏みにじられていようとも、一度悪事に手を染めた人間に救いの手が差し伸べられることはないという厳然たるメッセージを感じました。

■警察に敗北はない?
 犯罪者に痛い目を見てほしい気持ちは確かにあります。しかしそれが社会的弱者の反撃であったり、その復讐に正当な理由があるなら見逃してやってほしいという気持ちもあります。法の下の平等は現実だけの話であって、フィクションでは弱者の一発逆転の末の勝ち逃げが許されてほしかった。ただ、ここまで考えてふと思ったのが、中国のミステリー小説・映画界隈は犯罪者の勝ち逃げを許さないのではなく、犯罪という社会への挑戦を行った者には必ず法に基づいた制裁を与えなければならないと考える傾向が強いのかもしれません。犯罪者視点ではなく警察視点で創作されているということですね。『一生懸命』では、倪向東が悪堕ちするのと比例して、刑事である孟朝らへ読者が感情移入できるような構成になっていました。
 警察を侮辱してはならない、警察ではなく私立探偵に事件を解決させてはならないなどのフィクションにおける不文律を中国ではよく耳にします。犯罪者に必ず罰を受けさせるという風潮もまた、警察の神聖性と深くつながっているのです。今後も中国のミステリー・サスペンス作品では、例え犯罪者にどのような境遇・理由があろうとも、警察と対峙した瞬間、犯罪者の勝ち逃げが許されることはないでしょう。ただし、世間も警察も納得するスケープゴートを真犯人が用意できれば話は別で、頭の良い人間は逃げおおせられるかもしれません。よって、警察を騙せる頭脳を持ち、読者の共感を得られる人格や境遇を持つ知能犯が登場するミステリーが、今後生まれるかもしれません。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


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