今回は女性が犯罪者として追われる中国のサスペンス小説を2冊紹介します。

■『陌生人/あかの他人』(2023年)

 これまで『完美嫌疑人』と『無形之刃』という長編倒叙ミステリーを書いてきた陳研一によるシリーズ第3弾。今回は、虐げられた女たちがクズ男に完全犯罪で復讐する、という内容です。

 年の瀬、公安局分隊長の趙亜楠は旅館で発生した殺人事件を捜査し、死体に残された手掛かりから、8年前と4年前の殺人事件と同一犯によるものと推理する。被害者がいずれも女を暴行したり女に体を売らせたりとろくでもないことをしていた男だったことから、その殺人犯は世間で「クズ男キラー」の名で知られていた。趙亜楠は元敏腕刑事の鐘寧らを仲間に加え、その犯人を追う。
 すると捜査線上に、20年前にクズ男を殺して服役していた陳小娟という女が浮かぶ。だが、犯人は劇団関係者だと推理した鐘寧は、バレエ講師の鄧麗娟という女に疑いの目を向ける。警察は出所後の陳小娟の行方を追い、彼女が今まで働いていた会社の関係者たちに事情を聞きに行くが、みな一様に、陳小娟とは何年も会っていないと口にする。一方、警察の捜査と前後して、鄧麗娟も関係者と次々に会っていた。鄧麗娟と陳小娟はいったいどんな関係なのか——

 倒叙ものなので、物語は犯人視点で始まります。本作の主人公・鄧麗娟はかなりタフな経歴の持ち主。産まれた赤子が女児だったら川に捨てるという男尊女卑の村に生まれ、2人の姉も川に行くのが面倒だった親に屎尿バケツで溺死させられ、自身もタバコ2箱で親戚に交換されたという、余華の小説の一節のような出生譚を持っています。そして好きになった男に売春を強要された末、男を殺害して逮捕されるという不運な人生を送ってきました。そんな彼女がクズ男に復讐するようになったのは、もはや必然と言えますが、「クズ男キラー」である鄧麗娟にはこれまでの犯行に鉄壁のアリバイがあり、警察の捜査が逆に彼女の無実を証明してしまいます。
 鄧麗娟が犯人なのは読者から見ても間違いない。でも彼女は殺していない。では、誰がどうやったのか? そして陳小娟の過去の勤め先の関係者が陳小娟と同じ刑務所に入っていたという事実は何を表しているのか? などと考えるところから、読者にすら見えなかった事情がどんどん可視化され、事態がどんどん複雑化していきます。

 探偵役は今回も鐘寧。シリーズ第1作『完美嫌疑人』で、優秀な刑事だったのに自殺者の子どもに同情してしまったため、遺族に保険金が下りるよう自殺を事故死として偽造してしまったことで警察を辞めたという過去が描かれています。ただ今回は犯人が手強かったこともあって、そうした優しさよりも犯人を執拗に追い詰める意地悪さが目立ち、キャラが違っているように見えることから、鐘寧を出す意味はあったのかなと疑問を持ちます。
 そして、おそらくもう一人の主人公として設定されているのが、公安局分隊長の趙亜楠だと思うのですが、男社会の警察で若くして分隊長にまで上り詰めた女性という設定の割に存在感が希薄でした。捜査の担当者に任命されるも、早いうちに一般人の鐘寧を頼り、以降の捜査はほとんど彼任せになり、失点もないが良いところもない活躍ぶり。しかし彼女が鄧麗娟と対の存在になっているのは、彼女の名前からも分かります。なぜなら「亜楠(Yanan)」は「亜男(Yanan)」、つまり「男に準ずる」という意味が込められているからです(ファンタジー作品における「亜人」のようなもの)。似たような名前に「勝男(男に勝る)」や「若男(男のような)」もあり、一人っ子政策時代に生まれた女性につけられた名前だと言われています。
 つまり趙亜楠もまた男尊女卑社会の犠牲者と言えます。鄧麗娟と違う点は、趙亜楠は警察官という立場でクズ男を捕まえられ、そして警察という男社会でうまくやっていけているというところ。このように本作が女性視点で描かれた小説だというのは間違いないですが、鄧麗娟を追い詰めるのが男の鐘寧で、趙亜楠はおまけ扱いなのはもったいなかったなと思いました。また、物語終盤、趙亜楠が「きっと、『亜楠』という名前はこの世界からどんどんなくなっていく」と言って未来へ希望を託すシーンも、言葉よりも行動で示してほしかったです。

 書きたいテーマは分かるのですが、作者の主義思想がそれに合致していないという印象を受けました。個人的に一番の問題は、作者が女性の連帯感(シスターフッド)を手放しに信頼しているところです。鄧麗娟がクズ男ばかり狙うのは、単に男への復讐ではないもっと複雑かつ私的な理由があるのですが、彼女の行動原理を支えているのは強烈な母性神話(女性にはもともと母性が備わっているという幻想)と言えます。鄧麗娟はなぜそんなことをしたのかという問いに対し、なぜなら彼女は女性だからだという答えは、作品のテーマとは真逆の女性性の押し付けとしか見えません。
 というわけで本作の評価は低目です。しかしレビューサイトでは高評価で、しかも今後、実写ドラマ化が決定しているみたいなので、一層洗練された形で日本人の目に触れることになるかもしれません。

 

■『尋找金福真/金福真を探して』(2023年)

 のっぴきならない事情でホームレスになった男女の人生を追い、そして遡ることで、人間の尊厳とは何かを描いた社会派サスペンス。作者の南山は元記者という経歴の持ち主で、本作は中国のレビューサイト豆瓣で連載されていたいわゆるウェブ小説となっています。

 夫に愛されず、義母の介護に追われ、娘に軽んじられている中年女性・金福真はクリスマスイブの仕事帰り、暴漢に襲われた際にとっさに反撃したところ、誤って男を殺してしまう。冷静に考えれば正当防衛になりそうなケースだが、パニックになった彼女は、自分が捕まれば大切な娘が殺人犯の子どもとなり将来が台無しになってしまうと考え、自分が消えることを選ぶ。逃亡生活の末にホームレスになり、同じような境遇の男・老酉と知的障害のある少女・小春と出会う。一時期は3人で家族のように暮らし、ささやかな幸せを味わっていたが、そんな生活も長く続かない。鄒莉莉という薬物中毒の女が金福真たちの仲間になったのもつかの間、ある朝死んでしまう。老酉はすぐに彼女の死体を処理するとともに、彼女の身分証(免許証のようなもので、中国国民ほぼ全員が所持している)を抜き取って金福真に渡す。しかし運悪く死体遺棄現場を誰かに見られていたばかりか、鄒莉莉がとある事件の関係者だったことから、老酉は警察にマークされてしまう。だが、鄒莉莉の死体は顔が潰れていたため、警察はそれを鄒莉莉に殺された被害者だと思い込み、老酉と一緒にいて彼女の身分証を使っている金福真が鄒莉莉だと勘違いする。

 金福真は薄幸どころか、自分の人生がない女です。もともとは金富珍という名前でしたが、娘に「名前がダサい」と言われ、金福真と改名しました(読みは同じ)。娘いわく、そっちの方が韓国人っぽくてかっこいいとのこと。介護が必要な義母からは連日いびられ、夫には無料の家政婦としか思われていない彼女はこれまでずっと他人のために生きてきました。そんな彼女は皮肉にも人殺しが転機となり、ホームレスとなって自由を手に入れます。逃亡生活初日に藁を敷いただけの質素な寝床で久しぶりに熟睡する金福真の姿に、彼女のこれまでの人生とは何だったのか考えさせられます。
 この作品、金福真の主婦時代とホームレス時代の対比が秀逸で、ホームレスになって自由を感じていると思ったら、精神に限界が来て生きる屍となった姿が家族にこき使われていた主婦時代と重なるなど、結局人は自分のために生きなければ死んでいるのと同じだというメッセージを発しています。そしてホームレス時代の方が生き生きとしているのも事実である一方、誰かに奉仕しないと生きている意味を見いだせない悲しい習性も捨てられずにいます。だからホームレス生活をしているにもかかわらず知的障害のある小春の世話をしたり、さらには種違いの子どもたちを育てる女性の子育てを手伝った挙げ句、逃げられて全員を押し付けられることになっても、彼女は主婦時代のように文句一つ言わないのです。

 さまざまな社会問題を内包した物語で、事件の重要人物である女を刑事が追う展開は、宮部みゆきの『火車』や葉真中顕の『絶叫』を彷彿とさせますが、『金福真を探して』というタイトルとは裏腹に、彼女本人を探す人物はなかなか現れないどころか、家族でさえ行方不明になった妻(母親)を真剣に探そうとしません。実はここにはカラクリがあって、一見してお金を持っていなさそうな中年女性がどうして強盗に遭ったのかという理由も捜査が進む中で明らかになるのですが、これ以上はネタバレになってしまうので避けます。ただ、事情を知らない第三者からすれば、突然家族を捨てて、ホームレスの男と行動し、他人の身分証を使って生きている金福真はとんでもない女にしか見えず、もしも刑事が彼女のことを鄒莉莉だと思い込んだまま捕まえて、調べてみたら金福真でしたというオチなら、彼女はネットニュース及びネット民の良い標的になって人生を終わらせていたでしょう。しかし、5年に及ぶ逃亡生活の行く先々で善性を発揮していた金福真は、警察の捜査中についに鄒莉莉と別人だと理解され、ようやく自身に目を向けられて正当な評価を下されるようになります。真っ当に生きてきた主婦時代は家族にすら蔑ろにされていたのに、ホームレスに身をやつして警察に追われてはじめて輪郭が浮き彫りになるのは皮肉ですが、社会から存在を無視された人間はそうでもしないと相手にされないのでしょう。
 主婦時代の金福真が家でしていた家事や介護は「名もなき仕事」で、彼女自身も家族から「名もなき人間」同然に扱われていました。ホームレスになってからは名前を変えて存在の透明化がますます顕著になり、彼女が金福真であろうがなかろうが構う者はいなくなり、ついには「金福真」の人生とは何だったのか自問自答するに至ります。『金福真を探して』というタイトルには、一人の女性が過酷な経験を通じて尊厳のある人間に戻る意味合いが込められているのでしょう。

 本書は金福真を見つけてはいおしまい、ではありません。後半になると主人公が交代し、金福真のホームレス仲間・老酉が話の中心人物になります。この男、村の井戸に農薬を入れて人を何人も殺した罪で警察に追われており、本人は冤罪を主張していますが、言動がいちいち不穏です。金福真に小春の世話をさせたのは、「おとなしい女に責任を負わせれば逃げなくなる」という考えからだし、金福真が自首をして逃亡生活を終わらせようとすれば、極端な手を使って邪魔をします。彼が金福真に執着する理由は何なのかという疑問が生まれるのは当然として、死体処理が手慣れすぎているから過去に絶対人を殺めたことがあるだろうし、井戸に毒だって本当にやっているかもしれないと読者に思わせるには十分です。何より彼は頭がキレて、自分が警察に追われていると分かったら、ホームレスにありがちなボサボサな髪を切ってヒゲを剃るなどして捜査を撹乱し、一筋縄ではいきません。怪物のような男なのですが、一方で金福真に直接暴力を振るうことはないし、小春に乱暴することもなく、凶暴というわけではないのも厄介。終盤は彼の異常性の根源を探る旅になるのですが、こういう大人になってしまうのも仕方がないと納得の過去で、そのハードな生い立ちで完全に金福真を食ってしまっていたのは、作品として失敗なのではと思いました。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


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