中国ミステリー界ですでに一ジャンルとして定着している時代ミステリー。唐代、明代、清代等々、中国の歴代王朝を舞台・背景にした作品において、現代とは異なる行動原理や未発達の科学的方法に基づき捜査・推理が展開され、読者は古人の生き様に思いを馳せたり、歴史上の人物に近い将来必ず訪れる悲劇を予想したりして、感傷的な気分に浸れます。また、当時の風俗や制度を知るきっかけにもなり、情報量が多くて読み応えがあるのも特徴です。
 すでに和訳されている中国の時代ミステリーでいえば、陸秋槎の『元年春之祭』は前漢を、唐隠の『大唐懸疑録 蘭亭序コード』と陳漸の『大唐泥犁獄』は唐代を、莫理斯(トレヴァーモリス『辮髪のシャーロック・ホームズ』は清朝末期を、それぞれ舞台にしています。ほかにも例を挙げると、冶文彪の『清明上河図密碼』は北宋、アメリカ人俳優曹操の『金宮案』は金代です。過去を舞台にした小説を全て時代ミステリーでくくるのはかなり乱暴だと自分でも思いますが、「歴史」というのは中国ミステリー、ひいては中国人の創作活動でおろそかにできない大事な要素の一つだと最近考えるようになりました。

 そんな中、古代中国を舞台にした上述の『元年春之祭』、学園ミステリー『雪が白いとき、かつそのときに限り』、メタミステリに挑んだ『文学少女対数学少女』、中世ファンタジーミステリー『盟約の少女騎士』、そして短編SF小説『ガーンズバック変換』など、これまで多岐にわたるテーマを書き続けた陸秋槎が、4年ぶりとなる長編ミステリー小説『悲悼』を発表しました。それがなんと、今から100年ほど前の中華民国時代の中国を舞台にし、さらに女性探偵が主人公のハードボイルド小説だというのだから驚きました。そこで今回は、まだ中国語版が出たばかりで、今後日本語版が出るらしい陸秋槎によるハードボイルド民国ミステリーを紹介します。

 私立探偵・劉雅弦の事務所にお嬢様学校の女学生が訪れる。地元の名士・葛天錫の姪で、子どものいない彼に実の娘のように大切にされている葛令儀だった。本物のお嬢様がわざわざ何の用だと劉がいぶかしく思っていると、彼女は人探しを依頼しにきたと言う。友達の岑樹萱が2週間も学校に来ず、家族も行方をくらましているから、どうにかして彼女を自分のもとに連れてきてほしいのだそうだ。
「お金をもらったからには全力を尽くす」と約束した劉は、岑樹萱の通う学校や自宅に行き、教師、ルームメイト、知り合いに話を聞くも、彼女の行方はもちろん、彼女について深く知っている者すら一人もいない。それでもなお地道な聞き込みを続けて細い糸をたぐっていくと、葛天錫の配下に妨害され、一度は調査を断念する。だが葛令儀から調査を続けるよう懇願されたため、どうして調査が妨害されたのか理由を探るうちに、葛天錫の配下の射殺体を見つけ、彼女は警察に逮捕されてしまう——
 行方不明になった少女に隠された秘密とは?

■近代を現代的な目線で
 実は私は民国時代を含む中国の時代小説を読むのが苦手です。聞いたことのない言い回しや辞書を引かないと読めない単語が大量に出てくるし、何より書いてある中国語に馴染みがなさすぎて、文章を読んでも情景がパッと頭に浮かんでこないからです。そして時代小説って、例えば舞台が唐代なら、冒頭から唐代らしさがこれでもかとアピールされて、いかにこの作品が唐の世界を描いているのかと文飾されるので、くどく感じたりすることも少なくないんですよね。
 だから『悲悼』も民国時代が舞台と聞いて、(非中国人の自分にとって)読みづらかったらどうしようか心配でした。しかし、物語が、することもなく事務所の窓辺に立つ私(劉)から始まったことにとても安心しました。物語が彼女の目に映る範囲でしか進まないことが1行目で保障されたからです。文体も100年前が舞台とは思えないほど親しみやすく、文章も平易ですが、皮肉屋の劉の目を通した世界の描写には何度もクスリとさせられます。

■生き方の異なる3人の女
 主人公の劉雅弦は損得勘定に長けた人間である一方、報酬分はしっかり働こうとする責任感の強さも見せますが、時代を見る目がとても冷め、そしてちょっとひねくれた性格をしています。これは彼女の生い立ちが大きく関わっているのですが、当時の一般的な中国人より半歩進んだ場所に立っておきながら、探偵をやって他人とちょっと違う人生を歩む程度のことで、時代に対してささやかな反逆をしているように見えます。また、自立して生きているため、同じ女性に対して少し突き放すような態度を示しているのも、彼女が魅力的に映る理由かもしれません。
 本作で最もミステリアスな女が行方不明になった岑樹萱。劉雅弦の聞き込みを経ても、浮かんでくる人物像は、自己主張をせず、無口でおとなしく、誰にも心を開いていないというか弱い女性です。そして親の借金のカタに売られるかもしれないという不幸属性もある。しかし第三者を通して劉雅弦のもとに届く岑樹萱の情報には実体がほとんどこもっていない。劉雅弦が影のある女なら、岑樹萱は極端に影が薄い女です。この存在感の欠けた少女が、名士の養女として何不自由のない生活を送る葛令儀という強烈な個性を持つ少女に執着され、劉雅弦に追われて物語の中心人物となるのだから、彼女の中身が空っぽなわけありません。立場も生き方も異なるこの3人の女性の運命が今回の行方不明事件を経てどう交わり、そして別れていくのかが本書の見どころの一つです。

■ハードボイルドな一貫した生き方
 文章とは別に、本書を読む前に抱いたもう一つの勝手な不安がありました。それは、民国時代が背景なのだから、愛国的な内容なんじゃないかということです。例えば第101回の「『侠盗的遺産』社会派でSFな民国探偵小説風ミステリー」(https://honyakumystery.jp/22968)で取り上げた時晨の『侠盗的遺産』は、日本をふくむ列強諸国に虐げられた中国の現状に焦燥感を募らせる主人公を描いています。
 しかし『悲悼』においては、劉雅弦にそのようないらだちはほとんど感じられないどころか、彼女は愛国的な風潮すらも皮肉げに見つめ、時代からとても浮いた存在として描かれます。当時の中国、そして現代の創作界隈にはそぐわないシニカルな見解を持っていて、女性の地位が今よりも低かった時代の一瞬のシーンを切り取り、問題提起するもそれを不可逆的な事実として諦念的に受け止めるのが劉雅弦という女性です。その一方、自身の冷笑的な言動を自覚し、他人の怒りをきちんと受け止める誠実さ(または不器用さ)も持っています。不安定で不穏当な時代の中、生きるために探偵業で日銭を稼ぐ劉雅弦はこの世の矛盾に真正面から対峙することもしなければ、矛盾と戦う人々を応援することもありませんが、主義主張、そして生き方が一貫しています。そんな彼女だからこそ、国のために戦うのではなく、自身そして依頼人のために動くことに全く違和感を感じないのです。

 陸秋槎はツイートで、本書の日本語タイトルを「喪服の似合う少女」と書いています。それを見たときは、登場人物のうちの誰かが喪服を着るのだろうとのんきに考えていたのですが、本書の英語タイトルが Mourning Becomes Eurydice(喪服の似合うエウリュディケ)で、要するにユージン・オニールの『喪服の似合うエレクトラ』のオマージュだと気付いて、喪服を着る着ないに注目するのは的外れだなと思いました(ちなみに『悲悼』は『喪服の似合うエレクトラ』の中国語タイトルでもあります)。また作者あとがきでは、本書のインスピレーションの源泉となった海外作家について触れられていますが、それが誰かはここで取り上げることはしません。
 ただ、あとがきを含めて4年ぶりの新刊を読んで改めて思ったのは、陸秋槎は勉強家だなということです。一冊の本を書き上げるために何冊もの本を読み上げ、物語に厚みと深みを持たせるために古典まで目を通しています。ミステリーにとどまらない知識欲が、彼が多ジャンルに挑み続ける理由なのかもしれません。
『悲悼』が近いうちに日本で邦訳出版されたとき、この現代的な視点で民国時代を描いたハードボイルド小説が日本の読者にどう受け入れられるのか、非常に気になります。

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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