書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『誘拐の日』チョン・ヘヨン/米津篤八訳

ハーパーBOOKS

 ヘタレな誘拐犯が、自分よりずっとしっかり者の人質に振り回される珍騒動を描いたミステリといえば、思い浮かぶのが天藤真の名作『大誘拐』。そちらでは人質が老女だったのに対し、『誘拐の日』に登場するのは十一歳の少女……といっても、自分の娘の手術費用のためやむなく誘拐に走った気弱な犯人など軽く一蹴する(比喩ではなく、文字通りに蹴りをかます)剛毅かつ頭脳明晰なスーパー少女なのである。この時点で既に犯人の思惑通りにいかないことは明白だが、更に思いがけない大事件に巻き込まれ、事態は二転三転どころか四転五転する。次々と浮上する新事実、暴かれてゆく関係者たちの素顔……近年、これほど先が読めない誘拐ミステリも珍しいし、今までに邦訳された韓国ミステリの中では最も謎解き色が濃いのではないだろうか。韓国の格差社会を背景にしている点は、大ヒットした映画『パラサイト 半地下の家族』と通底するものも感じさせる。

 

吉野仁

『天使と嘘』マイケル・ロボサム/越前敏弥訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 作者にとり二度目のCWAゴールド・ダガー賞受賞作『天使と嘘』は、殺人現場から救出された少女イーヴィと彼女の担当医である臨床心理士サイラスのふたりが主役をつとめるシリーズ第一弾だ。イーヴィは人がついた嘘を見破る特殊能力の持ち主であり、一方のサイラス自身も秘めた過去をもつ男だった。このふたりの関係の推移を軸に、将来を期待されたスケート女性選手の殺人事件が絡んでいく。ロボサム最初のゴールド・ダガー賞受賞作『生か、死か』は、その奇抜な設定に驚かされたが、本作はもうなんといってもキャラクターの魅力に尽きる。訳者の越前氏がイーヴィは〈ミレニアム〉シリーズのリズベットに似ていると指摘しているが、わたしもサイラスとの関係を含め、そのことを強く感じた。いまからシリーズ第二作が待ち遠しくてしかたない。奥付では7月刊だが、6月には書店に並んでいたロボサムのもう一作『誠実な嘘』(二見文庫)はふたりのお腹が大きな女性が交互の章で語り手となり、乱暴にいえば恵まれた幸福な母親像の虚実をめぐるサスペンスで、とても面白かった。こちらは平然と嘘をつける女が出てくるのだ。平然と嘘がつけるといえば、ピエール・ルメートルによる歴史ミステリ三部作の完結篇『われらが痛みの鏡』に登場する主要人物でいちばん印象に残ったのが、詐欺師のデジレだった。第二次大戦下のフランスで起きた史実をもとにしつつ、どこに着地するのか分からないまま一気に読ませる群像劇。第二次大戦で身分なりすまりといえば、アレックス・ベール『狼たちの城』は、ユダヤ人が偽の身分証を手にいれたことから、ゲシュタポの特別犯罪捜査官となって城で起きた密室殺人を捜査するというミステリ。こちらも続編を読みたくなるラストがいい。チョン・ヘヨン『誘拐の日』は、天才少女を誘拐してしまった男が、その両親の殺人容疑を晴らさねばならないという物語だが、これ、これまで邦訳された韓国ミステリのなかでもっともエンタメ性が高いのではなだろうか。人気の高い韓国映画なみ。さらに、それだけじゃない驚きもあるのだから見逃せない。と、いうまでもなく魔界西部劇〈ウィアード・ウエスト〉ホラーのジョー・R・ランズデール『死人街道』は、もうサイコーでした。

 

北上次郎

『死人街道』ジョー・R・ランズデール/植草昌実訳

新紀元社

 ランズデールがホラー小説作家でもあるとは知らなかった。ふーんと思いながら読み始めたら、おいおい、面白いじゃないか。たしかにホラー小説だけど、素晴らしいアクション小説だ。特に冒頭の一編がすごい。アクションの迫力が半端ないのだ。そのリアリティ、興奮度、迫力満点の充実ぶりは、近年読んだアクション小説の中でも図抜けている。同好の士にぜひおすすめしたい。

 

川出正樹

『狼たちの城』アレックス・ベール/小津薫訳

扶桑社ミステリー

 アレックス・ベール『狼たちの城』が抜群に面白い。舞台は1942年のニュルンベルク。ユダヤ人の元古書店主イザークは、ゲシュタポの敏腕犯罪捜査官のふりをして、ナチスに押収された古城で起きた国民的女優殺害事件の謎を解かざるを得ない状況に追い込まれる。人の出入りが厳重に監視されている一種の密室状況下で起きた不可能犯罪を、かつて読んだミステリの名探偵に倣って解き明かすことができるのか。しかも、家族全員がポーランドに移送されてしまう日までに。

 これだけでも十分にそそるのだけど、殺人事件の解明は表向きの仕事で、イザークを送り込んだ者たちから与えられた任務が別にあるという点がミソ。孤立無援な上に四面楚歌。誰一人信じられない状況下で、次から次へと危機が迫る。名探偵役と潜入捜査官を同時にこなす究極のタイトロープ・サスペンスにして練り込まれた謎解きミステリ、さらにナチスのユダヤ人に対する悪行をベースに築いた戦時エスピオナージュでもある骨の太いエンターテインメントだ。

 今月は、マイケル・・ロボサム『天使と嘘』(ハヤカワ・ミステリ文庫)とジョー・R・ランズデール『屍人街道』(新紀元社)もおすすめ。前者は、ヒラリー・ウォー・タイプの事件とジャック・カーリイの名探偵がお好きな人はぜひ。後者は、「ババ・ホ・テップ」と「キャデラック砂漠の奥地にて、死者たちと戯るの記」のランズデールだ。異形、悪行、腐敗、堕落、硝煙、聖書、恩讐、贖罪、死者、生者。魑魅魍魎跋扈する魔界西部のガンアクションを堪能しました。

 

霜月蒼

『スクリーム』カリン・スローター/鈴木美朋訳

ハーパーBOOKS

 なるほど、だから初期作品のグラント郡シリーズ『開かれた瞳孔』と『ざわめく傷痕』(とくに後者が傑作)を刊行したのか!と思った。というのも、過去と現在の2パートで進行する本作、過去パートの主人公が「グランド郡シリーズ」の警察署長ジェフリーだからである。現在パートはジョージア州捜査局のウィルを主人公で、両者をつなぐのが、ジェフリーの元妻(過去)でウィルの恋人(現在)である検死医サラという仕組み。事件はいつものように女性をターゲットにした陰惨なもので、被害者の痛みに真摯に向き合うサラを通じて「痛みの経験」としてのスローター流ミステリが今回も達成されている。だからいつもどおり圧巻だ。

 時間を隔てたジェフリー=サラ=ウィルの三角関係が捜査の背景としてあるせいでロマンス色が強いが、ジェフリー/ウィルの対照を梃子に男性性の問題を問うている側面もあって、女性の被害を描き続ける問題意識にブレはない。むしろロマンティック・サスペンス性が奏功しているといっていいのではないか。違法捜査の問題も盛り込まれた具沢山のプロットでページを繰らせ、律儀で大胆な手がかりに基づく意外な犯人も配置された快作。新作を速攻で要チェックの作家としてのスローターの地位は不動である。なお過去パートは『開かれた瞳孔』よりも過去に設定されているので、グラント郡シリーズ未読の方のための導入としても読めるし、『~瞳孔』の事件の衝撃は、本書を先に読んでいると強まるかもしれない。

 他、オリビア・ゴールドスミスの『第一夫人同盟』を21世紀のホットさとイヤミス感でリメイクしたみたいなレックバリ『黄金の檻』、 テーマのヘヴィさを見つめつつも痛快に仕立てた『狼たちの城』は、いずれも良き文庫エンタメ。どちらも続編があるらしいので、それへの期待もこめて挙げておきたい。

 

酒井貞道

『誠実な嘘』マイケル・ロボサム/田辺千幸訳

二見文庫

「なんだフライングか」と思ったそこのあなた。言い訳するからちょっと待ってほしい。奥付を見ると、『誠実な嘘』の発刊日は確かに2021年7月21日である。6月ではない。だから書誌データ上は、フライングにはなる。しかしながら、奥付に反して、『誠実な嘘』は6月下旬には確かに書店の棚に並んでいたのである。具体的には丸の内オアゾの丸善の三階である。しかも、それとほぼ同時期に、ロボサムの『天使と嘘』が早川書房から出ており(奥付は6月20日)、困ったことに、どちらも素晴らしい作品だった。奥付を額面どおり受け取って、今月は『天使と嘘』を挙げて、『誠実な嘘』は来月に回す。その手もあるにはあるが、『誠実な嘘』に不利に働き過ぎる気がした。よって、奥付は無視し、私が実際に観測した《書店に並んだ時期》を刊行時期とみなして、今月は『誠実な嘘』を挙げておきたい。

『誠実な嘘』には、主人公が二人いる。スーパーマーケットで働く貧しい独身女性アガサと、元ジャーナリストで既婚子持ちの裕福なメガンである。アガサはメガンを陰からストーキングしており、本書の前半ではその目的が徐々に明かされていく。本書最大の焦点は、アガサという《犯人》の造形である。彼女の人生は現在、嘘で塗り固められている。恋人にも友人にも、そして序盤で知人となるメガンにも、明らかな虚言を弄する。しかし、彼女が嘘を付く理由は、彼女がサイコパス=化け物であるからではない。彼女の心は、無いとか壊れているとかではなく、病んでおり、その原因は中盤で明かされる。これが本当に、掛け値なしに悲惨なのである。同じ境遇に置かれて病まないと言い切れる人間が、果たしてどれぐらいいるか。それを経由して、彼女はこのような、明らかに間違っていて、しかしどうしようもないほど切ない犯罪に手を染めた。彼女の嘘と犯罪は、魂の軋みや叫びそのものである。作者ロボサムは、彼女の病んだ内面描写に腕に縒りをかけており、読者の強いシンパシーを誘う。同情に値する犯人、真相が明らかになった後に、他の登場人物からも概ね同情される犯人。しかもダークヒーロー・ダークヒロインではない。これを実現す
るのはなかなか難しいだけに、ロボサムの上手さが際立つ。

 他方、メガンは《被害者》役である。三人目の子を妊娠中で、夫婦関係がギクシャクしているとはいえ、人生は恵まれている。アガサに比べたら圧倒的に幸福と言い切れる。しかしながら彼女もまた重大な秘密を抱えており、それを隠すために嘘を付いている。アガサがじわじわとメガンの生活に浸透してくる中で、個性も境遇も全く違う二人の人生の交錯や対比は、非常に鮮やかである。年度ベスト級の必読の一冊として、強く推薦したい。

 

杉江松恋

『怪奇疾走』ジョー・ヒル/白石朗他訳

ハーパーBOOKS

 綱渡り捜査小説の『狼たちの城』にしようか、韓国ミステリーの『誘拐の日』はどうだろうか、とあれこれ迷ったのだが、最後の最後に心変わりした。やっぱ、短篇集にしよっと。前月からなぜか短篇集がまとめて出ていて、G・K・チェスタトンの日本オリジナル作品集『裏切りの塔』やローレンス・ブロック編のアート小説集『短編回廊』、小森収が評論と作例を集めた〈短編ミステリの二百年〉は『5』が出るし、おひさしぶりのランズデールは『死人街道』が出るし、ととにかく大豊作だったわけである。

 その中で『怪奇日和』に続くジョー・ヒルの作品集を一押しに挙げる。表紙がタンクローリーの絵だったのでもしやと思ったら、案の定巻頭の「スロットル」はヘルズエンジェルズみたいなバイカーたちがタンクローリーに襲われて次々に轢き潰されていくというお話で、なんだよこれ、「激突!」じゃん、と巻末に付された作品ノートを見たら、案の定リチャード・マシスン作品へのトリビュート・アンソロジーに寄稿されたものだった。もちろんそのままではなくて、ミステリー的なひねりがあって最後まで気が抜けない。この作品と最後の「イン・ザ・トールグラス」だけ父親のスティーヴン・キングと共作である。「序文」でヒルと親父が死ぬほど映画『激突!』を見倒した話が書かれていたのでてっきりそれが理由かと思ったら、実はヒルはバイクを運転したことがなくてキングがバイカーだったからだということが判明してそれも最高だ。本書には母・タビサが成立に関わっている短篇も収録されているが、ここではどれか書かない。また、レイ・ブラッドベリ・トリビュートの作品も含まれているが、これまた書かない。読んで、ああ、あれが好きなのかヒルは、と納得するのがいいと思う。他の短篇も次々に嫌なものが人間に襲い掛かってくる話ばかりで、あまり同情できない性格に書かれている作品が多いものだから、やっちゃえヒルさん、と木村拓哉の声で言いたくなることは必至である。そういえばあのCMって元の出演者である矢沢永吉のファンはどう思っているんだろう。車に乗ってダッシュしようが世界の果てまで逃げようが怖いものはどこまでもついてくるよふふふという「闇のメリーゴーランド」は最も父親の作風に近い内容で、キング・ファンには特にお薦め。

 ひさしぶりに七人全員が分かれた月になりました。歴史ものあり、ここのところ快調な韓国ミステリーあり、バディものあり、ホラー短篇集あり、と内容も多彩ですので、どれかはきっとお気に召すかと。来月も楽しみです。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧