書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

北上次郎

『強盗請負人』スタン・パリッシュ/上條ひろみ訳

ハヤカワ文庫NV

 足を洗うつもりだった強盗団のリーダーが、もう一度だけ仕事をすることになるのは、娘を誘拐されたからだ。娘の命を助けたければ、と新たな仕事を強要されるのである。

 新鮮さのかけらもない話だ。これまでに何度も読んできたような話、といってもいい。ところが小説はストーリーではない。それを
証明するのが本書なのである。

 では、なにが重要なのか。ディテールだ。細部だ。巧みな人物造形を積み重ね、巧緻なプロットを作り上げ、ディテールをどんどん掘り下げていくと、この手垢のついた話が驚くほど躍動感に富み、新鮮な話に転化する。たとえば、主人公アレックスがなぜ強盗団を組織することになったのか。その回想がどん
どん挿入されていく。それは青春小説であり、友情小説であり、哀しい家族小説でもある。アレックスが知り合うダイアンにも過去があり、こちらも回想が挿入されていくと、二人の歳月が膨れ上がっていく。物語に厚みが生まれ、本来は紙上の人物にすぎない彼らが身近な、そして親しい知り合いになっていく
のである。

 さらに素晴らしいのはアクションだ。全編を緊密なアクションが貫いている。特にラストの迫力は特筆もの。アクション好きな読者にぜひ本書をおすすめしたいと思う。

 こういう物語はどこに着地するのかということも重要だが、この着地の仕方も実に新鮮であった。

 

川出正樹

『自由研究には向かない殺人』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』が素晴らしい。眠れる殺人×精緻な謎解き×ガール・ミーツ・ボーイ×青春小説×スモールタウン。好物てんこ盛りな上に、それぞれ上質な要素がうまく噛み合って、スタンダードなれど斬新な物語に仕上がっているのだからたまらない。今年一番のお気に入りに、ついに出会えました。

 五年前に起きた少女失踪事件。事件直後に自殺したとされる少女のボーイフレンドが、被疑者死亡かつ死体未発見のまま有罪と判断されたことに納得のいかない17歳の高校生ピップは、大学進学のために必要な資格を得るための自由研究の課題として、自分が暮らす町で起きた事件の真相を調べ始める。犯人と目された少年の弟と組んで事件関係者へのインタビューを続けるにつれて、小さな町のそこかしこにある暗い一角や知人友人の抱える秘密と懊悩を知ることになるピップ。やがて、彼女の周りに不審者の影が。

 小さな共同体の過去の悲劇を現在の主人公が探るというミステリの定番中の定番の構図を、SNS時代を生きて常に公正さを意識している高校生の少女の視点から見つめ、探り、思案し、謎を解き明かす物語に仕上げた点に何よりも感心した。主人公ピップの芯の強さと明るさが心地よい、苦さと爽快さが一体となった傑作。ラストで彼女が発した一言に込められた決意と自信に胸がすく。

 他にもおすすめが2作。一つは、五世紀前にノルウェー人司祭によって書かれた曰く付きの書がアメリカとノルウェーで起きた猟奇殺人の鍵を握るヨルゲン・ブレッケ『ポー殺人事件』(富永和子訳/ハーパーBOOKS)。もう一つは、デイヴィッド・ピース『TOKYO REDUX 下山迷宮』(黒原敏行訳/文藝春秋)。ヒエロニムス・ボッシュの三連祭壇画にも似た《東京三部作》の掉尾を飾るに相応しい深すぎる闇と、纏わり付くような情念と狂気。下へ下へ、闇の中へと落ちて堕ちて抜け出せない感覚に圧倒される。エルロイの〈暗黒のLA三部作〉に対置しうる、戦後昭和裏面史ミステリの新たな金字塔だ。

 

千街晶之

『彼と彼女の衝撃の瞬間』アリス・フィーニー/越智睦訳

創元推理文庫

 タイトルにある「彼」とは警察官、「彼女」とは記者。本来なら事件に対して客観的に向き合うべき立場のこの二人、実は事件の被害者をあらかじめ知っているのだ。しかも二人とも、自分と被害者との関わりの深さを周囲には隠そうとしており、その上、両者の言い分は微妙に食い違っている。二人の主人公のどちらも信用できない状況の中、事件は彼らの周囲の人間をも巻き込みながら意外な方向へと転がってゆく。各章のラストのクリフハンガー(続きを期待させる終わり方)が抜群に上手く、途中で真犯人を見抜いたつもりになってもついつい惑わされてしまう。技巧的なミステリを好む方にお薦めの一冊だ。

 

霜月蒼

『TOKYO REDUX 下山迷宮』デイヴィッド・ピース/黒原敏行訳

文藝春秋

 今月も選択に困る豊作の月だった。きっと複数人が挙げるだろう『自由研究には向かない殺人』がまず傑作だし、ナオミ・ヒラハラ改め平原直美の『ヒロシマ・ボーイ』も忘れがたい。リー・チャイルドの初期傑作『宿敵』(序盤に小さなサプライズがあるので、せっかくだから上巻のあらすじは読まずに読みましょう)も必読。スティーヴン・ハンターが短編を書くみたいな軽妙さで書いたペーパーバック・スリラー『ベイジルの戦争』も良きものでした。で、さんざん悩んだ末に『TOKYO REDUX 下山迷宮』を選びます。ジョセフ・ノックス『スリープウォーカー』は、奥付が9月なので来月に回しましょう。

 占領下の東京で国鉄総裁が失踪し、列車に轢かれた死体で見つかった「下山事件」。松本清張が『日本の黒い霧』でとりあげ、自殺説・他殺説・陰謀論が入り乱れる怪事件である。これをGHQのアメリカ人捜査官が捜査してゆくのが第一部。ピース節は抑えめの警察小説の趣なのに驚くが、第二部になると私立探偵と探偵小説作家を主要人物とした、まるで私立探偵小説と幻想探偵小説をミックスしたような物語になるのに驚く。舞台は前回の東京オリンピックの1964年である。そして昭和の最後の年に展開する第三部ですべてがしめくくられて、ここにはピース作品にはこれまでなかった静かな滅びの抒情のようなものが流れている。

 ノワールはハードボイルド的な文脈でばかり語られてきたが、本書のノワール性には明らかに日本式の探偵小説や推理小説も含まれている。さらには幻想的なアンチ・ミステリの気配もあるし、トウキョウのダークサイドも描かれ、スパイ・スリラーめいた政治的せめぎあいもあり、もちろんピースらしい強迫の語りも健在。イギリス伝統の植民地文学の流れを汲んでいるのも味わいを深めている。ある意味ピースの総決算だろう。個人的には第三部の抑えた悲しみと悔恨が心に残った。悲嘆と同時に老いの無惨さをも描く酷薄なまなざしもまた。

 

酒井貞道

『彼と彼女の衝撃の瞬間』アリス・フィーニー/越智睦訳

創元推理文庫

 矜持と情念の凝縮に灼かれるなら『わたしたちに手を出すな』、混沌と泥濘に溺れるなら『TOKYO REDUX』、平明な視界を爽快に泳ぐなら『自由研究には向かない殺人』である。北欧警察小説+サイコスリラーの王道を行く『ポー殺人事件』も忘れがたい。

 だが、ただ一冊となったら『彼と彼女の衝撃の瞬間』を選びたい。彼と彼女が交互に語る、イギリスの小さな町での殺人事件。だが物語はすぐに意外な展開を見せ始める。語り手たちにはそれぞれ、隠された事情があり、それが物語に強烈なツイストを加えていくのである。読者にとっては寝耳に水の新事実が次々と現れては、すぐに別の意外な展開に上書きされていく。先行きが一切見通せない緊迫感の強いストーリーは、終盤に至り、やっと何とか全体感が把握できるようになる。しかし、だがしかし、嗚呼しかし、そこで満を持して、
ミステリ的な《普通の》仕掛けが牙を剝くのである。ミステリを読む愉しみはここに極まる。

 なお本作は事前情報を入れずに読むべき長篇であり、それを慮ってか、あの東京創元社が、登場人物一覧を削っている。登場人物にどういう人がいるかという情報すら剥ぎ取って、本作品の展開力に賭けているのである。これを無視してストーリーをこれ以上具体的に触れることは、私にはできない。

 願わくば読者も、何も知らないまま読み始めていただかんことを。

 

吉野仁

『自由研究には向かない殺人』ホリー・ジャクソン/服部京子訳

創元推理文庫

 女子高校生が自由研究のテーマとして選んだのは、かつて町で起こった少女失踪事件だった。メール、フェイスブック、携帯電話などマルチメディアを駆使した捜査をおこない、それをそのまま作品に載せていく体裁のミステリは、すでにめずらしくもないだろう。だが、個人的な印象かもしれないが、この手のものはどうも読みづらいものが多かった。しかし、これは違う。デジタルぽい紙面や表記がなく自然な感じでとても読みやすい。しかも事件の関係者にインタビューしていくことで隠れた事実をあぶりだし、相棒となった少年とともに事件の核心に迫っていく展開ゆえ、これはまったく王道の探偵小説なのだ。つまり着ている衣装は斬新なれど中身は昔からある保証つきの面白展開で、はらはらどきどきもぬかりなく、真犯人に迫るラストまで楽しんだ。もう一作、アリス・フィーニー『彼と彼女の衝撃の瞬間』。こちらも小さな町で起きた事件をめぐる話だが、「彼女」と「彼」の章が交互に描かれ、当初、肝心なことが語られていなかったり、ふたりの語る事実が食い違っていたり、意外な関係が暴露されたりすることでサスペンスが高まるばかりか、予想外の展開を見せていく。またデイヴィッド・ピース『TOKYO REDUX 下山迷宮』は、三部作の掉尾をかざる長編で、戦後まもなく起きた下山事件を題材にしている。アメリカ占領下時代をはじめ何重もの闇を描きつつ、登場人物たちが復興した戦後の東京をはてどなくさまようことで、都市の地下に眠る大量の死者とそれをひきおこした源(みなもと)を考えさせられた。

 

杉江松恋

『ポー殺人事件』ヨルゲン・ブレッケ/富永和子訳

ハーパーBOOKS

 ぎりぎりまで迷ったのはベルギー作家ペーター・テリン『身内のよんどころない事情により』で、ミステリー読者の中に何%かいるであろうヘンテコな小説が好きな人には大歓迎してもらえる小説なのである。何層もの入れ子構造になっていて、確からしいことが何かがよくわからなくなってくるサスペンスフルな作品だ。中堅作家のエミール・ステーフマンが後に登場するであろう自分の伝記作者を煙に巻く曖昧な叙述を思いつく。それが題名になる「身内のよんどころない事情により」で、こんな記述があったら事実関係の把握に困るだろうというわけだ。そこから彼は伝記を書かれることを極端に嫌う架空の作家Tを想像の中で作り上げ、ディテールを与えて作中内現実を与えていく。その行為に没頭する姿が描かれるのが第一部なのだが、おしまいのところでとんでもないことが起き「身内のよんどころない事情により」が現実化してしまうのである。「よんどころない事情。その後」が書かれるのが第二部なのだが、ここでの語り手〈ぼく〉を単純にステーフマンと同一視していいかどうかは保留しなければならない。さらに本当に伝記作家が出現する、かなり未来の視点が第三部、といった具合で、かなり構成が入り組んでいる。書くもの/書かれるものの関係が入り組んだ作家小説であり、それぞれの現実を生きるというのはどういうことかという思弁も含まれていて読み応えがある。さらに事件小説の要素もあって強弁すればミステリーと言えなくもないとは思うのだが、叙述形式は人を選ぶので今回は遠慮しておく次第。というか紹介しちゃったけど。

 で、お薦めは『ポー殺人事件』である。書評でも触れたけど、この小説でいちばん巧いのは邦題だ。こういう題名をつけたらエドガー・アラン・ポーの小説だと思うでしょう。違うのである。最初の死体がポーの記念館で見つかるというだけなのだ。だけというか、主要登場人物がポーの研究者だったり、ポー蔵書とされる古書が話題の中心だったりはするけど、純粋なポー・ミステリーではないのである。巧いことやったな、と思いましたね。あ、これは褒め言葉、かもしれない。で、ポー要素はそのとおりなのだけど、これはプロットで読ませる小説なのでモチーフにそれほどこだわる必要はない。読んでいるうちに、そういえばこれ『ポー殺人事件』だったっけ、と頭から抜けてしまうことは請け合いだ。だってヴァージニア州リッチモンドとノルウェーのベルゲンで同じような損壊の仕方をされた死体が見つかって、大西洋の両側でそれについての捜査が始まる、なんて展開はたまらなくおもしろいでしょう。二つの線がどこで交わるか、という興味で中盤までは読ませていく。そこに中世のパリンプセストに関する話題が浮上してきて一気にビブリオ・ミステリーになり、容疑者候補としてある人物を読者の前に差し出しながら、最後は早回しのスリラー的展開で終わるのである。いろいろアイデアが詰め込まれていて非常に満腹感がある。ノルウェー・ミステリーの知らない作家、もっともっと訳してもらいたいっすね。なんなら『ドイル殺人事件』とか『クリスティー殺人事件』とか、一般読者の目を惹く題名をつけちゃってもいいから。ん、そんなことをしたらクリスティー財団にこっぴどく叱られるって。そうか。

 毎年一冊は出てくるYA要素もある謎解き小説に油断のならないサスペンスに犯罪小説、お待ちかね三部作の最終作と今月も豊作でした。読書の秋、次月はどんな作品が出てくるのでしょうか。お楽しみに。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧