書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
川出正樹こと翻訳マン1号と杉江松恋こと翻訳マン2号がその月に読んだ翻訳小説・ミステリーの中からお気に入り3冊を薦める「翻訳メ~ン」、10月号も更新されました。こちらのyoutubeチャンネルからお試しください。二人合わせて翻訳メン!
というわけで今月も書評七福神始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
川出正樹
『凍てつく海のむこうへ』ルータ・セペティス/野沢佳織訳
岩波書店
素晴らしい物語を読んだ。今月は年間ベスト級の超絶技巧謎解きミステリ三作――ジャック・カーリイ『キリング・ゲーム』(文春文庫)、ジェフリー・ディーヴァー『スティール・キス』(文藝春秋)、ミシェル・ビュッシ『黒い睡蓮』(集英社文庫)――の中から、どれにしようか悩ましいなぁ、と思っていたのだけれど、最後にルータ・セペティスの歴史小説『凍てつく海のむこうへ』を読み終えた瞬間確信した、これしかない、と。
第二次世界大戦末期の1945年1月、東プロイセンに侵攻してきたソ連軍から民間人や傷病兵をバルト海経由で本国ドイツに避難させるべくナチス政権が敢行した〈ハンニバル作戦〉。その最中に起きた史上最大の海難事故〈ヴィルヘルム・グストロフ〉号の惨事を核に、四人の若者が生き延びるべく奮戦する様を活写した本書は、史実に根ざした戦争小説であると同時に、苛酷な時代を生きざるを得なかった男女の青春の物語であり、はたまたサスペンスフルな冒険小説でもある。
「罪悪感は狩人だ」という一文で始まり、続いて「運命」「恥」「恐怖」を〈狩人〉と痛感する四人の視点から語られる物語は、迫り来る驚異が推進力となり、各々の語り手が抱えた秘密に対する興味が牽引力となり時の経つのも忘れて読み耽ってしまった。
2017年〈カーネギー賞〉を受賞した本書は、ミステリとして書かれたわけではないけれども、翻訳ミステリー大賞シンジケート・サイトの読者の方には必ずや心に響くものがあると思う。そして本書を気に入った方は、姉妹編の『灰色の地平線のかなたに』もぜひ手に取ってみて欲しい。
酒井貞道
『黒い睡蓮』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳
集英社文庫
深く沈み込むような筆致、色恋沙汰のフォーカスと、
千街晶之
『黒い睡蓮』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳
集英社文庫
ジャック・カーリイとジェフリー・ディーヴァーとマイクル・コナリーが同じ月に出たので三強豪の優勝争いになるかと思いきや、思わぬダークホースが勝利を手にした……というのが十月の印象だ。画家モネが晩年を過ごしたジヴェルニーの村で起きた眼科医惨殺事件。動機は愛憎のもつれか、美術品をめぐるトラブルか。村に住む十歳の少女、三十六歳の小学校教師、八十歳を超えた謎の老女は、それぞれ事件とどう関わっているのか……。ジャプリゾやカサックら、往年のフランス・ミステリを想起させる極めて技巧的なミステリであると同時に、読み終えた後に深い感慨に浸れる豊かな物語でもある。年季の入ったミステリファンなら似たタイプの前例を思い浮かべるかも知れないが、同系列の作品としては本書が最高水準と言っていいのではないか。
吉野仁
『黒い睡蓮』ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳
集英社文庫
印象派を代表する画家モネがひたすら睡蓮を描いた村として知られるジヴェルニーを舞台に、ある眼科医が奇怪な形で殺された事件をめぐるミステリ。村を徘徊する老女が語りだすなど、怪しさ満載の物語。二年前に話題となった『彼女のいない飛行機』の書き手だけに、驚きの結末がまっている。いささか作為のすぎる部分は気になったものの、そこはフランス産ミステリなので笑って許してしまった。というより、ある人物の痛切な思いが残る話で、単に題材や趣向でこしらえたものに終わってないところが良し。そのほか、『パインズ』に始まる三部作でブレイクしたブレイク・クラウチの新作『ダーク・マター』もまたトンデモない奇想による異世界での冒険を愉しませてくれた。奥付は11月刊ながらも文遊社によるジム・トンプスン第一弾『天国の南』につづき、間をおかずに『ドクター・マーフィー』が刊行され、狂喜乱舞。
北上次郎
『少女』M・ヨート&H・ローセンフェルト/ヘレンハルメ美穂訳
創元推理文庫
「犯罪心理捜査官セバスチャン」シリーズの弟4作である。前作『白骨』のラストを批判したのは、小説の終わり方として、安易で古くさく、さらに下品であるとの1点だったが、それを除けば作品自体は評価している。同じ手をまた使ったらイヤだなという不安もあったが、今回は大丈夫。このシリーズは事件の捜査と、警察官たちの私的ドラマをともに描いていくところに特色があるが、今回はその私的ドラマの量が多い。セバスチャンだけにとどまらず、さまざまな警察官の感情が交錯するのだ。セバスチャンは相変わらず女の尻を追いかけるのに忙しいが、それでも、そうではない顔を見せる局面が興味深い。このシリーズのピークともいうべき弟2作『模倣犯』には及ばないものの、前作の失点を取り返して、まずは水準作といっていい。
霜月蒼
『罪責の神々』マイクル・コナリー/古澤嘉通訳
講談社文庫
マイクル・コナリーは衰えない。ここまでキャリア長く、ここまでミステリとしての質も小説としての力感も落とさずに書き続けている作家は、今やコナリーとディーヴァーくらいではあるまいか。この新作は弁護士ミッキー・ハラーもの。正統ハードボイルドの書き手としてのコナリーの真価は、ボッシュ・シリーズよりこちらのほうがよく出ているのではないか。それはこのシリーズが一人称文体だからではなくて、軽やかに都市を移動し、証人たちの物語を収集し、警官としばしば対決する個人が真実を追う物語だからで、ボッシュ・シリーズは巷間いわれるほどハードボイルドではないと思っている。
もちろんディーヴァー、カーリイ、ジム・ケリーにならぶ現代謎解きミステリの名手コナリーなのでミステリとしてのサプライズも手抜きはないし、敵の暴力性はいつになく増しているし、そしてもちろんクライマックスは法廷シーンである。軽やかなハードボイルドと法廷ものの融合という点で、このシリーズはA・A・フェアのドナルド・ラム・シリーズの正統後継者になったのではないかと思わされた。本シリーズのファンは、A・A・フェアの『ラム君、奮闘す』とか『大当たりをあてろ』なんかをお読みになるとよろしいのでは。
杉江松恋
『火の書』ステファン・グラビンスキ/芝田文乃訳
国書刊行会
自分がなぜステファン・グラビンスキが好きなのかということを機会があるごとに言ったり書いたりしてきたので一部の人には繰り返しになってしまうが、それでも書く。この作者が邦訳されて本当によかった。
これまで紹介されたグラビンスキの短篇集は『動きの悪魔』『狂気の巡礼』があり本書で3冊目になる。各巻ともモチーフが統一されており、『動きの悪魔』では鉄道、『狂気の巡礼』では家や空間であった。本書は題名どおり火のモチーフが用いられており、収録作の半分近くが火事を題材にしている。それ以外にも煉獄から差しのべられた手による焼き印(装丁はそれを模している)、煙突掃除の奇譚、花火師の恋、精神病院で信仰を集めるネオ拝火教など、多様な火にまつわる物語が収録されているのである。中でもお薦めしたいのは「有毒ガス」である。いわゆるストレンジ・ストーリーであり、こういうことを思いつく人はいるだろうが実際に書かれたものを読むことはあまりない、という種類の小説だ。本国ではその内容から不道徳のそしりを受けたというが、むべなるかな、である。
それ以外ではもちろんディーヴァー、カーリイ、コナリー、ビュッシと謎解きミステリーの豊作月であり、この4作を読むだけで1月がおしまいという人もいるだろう。中でも特記しておきたいのはディーヴァー『スティール・キス』で、このプロットの強さはただごとではないと思う。枝葉の部分が多いので一見複線的な話にも見えるのだが、実は中心となる着想に向かってまっしぐらに語りが行われており、幹の部分が実に太い。小説家志望者に薦める本はいくつもあるが、これはベストセラー作家志望者こそ読むべき一冊というべきである。
その他に読んでものではJP・ディレイニー『冷たい家』、W・ブルース・キャメロン『真夜中の閃光』が収穫だった。前者は古典的なスリラーのプロットを現代版として換骨奪胎した作品で物語構造を分析しながら読むとおもしろい。後者は題名だけだとわからないが、ある日突然脳内に自分は殺されたと主張する男の意識が宿ってしまい、その解明のためにうろうろすることになるという変形の相棒小説である。『冷たい家』はロン・ハワード監督で製作決定、後者は「僕のワンダフル・ライフ」原作『野良犬トビーの愛すべき転生』の作者ということで映画ファンにもご縁のある作品である。
全般的に謎解き趣味の強い作品が人気を博した一月でした。各種ランキング投票も終わり、各社とも年末商戦と共に2018 年度に向けてのスタートを切りつつあるように思います。次はどんな作品が選ばれることか。また来月お会いしましょう。(杉)
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