——女は黙って黒ラベル!

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:スキージャンプの連勝とか、テニスの世界ランク1位など、年が明けてから驚きと喜びの連続でしたが、最後は全部、嵐に持ってかれた感のある1月(天気の話ではありませんので、念のため)。
 翻訳ミステリー読書会は遠征ありが大前提(われわれが創造した新しい読書の楽しみ方ですなぁ)。ゆえに嵐のライブスケジュールを踏まえて読書会の日程を決めるのが常でありました。熱心なファンでなくとも活動休止は寂しいです。よいお休み期間になりますようにと祈るばかり。あ、でも気を緩めてはいけないのです。われわれにはエグザイル、ジ・アルフィーという二大要注意案件があるのです。

 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、今回はイキのいいシカゴの女性私立探偵V・I・ウォーショースキーにご登場願いましょう。サラ・パレツキーの『サマータイム・ブルース』。1982年の作品です。

 シカゴの女性探偵V・I・ウォーショースキー(通称ヴィク)のもとに、人目を忍ぶようにやってきた銀行家の依頼は、息子を組合活動にのめり込ませた交際相手の行方を捜してほしい、というものだった。楽な仕事と思えたがさにあらず。彼らのアパートメントを訪ねたヴィクを待っていたのは、その息子の無残な死体だった。さらに、依頼人が当の銀行家とは別人であることも判明した。独自に調査を始めるヴィクだったが、ほどなくギャングの急襲を受け、事件から手を引けと脅される。
 卑劣な輩に恐れず怯まず立ち向かう、V・I・ウォーショースキー・シリーズ第一弾。

 サラ・パレツキーは1947年アイオワ州生まれのアメリカ人。シカゴ大学を卒業後、働きながら創作活動を続け、この『サマータイム・ブルース』でデビューしました。
 シカゴの女性探偵V・I・ウォーショースキーは人気シリーズとなり、現在も続いています。同時期に誕生したスー・グラフトンのキンジー・ミルホーンシリーズとともに、女性私立探偵モノの一時代を築いたといえましょう。
 シリーズ第5作『ダウンタウン・シスター』でシルヴァー・ダガー賞を、同じく第11作の『ブラック・リスト』でゴールド・ダガー賞を受賞しています。また女性作家地位向上のための団体〈スターズ・イン・クライム〉の創設にも関わり、初代会長を務めました。

 まずは、主人公V・I・ウォーショースキーの簡単なパーソナルデータを見てみましょう。正式な名前は、ヴィクトリア・イフィゲネイア・ウォーショースキー。親しくなった人には「ヴィク」と呼ばせる。腕っぷしの強さは、気の優しい大男だった元警官の父から、滅法気が強いのはイタリア系の母から受け継いだものらしい。掃除は苦手で、使った食器はしばらく溜めておくタイプ。ついでに経費の支払いも溜める。少なくとも3回目の請求書がくるまで。どんな時でも食欲旺盛。好きな酒はジョニーウォーカーの黒ラベル。シカゴカブスの大ファン。
 
 これだけで「ヴィク、かっこいい!」って思いません? 仕事はもちろん、生き方全般にわたり、堂々とした雰囲気をまとっている女性です。確固とした自分を持っていて、暴力や圧力を受けても納得するまで喰らいつくバイタリティ溢れる女探偵。いやぁ、実にカッコいい。山本やよいさんの翻訳の力も、ヴィクのオーラを高めているように思います。

 そうそう、このシリーズについては山本さんご自身が、当サイトでガイドをお書きになっているので、ぜひご一読を。「初心者のためのパレツキー入門」
 探偵としての行動原理はもちろんながら、私はなによりも健啖家としてのヴィクが気に入っています。体調が悪くても、少し食べたらノってきて、結局アイスクリームまで食べちゃったー、という姿はパワフルそのもの。気持ちいいな、肉食女子。最近、油ものの消化がツラくなってきたおばちゃんの眼に、ヴィクはとっても眩しくってよ。

 大ピンチの時でも(背中に汗をかきながら)軽口を叩き、何があっても自分の流儀を変えない……これはもう立派にハードボイルドだと思うけど、加藤さんの判定やいかに。

 

加藤:早いもので、このあいだ年が明けたと思っていたら、もうすぐバレンタイン。気ぜわしいったらありゃしない。そして、ここにきてビッグなニュースが次々と。ただでさえ、新天皇即位に消費税値上げ、そしてラグビーワールドカップと、イベントてんこ盛りなのに、2019年は早くも嵐の予感です。

 そんなわけで、真冬だけど『サマータイム・ブルース』。山本やよいさんの「初心者のためのパレツキー入門」を改めて読むと、「女性探偵が主人公のハードボイルド」という表現にも時代を感じるなあ。

 畠山さんの振りにマジレスすると、ハードボイルドかどうかと言われたら「その心意気やハードボイルド」と確かに言いたくなるけど、ジャンルとして「ハードボイルド」の流れに括るのは可哀そうだと思うのです。ヴィクだって、トレンチコートを着たおっさん達の列に並びたいとは思ってないだろうし。
 余談ですが、探偵といえばトレンチコートのイメージを決定的にしたマーロウは、作中でトレンチコートを着たことは一度だけ、デビュー作『大いなる眠り』のみなんですってね。『巨人の星』の星一徹もちゃぶ台をひっくり返したのはアニメで1回、原作の漫画では一度もないのだとか。イメージって怖いですねえ。
 えーと、なんの話でしたっけ? そうそう、ハードボイルド。
 70年代に多様な拡がりを見せ、ハメット系ハードボイルドの枠に収まらなくなったソレ系のミステリーを、日本では小鷹信光さんが〈ネオ・ハードボイルド〉と命名しましたが、本国アメリカでは「私立探偵小説=PIノベル」と呼ぶのが一般的だったようです。
 そんなわけで、ハードボイルドであるかどうかというよりも、この当時、「私立探偵という職業=生き方を選ぶ主人公」というのが一つのアイコンとなっていたのではないでしょうかね。

 30過ぎの主人公、元弁護士の私立探偵ヴィクが、怪しい依頼人から怪しい調査を頼まれ、事件に巻き込まれてゆくという王道のストーリー。やがて自分がハメられたと気付いたとき、ヴィクに残ったのは、釈然としない謎、被害者たちの無念、そしてプライドに激しく訴える怒りでした。マフィアは事件から手を引けと脅してくるし、そもそもお金を払ってくれる依頼人はもういない。こんなときに、どのような行動をとるかが、その探偵のキャラクターの見せ所かもしれません。

 

畠山:何度聞いても、途中からスーッと意識が遠のいていくハードボイルド講座。自分から尋ねておいてどういう了見じゃ、とボディーに一発くらいそうですが(実際に何度か小突かれている)、まちがいなく言えるのは、私なら、ちゃぶ台ひっくり返す野郎に食事は出さん。

 銀行家の息子が殺されて、行方不明になっている彼の恋人は労組トップの娘とくれば、裏にあるのはキタナイオトナの事情かなと想像はつくわけで、そこはもうひとひねり欲しかったか気がする。でも、見どころはそこじゃないですね。ヴィクが単身で大きな社会構造に対して切り込んでいく姿。これこそが魅力です。
「自営業」の「女性」が大企業やマフィアを相手に啖呵を切るのですから、半沢直樹の倍返し的なワクワクが随所で見られて、楽しいことこのうえなし。

 しかも、ヴィクには頼もしい協力者がいます。その筆頭が女医のロティ・ハーシェル。医師という職業に人生を捧げきっている、女性版赤ひげ先生みたいな人です。ヴィクに対して多くを問わず、必要なものをすっと差し出して診療所に戻っていく……く~~シビれる! 興味深かったのは、ヴィクを匿ったために自分の部屋も荒らされた時、ロティが大いに怒ったことです。怯えも、泣きごとも、恨み節もなし。こんな理不尽は許せない、とひたすら怒る。加藤さんも触れているように、ヴィクの行動のベースにも「怒り」があるし、行きがかりでヴィクの依頼人となるジル・セイヤーも、欲得ずくの家族に対し怒り心頭に達している少女です。真っ当なものを求めて、堂々と怒りを表現する女性たち。こんな人たちが世の中を変えていくんだなぁと、惚れ惚れしました。
 そういえば私の存じ上げている90オーバーのご婦人方は、総じてよくお怒りになられる。私も激怒力に磨きをかけねば!
 
 そんな女性陣に対して、男性キャラはやや分が悪いのですが、ちゃーんと「推しメン」がいました。ロティの診療所スタッフの甥っ子(清々しいほどのとってつけたポジション!)ポールはいいヤツですよ。一見すると「ダメだこりゃ」な風貌ですが、知性のきらめきはハンパなく、度胸も満点、性格体格ともによし。ヴィクをして「感じのいい若者だ」と言わしめた青年です。これですよこれ! 「感じのいい若者」!
 最近歳のせいか、「苦みばしった二枚目」とか「水も滴るいい男」には、とんとときめかなくなりましてね、ずきゅーん! とくるのは「感じのいい若者」なんですよ。ああ、心洗われ胸ときめくハッピーワード「感じのいい若者」! (そういう意味では、ジョー・イデの『IQ』はオススメですわよ、奥様)

 

加藤:最近のお勧めといえば、ジョーダン・ハーパー『拳銃使いの娘』が面白かったなあ。昨日まで学校に通っていた11歳の少女が、拳銃使いの血に目覚めてゆくというお話。「犯罪者」や「無法者」ではなく、ましてや「ドS」ではない「拳銃使い」ってワードを使ったセンスに感服いたしました。

 さて、『サマータイム・ブルース』。シリーズ第一作だけあって、粗い部分は結構目につくんですよね。でも、それを補って余りある勢いと熱量で読まされてしまうというか、突っ込む隙を与えないというか。なんだか上手く誤魔化されているみたいな気がしないでもなかったけど、終わってみれば、まあいいかという感じ。

 そして、私立探偵小説としての本書の一番の特徴は、やはり主人公が若い女性であること。腕力に頼らないタフさ、したたかさ、しなやかさを武器に、犯罪や不正、そして世の不条理や男性社会に堂々と対峙してゆくところは、男が読んでも気持ちいいし、かっこいい。でも、シカゴ大卒の元国選弁護士という設定の割に、ヴィクにクレバーさを感じさせないのはどうなのよ。「腕力に頼らないタフさ」って書いたばかりけど、ものごとを腕力で解決しがちだし。
 とはいえ、ただの向こう見ずではなく、そこにはやはり男の探偵とは違う覚悟みたいなものがあって、女性作家にしか書けない機微があるから成立しているという気がします。堪能いたしました。

 以前、このミステリー塾で取り上げたP・D・ジェイムズのコーデリアや、ヴィクと同時期に登場したスー・グラフトンのキンジー・ミルホーンなど「かっこいい女性探偵」が、すでに「ウーマンリブ」という言葉がすでに廃れた頃に登場したのは興味深いですね。
 今も昔もミステリーのマーケットを支えている女性たちのニーズが、やっと現実になったということでしょうか。

 そんなわけで、とても楽しんだ『サマータイム・ブルース』でしたが、最後にあえて言わせてもらうと、ロバート・B・パーカーの『初秋』にどうしても納得がいかないのと同じ理由で、プロットの一部が引っかかりました。あえてどこかは言わないけれど。(完全に好みの問題だし)
 そして、こういうことをネタバレ全開で語り合うのが読書会の醍醐味。今年も皆さんのご参加を全国の翻訳ミステリー読書会がお待ちしておりますよ!

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

 サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキー・シリーズ開幕は1982年、前年にアメリカ合衆国の第40代大統領に就任したロナルド・レーガンによる自由主義を基調とした経済政策、いわゆるレーガノミクスが推進される中でのことでした。レーガン政権は「強いアメリカ」復活を旨とし、実際に内外でそれを成し遂げましたが、反面彼の行った諸政策によって貧富の差は拡大し、社会に潜在的なひずみを蓄積させました。

ウォーショースキーはそうした不健全さを告発するための「眼」として生み出された主人公です。権力を持つ者が人間性をないがしろにするような誤りを起こし、誰かが虐げられることになる。そうした理不尽な出来事に対し、個人の立場から抗議の声を発するのがウォーショースキーなのです。私立探偵小説の世界には彼女以前にも多くの英雄が出現し、不正を糺すために活躍してきました。パレツキーが作者として優れていたのは、主人公が対するものが社会であり、その支配者であるということを鮮明に打ち出して見せた点でした。パレツキーは〈シスターズ・イン・クライム〉を設立するなど、女性作家の地位向上について多くの貢献を果たしていますが、これは作風と無関係ではありません。ミステリー文壇内に隠然と存在していた性別間格差は、パレツキーにとってウォーショースキーが直面していたのと同様の、解決すべき問題だったのです。

ウォーショースキー・シリーズのもう一つの功績は、アメリカが移民社会であるということを作品内ではっきりと示したことです。ウォーショースキーの父はアイルランド、母はイタリアからの移民であり、ポーランドとユダヤの家系を受け継いでいます。彼らが合流し、市民権を得たのが合衆国という国家であり、その権利は絶対に守られなければならないということ、そして合衆国民となった後も、それぞれの民族としての出自と文化は守られなければならないということがウォーショースキーの行動原則になっています。パレツキー以前にももちろん、こうした正義のありように自覚的であった主人公は存在しましたが、探偵のキャラクターと不可分のものとしてそれを描いた作家はやはりいなかったように思います。社会に対する視線と自己の拠って立つ基盤への強い意識こそが、パレツキー=ウォーショースキーの個性を際立たせている最大の特徴と言うべきでしょう。このシリーズを女性探偵ものとして分類するのは、作者の意図を反映して正しいことでもあるのですが、探偵の存在によって示されている重要なテーマを失念してはいけないのです。ウォーショースキーが女性であることには意味があります。それは単なるレッテルではないのです。

さて、次回はディーン・R・クーンツ『ファントム』ですね。こちらも楽しみにしております。

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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