おかげさまでついに連載50回。そして平成最後の読書日記になります。なんとも感慨深いです。
新しい元号は「令和」。こうやって書いても全然変換できないのが新鮮です。いったいどんな時代になっていくのでしょう。昭和生まれなので、三つの時代を生きることになり、なんだかすごく長生きしてしまったような気がします。
さて、平成最後の翻訳ミステリー大賞の本投票はまもなく締め切りです(4月12日)。翻訳者のみなさま、投票をお待ちしています。そしてどなたさまも、4月14日は授賞式&コンベンション@蒲田で盛り上がりましょう。
3月の読書日記はまたもや本年度の候補作が登場です!
■3月×日
子供は家庭にとっても社会にとっても大切なもの。子供が犠牲になった事件が起こるたび胸が痛むのは、何も子供を持つ人ばかりではない。
レイラ・スリマニの『ヌヌ 完璧なベビーシッター』は、見た目は薄いけど内容的にはずっしりと重い本だ。若い夫婦が雇った完璧なベビーシッター、ルイーズの心の闇と、仕事と子育て、移民、格差など、フランスの社会問題を浮き彫りにした作品だが、心理サスペンスでもある。二〇一六年のゴンクール賞受賞作。
「赤ん坊は死んだ。ほんの数秒で事足りた。」というショッキングなプロローグで、作品の方向性はある程度つかめるが、ほんとうのところは何があったのかということはぼやかしてある。読者はそのあと時系列を前後しながら語られるエピソードをたどりつつ、子供とベビーシッターと親のあいだに何があったのかをそれぞれ推理することになるわけだが、幸せだったはずの三者のあいだに不穏な空気が流れはじめる後半は、一ページたりとも目が離せない。それでも、ルイーズという人物のイメージはぼんやりとしか想像できず、なんとも不思議だった。
ヌヌとは乳母という意味のフランス語「ヌーリス」が子供ことばとして定着したもので、いわゆるベビーシッターのこと。フランスの出生率が上昇したのは、このヌヌの存在が大きいという。ヌヌはアフリカからの移民が多いらしいが、ポールとミリアム夫妻が雇う本書のヌヌ、ルイーズは白人で、妖精や人形に例えられることもある可憐で美しい女性。とくにセレブというわけでも、上昇志向が高いというわけでもなかったポールとミリアムだが、だれもが羨む完璧なヌヌを雇っていること、そのヌヌをバカンスに連れていったりプレゼントをしたりすることは、彼らにとってステータスとなっていく。だが、結局はそれがルイーズを追い詰めていったのかもしれない。
働く母親が多いフランスでは、父親もさぞかしイクメンなのかと思いきや、ポールほぼ何もしなくて全然イクメンじゃない。でも、ヌヌがいるおかげで夫が何もしなくてもミリアムは「キーッ!」とはならずにすんでいる。ヌヌはなくてはならない存在なのだ。
ミリアムとポールがアフリカからの移民のマグレブ人(著者のスリマニ自身もそうだ)で、ヌヌが白人という逆転の設定もおもしろい。極貧のなかで育ち、家族の愛情にも恵まれなかったルイーズは、孤独を抱えながら相談できる人がだれもない。でも、家事や子供の世話はびっくりするほど完璧で、なんとなくドラマ「家政婦のミタ」を思い出した(子供の世話だけでなく、料理も洗濯も掃除もやってくれる)。ルイーズの人生は想像を絶するつらい経験や理不尽な出来事の連続だ。髪の毛一本ぶんほどの負荷が加わっただけで一気に崩れてしまいそうな、ぎりぎりのところでなんとか耐えていたのだろう。
プロフェッショナルな関係にミリアムが友だちの甘さを持ちこんだのもよくなかったのかもしれない。まあ、気持ちはわかるけどね。ルイーズがそこに自分の居場所を求めた気持ちも。でも、いつしかその関係は微妙に変化していき、仕事を失いたくないからミリアムにもうひとり子供を作らせようと画策するシーンはかなり怖い。結局どちらも自分のことしか考えなかったことによる悲劇なのだろうか。さまざまなことを考えさせられる作品だ。
■3月×日
仰げば尊しわが師の恩。師弟関係っていいなあと思える佳作、ロバート・ベイリーの『ザ・プロフェッサー』は、偉大な教師と教え子たちの人生教室とでも呼びたくなる、爽快で胸熱な法廷スリラーだ。
アラバマ大学ロースクールの名教授であるトム・マクマートリーは六十八歳。最愛の妻に先立たれ、教え子とのちょっとした諍いがもとで大学を追われ、しかも膀胱癌と診断されたトムは、生きる気力を失いかけていた。そんな彼のもとに、かつての恋人ルース・アンが現れる。トレーラートラックとの衝突事故で娘夫婦と孫を一度に失った彼女は、トラック会社を相手取って訴訟を起こそうとしていた。トムはその案件を、個人で弁護士事務所を構える、ロースクールを卒業して一年目の二十六歳の青年、リック・ドレイクに託す。リックはトムが大学を追われる原因となった教え子だった。しかもトムとの一件のせいで大手法律事務所から内定を取り消され、トムを恨んでいた。
いやほんと、ええ話や。痛快法廷エンタテインメントということばがぴったり。原告側にも被告側にも証人たちにもそれぞれにヘビーなドラマがあり、告発の行方だけでなく、人間ドラマのおもしろさが詰まっている。
裁判自体はありがちな内容だし、できすぎっちゃできすぎだけど、そこがいい。若さにまかせて突っ走るリックを、いぶし銀の実力でフォローするトム。最高にかっこいいじゃないですか。
つらいことがあっても、もうだめかもしれないと思っても、老いも若きも、あきらめてはいけない。誠実にがんばっていれば、そして仲間がいれば、きっと光は見える。ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために。教授として、人間として、人生の師としてのトムの魅力的なこと、教え子たちのけなげなこと、そして悪役の悪役らしいこと。なんかこういう話、ほっとする。読みながらごく自然に頭のなかで映像化できるので、読み終えると同時に映画を一本観たような気分になれます。
人気キャラはおそらくたよりになる教え子のボーセフィスだと思うけど(二作目はこのボーが主役らしい)、わたしの推しメンはなんといってもムッソ。カバーイラストにもちゃんと描かれています。エピローグはもう涙涙。そして、ボーからのプレゼントでさらに涙が。とにかく、ええ話。
■3月×日
またまた翻訳ミステリー大賞の候補作が出てきてしまった。それは、ジョーダン・ハーパーの『拳銃使いの娘』。
ノワールと呼んでいいのか微妙なところだが、クールでテンポがよくて爽快な読後感を約束する新しいタイプのノワールだ。いいやつも悪いやつも警察も小物もひっくるめて、登場人物がみんな本心丸出しで、かっこつけていないところがいい。かっこつけていないところがかっこいいのだ。
まず、父と娘がとにかくクールで熱い。
十一歳の娘のポリーは登場シーンの「あたしは金星から来たんだ」がまずクール。「一見静謐そうに見える」けど、その下にあるのは「ごつごつの岩と、吹きすさぶ暴風だけ」という金星は、少女の秘めたパワーを予感させる印象的なアイテムだ。それだけでもう、ついていきます、という気持ちになった。持っていかれた。久しぶりだわ、この感じ。しかも十一歳の女の子に。
父親のネイトは刑務所暮らしが長く、娘に会うのは五年ぶり。当然初めは娘をどう扱えばいいのかわからず、怯えさせるばかりだったが、ギャング組織から娘を守るために体を張る父親を見て、べらぼうに頭のいいポリーは子供ながらに事情を察し、しだいに信頼を寄せていく。ポリーが生きるすべとして犯罪と暴力を身につけていく過程では、多くの人が映画《レオン》を思い出すだろう。よしよしいいぞという高揚感と、こんなことさせたくないのにという親心を同時に感じて、ネイトもこんな気持ちだったのかと。ポリーが凶暴な犬と戦うシーンなんて、知らないうちに息を止めて読んでいて、死ぬかと思った。
そしてとにかく、熊に尽きる。この作品は熊なしには語れないだろう。身長三十センチ、体は茶色で、手足の裏と耳と鼻面が白くて、黒いガラスの目が片方しかない熊のぬいぐるみなのだが、彼(?)が実にいい仕事をするのだ。それはもう惚れ惚れするくらいに。ぎこちなかった父娘のあいだを取り持ったのもこの熊だし、全編を通して大活躍で、助演男優賞をあげたいくらい。ポリーがあれほど大切にしながら名前をつけていないところ、みんなが熊を無視しないところ(大の男のネイトが大事なシーンで「熊を持っていけ。あいつは役にたつ」と言うところがとくに好き)がいい。熊という存在そのものの微笑ましさが物語の非情さを際立たせる。謝辞にも「ありがとう、熊。きみは本物じゃないが、真実だ」と書かれていて、なんかもう、こういう感覚、無条件に好きだ。わたしも愛してるわ、熊。
テンポがよくて、コンパクトななかに荒唐無稽な魅力がぎゅっと詰まった一冊。著者のハーパーは人気テレビドラマ《メンンタリスト》《ゴッサム》などの脚本を手がけたクリエーターで、本書はハーパー脚本で映画化が進行中とか。楽しみ。
■3月×日
ミステリ×ファンタジーの独特な世界観でわたしたちの心を鷲掴みにしたフランシス・ハーディングの『嘘の木』。二作目の翻訳紹介となる『カッコーの歌』は、それよりまえに書かれたものだという。『嘘の木』はミステリ色が強かったけど、『カッコーの歌』はがっつりファンタジーで、まったくちがった味わいが楽しめます。
舞台は第一次大戦直後のイギリス。十一歳のトリスは、池に落ちて引きあげられてから自分の記憶に違和感を覚えるようになる。食べても食べても空腹は収まらないし、九歳の妹のペンはトリスを「偽物だ」と言って敵意をむき出しにする。そして耳もとでささやかれるカウントダウンの声。謎の建築家(アーキテクト)や下腹界(アンダーベリー)、鳥もどきやはぐれもの(ビサイダー)や仕立屋のハサミ。さまざまなものと対決し、ぼろぼろになりながら、真実を突き止めようとする少女たちの冒険を描く。
おとぎ話のワクワク感がたっぷり詰まっていながら、どこかダークな家族の物語。ゴシックホラーの要素も感じられる。
トリスの底抜けの食欲が最初はかわいいと思ったけど、庭の腐ったりんごをむさぼるあたりから笑い事じゃないんだと気づいて、だんだん怖くなってくる。最初は読者もトリスも「??」なことばかりだが、ペンや戦死した兄セバスチャンの婚約者ヴァイオレットといっしょに冒険するうちに、はぐれものたちの世界と接触し、さまざまな謎が解明されたりされなかったり……善と悪のあいだにはあいまいな部分があり、それを放置することでファンタジーが生まれるようにも思える。
トリスはヨーロッパ伝承でよく出てくる取り換え子を思わせるところもあるミステリアスな存在だが、自分を犠牲にしてまでペンやヴァイオレットや本物のトリスを思いやる姿はけなげで、とくにペンへの愛情の深さには姉妹のいないわたしでもうるっときた。憎まれ口ばかりきく激しい気性のペンも、ときに素直にときに天邪鬼に、子供らしさ全開で物語に挑んでいる感じがして好きなキャラだ。
宮崎駿もいいけどティム・バートンに映画化してほしいなあ。
■上記以外で特筆すべきなのは
M・C・ビートンの〈英国ちいさな村の謎〉シリーズ11弾『アガサ・レーズンは奥さま落第』。いつもおもしろいけど、今回はこれまででいちばんおもしろくて、ものすごいスピードで読んでしまった。大満足の読後感。タイトルでバレてるけど、ついに結婚したアガサがとんでもない事件に巻き込まれます。
上條ひろみ(かみじょう ひろみ) |
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英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書は〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ19巻『ウェディングケーキは待っている』。 |
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