みなさま、こんにちは。
 少しずつ日常が戻りつつある今日このごろですが、みなさまいかがおすごしでしょうか。ふだんからステイホームの翻訳者はそれほど大きな変化もなく日々すごしていましたが、気づけばもう夏。初めての夏withマスクで熱中症が心配です。
 それでは六月の読書日記をどうぞ。

 

6月×日
 出版される本の全てがベストセラーになり、ポーランドで最も人気のあるミステリ作家だというレミギウシュ・ムルス。一九八七年生まれとまだ若いが、弁護士でもあるらしい。ムルスの『あの日に消えたエヴァ』(佐々木申子訳)はスピーディな展開で読者を思いもよらない境地に導く、驚きの仕掛けが詰まったエンターテイメント作品だ。

 ポーランドのミステリといえば最近ではジグムンド・ミウォシェフスキが記憶に新しい。ミウォシェフスキは「ポーランドのルメートル」、ムルスはスティーブン・キングやヒッチコックの映画を引き合いに出されることが多いらしいが、わたしはムルスにルメートルっぽさを感じた。最後まで油断できないところと、すばりイヤミスであるところが。そう、これをイヤミスと呼ばずしてなんとする。

 大学生のダミアン・ヴェルネルは恋人のエヴァにプロポーズした直後、暴漢に襲われて目の前でエヴァをレイプされてしまう。その後エヴァは忽然と姿を消し、十年の歳月が流れたある日、友人のアダム・ブリツキがフェイスブックにエヴァらしき女性の写真がアップされているのを発見。ヴェルネルはなんとしてでもエヴァを探し出そうと、探偵事務所のレイマン調査会社に協力を求める。

 ヴェルネルとレイマン調査会社の社長夫人であるカサンドラが、連絡用アプリでチャットをしながら数々の謎を解いていくくだりがスリリングでいい。どこに向かうのか、何から逃げているのかもわからないまま、どんどん状況が変わっていき、瞬時に判断しなければならない緊張感がハンパない。個人的にはレイマン調査会社の最初の担当者ヨラ・クリザがいちばんまともそうで好きなキャラだったので、出番が少なくて残念。続編も出ているということなので、また会えないかなあ。

 多少荒削りだし、ツッコミどころも多いが、この疾走感はやみつきになる。まさにジェットコースター・サスペンス。ポーランドの地名はあまりなじみがなくて覚えにくいし、場所の距離感もつかみにくかったけど、あまりにおもしろいので全然気にならなかった。

 登場人物のひとりが「だれも信じるな」と言うシーンがあるが、この作品のテーマはこのひと言に尽きる。なんならわたしのことばも信じなくていい。とにかく自分でたしかめて、ひっくり返ってほしい。

 

6月×日
 ベルナール・ミニエの『魔女の組曲』(坂田雪子訳)は、『氷結』『死者の雨』につづく、トゥールーズ署のマルタン・セルヴァズ警部シリーズ三作目。個人的に注目しているシリーズで、一作目も二作目もすごくおもしろかったので期待しかない。果たして今回のセルヴァズはどんなトンデモ事件を担当することになるのだろうか。

 クリスマス・イヴに、ラジオパーソナリティーのクリスティーヌのもとに自殺をほのめかす手紙が届く。たちの悪いいたずらだろうと思ったが、同じ建物の住人に聞いてまわっても心当たりはないとのことでそのままにしていると、翌日からクリスティーヌの身に次々と恐ろしい出来事が起こる。明らかにいやがらせなのだが、まるで身に覚えがない。警察には狂言と思われ、わけあって家族や恋人にもたよれない彼女は、しだいに追い詰められていく。

 一方、事情により休職中のセルヴァズのもとに、謎の人物からホテルのカードキーが送られてくる。当然ながら気になったセルヴァズは、休職中にもかかわらず、知り合いの伝手をたよったり、捜査中と偽って独自に調査をはじめる。

 前半のクリスティーヌはあまりにも受難つづきでほんとに気の毒だけど、彼女自身ちょっと無防備すぎるところもあり、ハラハラしながら読んだ。受難シーンが延々と続くので読むのがつらくなるし、なかなかセルヴァズが出てこないので物足りなさを感じる人もいるだろう。でも、上巻はつらくてもじっくり読んで。下巻にはいるといろいろつながって、一気にスピードアップ。おなじみのやめられない止まらない状態になります。

 あるときを境にガラリとキャラ変するクリスティーヌにはびっくりしたけど、そのあとはさらに目が離せない展開に。信用できない人だらけで最後まで先が読めないし、エピローグまで衝撃的で、しばし呆然。訳者あとがきにある、読み終わったあとの「なんとも言えない感情」「悲しいのか嬉しいのか怖いのかよくわからない気持ち」、すごくよくわかる! ぜひ最後まで読んで感情をかき乱されてほしい。イヤミス好きにも引っかかるものがあると思います。

 セルヴァズのほうは相変わらずというか、休職中のためかさらに内省的になってきたようだが、クリスティーヌが危なっかしいキャラのせいか、彼が登場すると安心感に満たされる。娘のマルゴが外国に行ってしまうと聞いて、飛行機が苦手なので、ちょくちょく娘に会えなくなるのでは? とすごく動揺したり、小さい頃、友だちといっしょに探偵団をつくって、界隈の人々の秘密を突きとめたと言っては大喜びをしていたというセルヴァズがかわいい。

 

6月×日
 先ごろ、美人妻がいながら何人もの女性と不倫していたという某芸人のスキャンダルが世の中を騒がせていたけど、パット・マガーの『四人の女』(吉野美恵子訳)の男女関係もなかなかディープでスキャンダラスだ。四人の女とは、人気コラムニストのラリー・ロックの前妻、現夫人(別居中で離婚間近)、愛人、フィアンセ。愛人はひとりだけか、某芸人にくらべたらかわいいもんじゃないか、という気になりかけたけど、いやこれ充分にひどいから。女を踏み台にしてのしあがり、利用価値なしとみるや次の踏み台を探してまたのしあがるタイプの男なのだ、ラリーは。よく言えば野心家、彼にとって女はシークレット・オブ・マイ・サクセス。

 ある日ラリーはニューヨークの高層アパートの自宅ペントハウスに、前妻・現夫人・愛人・フィアンセを招いてディナーパーティを開く。外野としてはおもしろすぎる展開だけど、ラリーとしてはけっこうなヤケクソ展開。でもそうは見えない。なぜだ。
 ところで、このラリー宅のバルコニーの手すりには細工がされ、寄りかかれば転落するようになっている。14階なので転落すれば即死だ。そう、ラリーはこのなかのひとりを殺そうと画策していたのだ。そのことに気づいた前妻のシャノンは、なんとか阻止しようとするが、肝心のターゲットがだれなのかわからず、どうすることもできない。一方、ほかの女たちにはそれぞれに思惑があった。

 まず、とにかくラリーが最低で驚く。とくに最初の妻シャノンとのなれそめや結婚生活についてのエピソードを読んでいると、ちょっとモラハラっぽいところもあり、ふつふつと怒りが湧いてくる。
 ラリーは今だったらSNSをやたらと気にするタイプだろう。有名人とのツーショット写真とかはかならずアップしてマブダチ感をちらつかせ、「◯◯な俺」を過剰に演出し、片時もスマホを手放さないはずだ。

 しかし最後まで読むと、すべての、とは言わないまでも、何人かの登場人物のイメージががらりと変わる。すごく意外なのに無理のない展開と思わせる手腕、構成とプロットのたくみさはまさに魔術師。こんなに登場人物が少ないのに、「被害者捜し」という一見本末転倒な仕掛けがとにかく読ませる。『被害者を捜せ!』や『七人のおば』に比べると喜劇的なところは少ない気がするが、どこかユーモラスな切り口はパット・マガーの得意とするところで、上質なミステリを読んだという満足感を味わえるし、男女関係のさまざまなパターンが網羅された(ライトな)恋愛小説としても愉しめる。一九五〇年の作品だが、古びることのない普遍的なおもしろさだ。

 

■6月×日
『あの本は読まれているか』(7・26のトークイベントが楽しみ!)ではCIAのタイピストのふりをした女性工作員の活躍が描かれていたが、ダン・フェスパーマンの『隠れ家の女』(東野さやか訳)でCIAベルリン支局の女性職員が担当している業務は、工作員が情報提供者に会うときなどに利用する隠れ家(セーフハウス)の管理。いわゆる後方支援の仕事だ。

 一九七九年のベルリン。二十四歳のCIA職員ヘレン・アベルは、ある日、旅館の女将よろしく隠れ家の抜き打ち検査をしていたところ、ふたりの男性の謎めいた会話を聞いてしまう。さらにその後、現場工作員が情報提供者の女性をレイプしようとしている現場を目撃。どちらの場合も隠れ家設置のテープレコーダーが偶然作動しており、会話などが録音されていた。
 謎の会話はともかくレイプは許せん! 憤りを覚えたヘレンは上司に報告するが取り合ってもらえず、情報にアクセスできる権限まで制限されてしまう。その工作員ケヴィン・ギリーはレイプの常習犯で、工作員として大きな働きをしているため大目に見られているらしかった。このへんが男社会よね。ヘレンはギリーに制裁を加えたい一心で、協力者とともに被害女性を探し出し、証拠集めをしようとする。

 そして三十五年後のアメリカ、メリーランド州。ヘレンは夫とともに理不尽かつ不可解な事件に巻き込まれてしまう。ヘレンの娘アンナは隣人のヘンリーの助けを借りて、事件の背後に何があるのかを解明しようとするが、その過程で母の意外な過去が明らかになっていく。

 一九七九年と二〇一四年が交互に描かれ、かなり長いけど飽きずに読める。スパイ小説といっても、国際謀略などとは無縁なため、あまり複雑すぎず、だからといって単純すぎるわけでもない絶妙なバランス。謎解きがしっかり楽しめるのもうれしい。

 危険なほどのまっすぐさ、三十歳も年上の男の愛人になる奔放さ、迷いのない行動力をあわせ持つヘレンの魅力が詰まった本書。とくに、工作員志望だったけど工作員ではないヘレンが、ドキドキしながらスパイ活動に挑むパリ編がいい。初々しくも危なっかしいスパイデビューに、読んでいるほうもドキドキした。ラストのスピーディかつサスペンスあふれる展開もいい。

 二〇一九年のバリー賞最優秀スリラー賞受賞作。読み終わったあとはスカッと爽快。うっとうしい季節にもおすすめ(?)です。

 

■6月×日
 すごい新人が現れた!と話題のシャネル・ベンツのデビュー短編集『おれの眼を撃った男は死んだ』(高山真由美訳)を読む。七福神・杉江さんの「よほど他に読むべき本がたまっていない限りはこれを手に取るべきだ」とのおことばに素直に従ったわけだが、たしかにガツンとやられた。読むべき本がたまっていても手に取るべきかもしれない、死と暴力に彩られた十編を収録した短編集だ。

 まずタイトルがしびれる。原書のタイトルもTHE MAN WHO SHOT OUT MY EYES IS DEADなのだが、これは「死を悼む人々」のなかのセリフ。こういうタイトルのつけ方もありなのか、とちょっとびっくりしたし、いいなと思った。

 どの作品もびっくりするほどおもしろいが、とくにあげるなら、やはり冒頭の一遍、O・ヘンリー賞受賞作の「よくある西部の物語」だろうか。一気に西部劇の舞台のような不幸で野蛮でもの悲しい世界に引き込まれ、救いようのない境遇にありながら、どこか遠くから眺めているようなラヴィーニアの冷めた視線にノックアウトされた。
 ほかには「オリンダ・トマスの人生における非凡な出来事の奇妙な記録」と「死を悼む人々」が印象に残った。でもほんと、どれも全部いい。

 ノワール、ゴシック、パロディ、歴史、現代と、さまざまな作風と時代設定の作品があり、どれを読んでも驚かされたし、発想の豊かさに衝撃を受けた。それでもどの作品にも死と暴力の影はつきまとい、すべてが一種のディストピア小説のようにも思えてくる。そういうところがコーマック・マッカーシーっぽいのかも。家族の物語が多いのも見逃せない。

 いろんな解釈ができそうで、読んだらだれかと意見交換をしたくなる短編集。これはたしかに読書会の課題にぴったりだし、再読するたびに新しい発見がありそう
 適度な長さと意外なほどの読みやすさ。バラエティにとんだスタイル。説明しすぎていないからこそ、不意の気づきに衝撃を受けたり、行間から立ちのぼるイメージに身を任せるという楽しみ方ができる。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はジョアン・フルークのハンナシリーズ20巻『バナナクリーム・パイが覚えていた』

お気楽読書日記・バックナンバーはこちら