みなさま、こんにちは。

 暗いニュースばかりで気が滅入りがちなときこそ読書です。桜が見られなくても宝塚が見られなくても、いつでも本は読めます。自粛しなくていいありがたさを満喫できます。
 本のなかには、きっと生きる上で何かヒントになることが書かれています。たとえそれを見つけられなくても、おもしろさにのめりこんで本を読むうちに、気持ちがほぐれたり、癒されたり、不安が和らいだりします。ええ、そうに決まってます。
 今月もそんな本たちをご紹介。今こそ本の底力を見せてくれ。

 

■3月×日
 アンドリュー・メインの『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』は『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』の続編。というかシリーズものだから二作目です。一作目の記憶が新しいうちに読めてよかった。意外にもしたたかにパワーアップしたセオに驚かされたわ。

 前作の命がけの功績がようやく認められて、大学教授を辞め、テクノロジー企業〈オープンスカイAI〉に迎えられた生物情報工学者のセオ。〈オープンスカイAI〉の実態は国家情報局の請負業者で、膨大な数のデータポイントを選り分け、犯罪者の特定に役立てるのだという。ビッグデータとAIを駆使してこれから起こりうる犯罪を未然に阻止するドラマ「絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜」みたいな感じ? ちょっとちがうか。

 ある日セオのもとに、九年まえに小学生の息子が失踪した事件を調べてほしいという黒人男性が訪れる。調べるうちにその地域で姿を消す少年の多さに気づいたセオは、データを駆使し、生物学の知識で武装して、少年たちをおびやかす謎の存在に迫る。

 今回もこれでもか!とばかりに警察の無能ぶりが露呈される。セオだけでなく著者も警察に何か怨みでもあるのか? あと、この手の話に国家がからむとろくなことにならないよね。

 それにしても今回も一作目とはちがったベクトルでぞっとするほど不気味な犯人。よくぞ真相にたどり着けたなと思うわ。秘密は今回も新しいデバイスで、もちろん未認可。いろんな秘密兵器を持っているセオがだんだんドラえもんみたいに思えてきた。それとも、タイムスリップしてきた未来の人?

 訳者あとがきでも触れられているとおり、格段に要領がよくなって、ダメージコントロールできるようになっているセオ。諜報機関の助言役をつとめる役得であらゆるたぐいのセミナーに参加し、ちゃっかりさまざまな知識や技術を身につけていたり、びっくりするほど努力家で世渡りもうまい。見直したわ。おかげで一作目ほどめちゃくちゃにやられることもなく、流血もそれほどないのでご安心を。でも相変わらず自称「ややこしい男」だし、一人称のせいか聞き捨てならないことをさらっと言うので油断できないけど。

 軽くネタバレしてるので、未読のかたはぜひ一作目から読むことをお勧めします。

 

■3月×日
 田舎でのんびり過ごすために移住したコッツウォルズの小さな村カースリーで、強烈な個性の持ち主ながらなぜか憎めない女性アガサ・レーズンが嵐を巻き起こす、大好きなM・C・ビートンの〈英国ちいさな村の謎〉シリーズ。現在本国では三十作目まで出版されていて、ビートンは八十代半ばだそうだが、まだまだ創作意欲は枯れていないとのことでファンとしてはうれしいかぎり。

 第十三弾の『アガサ・レーズンとイケメン牧師』でも期待は裏切られませんでした。

 フランスの修道院で修行しているはずの元夫ジェームズ・レイシーが音信不通となり、さすがにもう戻る気はないらしいとあきらめたアガサ。隣家に越してきた推理作家のジョン・アーミテージはアガサを女性としてまったく意識していないくせに平気でベッドに誘ったりするわけのわかんない男(どことなくロボットみたい)だし、と腐っていたところに、カースリーの村に超絶イケメンな副牧師トリスタンが赴任してくる。女性にモテモテなトリスタンにディナーに誘われ、懲りないアガサはウキウキと応じるが、どうやらイケメン牧師の関心はアガサのお金にあるようで……さらにその夜、トリスタンが何者かに殺されてしまう。副牧師の人気に嫉妬していたブロクスビー牧師に容疑がかかり、アガサは牧師を助けるために隣家のジョンを相棒に調査をはじめる。

 今回も安定の面白さ。どんでん返しもあって最後までしっかり楽しめます。親友である牧師夫人のためとはいえ、いつもあんなにアガサを嫌っていて失礼な態度をとるブロクスビー牧師の容疑を晴らすために奔走するなんて、アガサってほんとにいい人。そしてそれに本人が気づいていないところがまたいいんだな。

 それにしても、このシリーズに出てくるイケメンはいつもろくな男じゃないのね。ジョン・アーミテージも最低なやつだし。トリスタンもこの世のものとは思えない美貌のせいですっかり性格がゆがんでいたので、ずいぶん恨まれており、調査は難航します。

 相変わらずブレないアガサ。もう男なんてこりごり!のはずなのに、ラストではまたお隣にイケメンが引っ越してきちゃって、美容院に予約を入れてます。やっぱりブレない!

 

■3月×日
 たしか昔読んだ記憶があるエリック・マコーマック。『パラダイス・モーテル』だったか。久しぶりに読んだマコーマックの新作『雲』も不思議な話だった。

 メキシコのラベルダで、雨宿りのために古本屋にはいり、そこで出会った一冊の本。それはスコットランドのダンケアンで起きた不気味な現象について書かれた『黒曜石雲』という本で、ダンケアンはかつて「私」が非常に印象的な体験をした場所だった。

 古い本をめぐる『古書の来歴』風の話なのかなと思ったら(ラスト付近でそのあたりの話も出てくるものの)、古本との出会いから、主人公である私(ハリー)の物語になり、彼の生い立ち、彼がめぐる様々な土地、様々な体験、各地で出会ったユニークな人びとと彼らがもたらすユニークなエピソードが展開していく。恋あり悲劇あり冒険あり恐怖ありで、摩訶不思議なおもしろさだ。

 ハリーはある意味不気味な話コレクターで、彼の行く先には不気味で奇妙な話がつねに存在し、ハリーはそれによって人生を左右されていく。むしろそういう話に引き寄せられていっている気さえする。このハリーが意外とノーマルなキャラクターなので、彼の眼を通して見ると不気味な世界観が際立つし、あまり抵抗せずに運命に身を任せる彼のスタイルはストーリー展開をじゃましない。そのため、読者は純粋に物語を楽しめるのだ。

 戦争や時事的なことが出てこないので、時代も何もかも取っ払って、ここではないどこかの話として楽しむのがいいのかもしれない。残酷で眼を覆いたくなるようなエピソードも少なくないが、どこか薄いベール越しに見ているような感覚を覚えるのは、健全さの化身であるハリーを介しているからだろうか。

 訳者の柴田元幸さんはこういうMacabre(不気味な、猟奇的な)な世界観の作品がお好きらしい。見たくないけど見てしまう、見たらあとあとまで影響を受けてしまう、かといって見ないでいても体に悪そうな、やっかいであやうくて冒険心をくすぐる魅力に満ちた作品です。

 とにかく奇想天外、波乱万丈で引き込まれます。あなたもダイソンなみの吸引力に身を任せてみませんか?

 

■3月×日
 ウォルター・モズリイといえば『ブルー・ドレスの女』。というか、それしか知らないし、内容も忘れてるけど(ごめんなさい)、三十年ぶりの話題作である『流れは、いつか海へと』は現代のニューヨークを舞台にした作品。アメリカ探偵クラブ賞最優秀長編賞受賞作です。

 ジョー・キング・オリヴァーはニューヨーク市警の刑事だったが、冤罪で警察を追われ、妻にも去られ、現在は私立探偵をしている。進んで探偵事務所の受付業務をやりたがるやさしい十七歳の愛娘エイジア=デニスだけが心の支えだ。

 ある日、獣数年まえにハニートラップをしかけてレイプされたとオリヴァーを訴えた女から、真実を告白する手紙が届く。さらに、警官を殺して死刑を宣告された黒人ジャーナリストA・フリー・マンの無実を証明して欲しいと、若い女性弁護士が訪れる。ふたつの冤罪事件の調査をするうちに、その裏にある陰謀が明らかになっていく。

 まず、タイトルがかっこいい。訳者あとがきを読むまで何を意味するのかはよくわかってなかったけど。「愛する王が死んだ翌日の夜明けのような美しさだ」のようなしびれる表現や、「一度でも警官になれば、それからは永遠に警官よ」のような深いセリフ、過酷な運命の前にもつねに前向きな主人公ジョーの「警察からも裁判所からも何も期待できないとすれば、みずからの手で法の正義を実現するしかないではないか」という信念、つねにそこにあるニューヨークの情景など、さまざまな「かっこいい」がちりばめられている

 主人公のジョーは女癖の悪さでかつて痛い目にあっており、それにこりて「今は大幅に改善された」と自己申告しているが、いやなかなかどうして、女性に対してはいつでも口説けるよう臨戦態勢でいるという印象を受けた。おそらく本人は無意識なのだろうが、何か女のガードを下げさせるものがジョーにはあるような気がしてならない。フェロモン? オーラ? まるで光源氏のよう、とは言い過ぎかしら。

 ジョーが六年間ヨガ教室に通って柔軟性を身につけたり、変装の腕を磨くためにハリウッド流メーキャップ術の講習を受けたりしているのにはちょっとびっくりした。かつてこんなに努力家の探偵がいただろうか(努力家さんといえば、今月はセオ・クレイもいたわ)。やっぱり努力は実を結ぶのね。これだけでもかなりジョーが好きになった。

 信頼する友グラッドストーン、恩義を忘れない元犯罪者のメルカルト、情に篤い元娼婦のエフィー、恋するキュートな祖母ブレンダといったユニークな仲間たちも、孤独な探偵にはありがたい存在だ。そしてつねに変わらない愛を向けてくれる娘のエイジア。強い信頼が感じられる父娘のやりとりに、にやにやしたりほろっとしたり。こんな娘がいたらパパがんばっちゃうよね。

 

■3月×日
 当読書日記の第60回にも書いたけど、今年一月にジュンパ・ラヒリの『べつの言葉で』でドメニコ・スタルノーネを知った直後、「読者賞だより:22通目」でスタルノーネの『靴ひも』が紹介されているのを読み、「呼ばれている」と感じてすぐに購入。著者みずからが翻訳者としてラブコールを送ったのがラヒリで、ラヒリ自身この作品に惚れ込んで英訳したという。実に深くて怖くておもしろい家族の物語でした。呼ばれてよかった!

 物語は三つの部分に分かれている。
「第一の書」は九通からなる妻ヴァンダから夫アルドへの手紙で、恨み節がこれでもかと綴られる。いや、よくこれだけですんだなとも思えるほど、夫の行状はひどい。三十代半ばでまだ幼い子供がふたりいるのに家を出て若い恋人と暮らしはじめ、父親としての義務を放棄しながら子供とのつながりが切れてしまうのは寂しいというのだから身勝手極まりない。でも、こういう男にはこのやり方じゃダメなんだよ……ヴァンダもわかってるんだろうけど、どうすることもできなかったんだろうなあ。

「第二の書」ではふたりは結婚五十二年の夫婦になっており、これまでの出来事をアルドが振り返る。あれだけのことがあってよくそんな長いこと連れ添えるなあと思うが、夫婦はそれぞれの思いを胸に秘めたまま、お互い分かり合うことを諦め、それでも寄り添って暮らしているように見える。まあどんな家族にも多かれ少なかれそういうところはあるのかも。でも、アルドは悟りの境地どころか全然懲りてなくてバカ哀しいまま。アルド視点なのに、笑っちゃうほど同情できないのはどういうわけか。

 そして「第三の書」は、ふたりの息子のサンドロと娘のアンナがどんな思いで暮らしてきたかがわかる、ある意味回答の書。多感な時期を母と父のあいだで物のようにやりとりされ、愛情を計る道具にされた子供たちが不憫だ。それを言ったら、親世代(とくにアルド)もその親のせいで苦労してるんだけど。そんなふうに連綿と受け継がれていく家族の歴史のなかには、靴ひもをめぐるちょっとしたエピソードのような、家族のそれぞれにちがった形で記憶されるものもあるだろう。それが家族の絆になっていたりするのが、味わいでもある。

 そして、この物語がすごいのは、ミステリーとしても読めること。様々なエピソードのなかに描かれる男女のちがい、世代のちがい、個々人の価値観のちがいが謎解きの鍵となる。ラストがオープンなのもこの家族らしくていいなと思った。

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はジョアン・フルークのハンナシリーズ20巻『バナナクリーム・パイが覚えていた』

 

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