みなさま、こんにちは。
 ようやく酷暑から解放され、ほっとひと気つける季節がやってきました。でも、夏の終わりはちょっぴり淋しいものです。先日九十四年の歴史に幕を下ろした「としまえん」にも、一度でいいから行ってみたかった。そして、あの豪華なメリーゴーランドに乗ってみたかったな、『ライ麦畑でつかまえて』のフィービーみたいに。
 それでは、暑くてとけそうだった八月の読書日記をどうぞ。

 

■8月×日
 長らく講談社文庫から刊行されていたC・J・ボックスの猟区管理官ジョー・ピケット・シリーズが、シリーズ最新作の本書『発火点』(野口百合子訳)からは創元推理文庫で引きつづき読めることになった。めでたい! 事情により紹介できなくなるシリーズ作品があまたあるなかで、版元を変えても刊行をつづけてもらえるのはほんとうにありがたいですね。関係者のみなさまのご尽力に感謝したいです。

 今回ワイオミング州猟区管理官のジョー・ピケットは、娘の友人の父親という、それほど親しい間柄でもない知人ブッチ・ロバートソンのために、身を挺して闘うことになる。

 このシリーズの魅力は大自然の厳しさと美しさを存分に味わえることだろう。山に行きたい、自然の懐に抱かれたいという欲求を満たしてくれる、アウトドア好きにはたまらないシリーズだ。しかし、命を育み、逃亡者たちでさえその慈悲深い懐で守ってくれる大自然は、同時に命を奪う脅威にもなりうる。今回はとくに自然の恐ろしさが強烈に印象に残った。

 そして、もうひとつの魅力はもちろん、一本筋の通ったぶれないジョー・ピケットのキャラ。今回も男気があるまっすぐなジョー・ピケットはかっこいいぞ。でも、過酷な川下りをしたあとに、気分が高揚してもう一回やりたいとひそかに思ってしまうジョーは、根っからのM、いや冒険野郎だ。

 読み終えたあと、頭のなかで二時間半くらいのアクション映画を一本見たような満足感。つまりは大満足。キャラよしプロットよし、ほんとうにエンタメのお手本のような作品だ。意外な結末ながら、この決着のつけ方はバファリンと同じ処方……このシリーズならではなのかもしれないけど、これでよかったのか……? とちょっと思った。

 それにしても第二作の『逃亡者の峡谷』が急遽翻訳されたのにはこんな意味があったのか……Kindleに入れてあったのになんで読まなかったんだよ、バカバカ。遅まきながらこれから読んで、あの峡谷の恐ろしさをあらためて体験しようと思います。これから『発火点』を読む方は、機会があればぜひ『逃亡者の峡谷』もお読みください。

 

■8月×日
 なんとなくロビン・スティーヴンスの〈英国少女探偵の事件簿〉シリーズ(『お嬢さま学校にはふさわしくない死体』ほか)のような感じかな?と思って読みはじめたモーリーン・ジョンソンの『寄宿学校の天才探偵』(谷泰子訳/創元推理文庫)。一九三〇年代のイギリスのお嬢さま学校とはまったくちがう、現代のアメリカの寄宿学校を舞台に繰り広げられる物語で、ヤングアダルト小説ですが、けっこうガチでミステリです。三部作の第一作で、読めば絶対次が読みたくなります。

 ヴァーモントの山奥にある寄宿学校エリンガム・アカデミーは、ユニークな学生たちが集う授業料も何もかも完全無料のユニークな学校。一九三六年に学園の創設者アルバート・エリンガムの妻と娘が誘拐されるという事件が起こった場所でもあります。ミステリや犯罪が大好きな十六歳のスティヴィは、FBIもまだ解決できずにいる、八十年まえに起きたこのエリンガム事件に興味津々。事件について研究するためエリンガム・アカデミーに入学を許されます。この学校、全寮制で超田舎にあるのですが、ユーチューブもSNSもスカイプもあるから、そんなに不便ではなさそう。先生たちもなかなかよさげで、とくにスティヴィのよき理解者である警備責任者のセキュリティ・ラリーは元刑事なので安心です(親目線)。

 個性的すぎる仲間たちと共同生活をしながら課題に取り組むスティヴィでしたが、キャンパス内で新たな事件が勃発し、八十年まえの事件と同時に現在の事件も調べることを余儀なくされます。おまけに同じ寮には気になる男子もいて、これがまた一筋縄ではいかない謎男子。恋、友情、若さゆえのモヤモヤ、親との確執などに悩むヤングアダルト小説らしいみずみずしさと、殺人がからむシビアな謎解きミステリのおもしろさを同時に味わえる作品です。

 スティヴィが暮らすミネルヴァ寮の仲間をはじめ、学園の生徒たちはみんな超個性的で、芸術家肌の子や理系オタクなどいろいろいるのですが、可能性は無限大ながらまだ何者でもない子たちばかり。スティヴィにしてもとても「天才探偵」とは言えず日々葛藤中。愚かで浅はかで無様で格好悪い青春の日々に思いを馳せ(遠い目)、甘酸っぱい気分に浸ってみるのもたまにはいいものです。

 しかし! 三部作ということなので仕方ないのかもしれないけど、「ええっ、ここで!?」というところでTo be continued! オーマイガー! いや、前向きに考えましょう、先の愉しみがまた増えたのだと。これはこれでまた乙なものです。でも、できれば内容を忘れないうちに次作をお願いします。

 

■8月×日
 何気なく読みはじめたクリスティーン・ベルの『不協和音』(大谷瑠璃子訳/小学館文庫)は、奇遇にもわたしの前月のイチオシ『最悪の館』と同じ〈亡き夫が残した謎:未亡人はつらいよ!〉のカテゴリー(なんじゃそりゃ)。テイストはまったくちがうけど、こちらも今月のイチオシです。国際スリラー作家協会賞受賞作。

 若くして夫をがんで亡くして十カ月がたったころ、まだ悲しみの癒えないリリーのもとに一通の手紙が届く。それは夫の昔の恋人だという女性からのお悔やみの手紙だったが、夫との親密さを匂わすなどどこか不穏なところがあり、リリーは心乱される。手紙はその後も届きつづけ、同時にリリーの周囲で奇妙な出来事が起こるようになる。

 登場人物がかなり多いのに、全員が実に効率的に配されていて、混乱なく頭にはいっていくのが心地よかった。ふたりの息子、母、兄、義母、義理のきょうだい、職場の友人、遺族サポートグループの仲間。みんながリリーに対してごく普通に接しているように思えるのに、何かがおかしい。最初はちょっとした違和感だったものがどんどんエスカレートして、リリーを追い詰めていく。しかし、ときどき説明のつく現象が混じっているのがミソ。これがうまいんだよなあ。

 繰り返し被害者の認知と感覚を狂わせ、正気であるのかどうか判断がつかないようにさせて、精神的に追い詰める行為を、映画『ガス燈』にちなんでガスライティングというそうだが、リリーが悩まされるのはまさにそれ。待てよ、これってベルナール・ミニエの『魔女の組曲』でラジオパーソナリティーのヒロインがやられてたのと同じやつじゃない? どちらの作品もじわじわと追い詰められていく過程がイヤーな感じに描かれていて、もうほんとにイヤ!となるのに読んでしまう沼……

 しかし母は強し! ラストは思わず「ママがんばれー!」と叫んでしまいます。犯人のぶっ飛び方は途中まで「何がしたいんだこいつ?」と読者を混乱させるけど(そこがまたたまらなく不穏でおもしろいんだけど)、だんだん「そういうことかな」とわかってきて、解説を読むと納得。でも怖さは少しもそがれない。

 リリーは音楽博物館に勤める音楽アーキヴィストで、亡き夫デズはオペラ歌手。一家が住むテネシー州ナッシュヴィルといえばミュージックシティだし、カーラジオからはひっきりなしに音楽が流れる。音楽にからませながら不穏さを表現した日本語タイトルは秀逸だと思う。

 びっくりするような仕掛けがあるわけでもないのに、先が気になってどんどん読んでしまう徹夜本。ちょっとほっとするラストながら、「あの人が死んでしまったことを赦せば、私もまた生きることを赦されるのだろうか?」というリリーの思いが切ない。

 

■8月×日
 
火事場の馬鹿力ということばがある。人間ピンチになると思いもよらない力を発揮するものだ。テイラー・アダムスの『パーキングエリア』(東野さやか訳/ハヤカワ文庫HM)は、追い詰められた女子大生ダービーが、不屈の精神で凶悪犯に立ち向かうノンストップサスペンスだ。

 クリスマスイブ前夜、コロラド大学ボールダー校二年生のダービーは、末期の膵臓ガンの母の容体が悪化したとの知らせを受け、愛車のホンダ・シビックで母の入院するユタ・ヴァレー病院を目指す。ところが猛吹雪のためワイパーが折れ、降り積もる雪で走行もあやうくなったため、ロッキー山脈の奥深くにあるパーキングエリアに一時避難する事に。

 しかし、そこにはトイレと無料のコーヒーがあるだけで、WiFiも使えなければ充電器もない。先客は大学生風の男とイタチのような顔をした男、そして中年の男女。彼らといっしょに時間をつぶして朝を待つしかないようだ。

 ところが午後八時すぎ、電話がつながる場所を求めてバッテリー切れ寸前のiPhoneを手に駐車場に出たダービーは、灰色のバンのなかで少女が檻に閉じ込められているのを発見してしまう。誘拐犯はパーキングエリアにいる四人の男女のだれかだ。

 電話はつながらず、道路は通行止め。朝にならないと除雪車も来ない。助けを呼ぶこともできない閉ざされた空間のなかで、凶悪な犯罪者と朝まですごさなければならない。そんなことができるだろうか……しかし、正義感の強いダービーはなんとしてでも少女を助け出そうと決意する。

 いたるところに張り巡らされた伏線、二転三転するそれぞれの運命、繰り返されるピンチ。逃げ場のない雪に閉ざされたパーキングエリア。運命は非力な女子大生ひとりにかかっている。これはいやでも火事場の馬鹿力を出さないといけないけど、ダービーのがんばりはスーパーヒーロー並だ。けっしてあきらめないのもすごい。こんなに正しくてまっすぐな子にはなかなかお目にかかれないぞ、少なくともミステリ界では。そんなわけで最初からダービーに共感百パーセントで読んだので、いっときも気の休まることがないまま一気読み。いやほんと、ダービーえらい。かっこいい。

『発火点』と同じくき、全編まるで映画を見ているようだったが、もちろん映画化も予定されている。でも、かなり壮絶なシーンもあるので、訳者あとがきで東野さんが書かれているように、映画だとたしかに薄目で見ることになりそう。
 そういえば、クリスマスに絶体絶命の状況に巻き込まれるところは、まるで映画『ダイハード』のようだ。ダービーはジョン・マクレーン刑事か。

 

■8月×日
 シリーズものは長くなってくると、途中でテコ入れが必要になるときがあります。わたしが翻訳させてもらっているジョアン・フルークの〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズも、二十巻の『バナナクリーム・パイが覚えていた』のあと驚きの展開となるのですが(さりげなく宣伝)、クレオ・コイルの〈コクと深みの名推理〉シリーズは、第十八巻の『コーヒー・ケーキに消えた誓い』(小川敏子訳/コージーブックス)で思い切った作戦に出ます。なんとヒロインが記憶喪失になるのです。

 静かに愛をはぐくんできた大人のカップル、クレアとクインは、みんなに祝福されて婚約し、幸せの絶頂にいます。ところが、クレアはホテルでのウェディング・ケーキの試食会のあと犯罪事件に巻き込まれ、一週間行方不明に。そして、姿を現したときは、直近十五年間の記憶を失っていました。

 ヒロインの記憶がリセットされ、多くの人たちに対して、ほんとうは知り合いなのに「初めまして」の状態なので、初めて読む人にもわかりやすく、ずっと追いかけてきたファンにとってはめちゃ新鮮。これはうまい作戦です。

 クレアがマネジャーを務める老舗コーヒーハウス、ビレッジブレンドの様子がほとんど出てこないのは寂しいけど、いつもたっぷり楽しませてもらっているのでまあいいよね。でも、コーヒーの微妙な味や香りや品質が、失われた記憶に大きく大きな役割を果たすのはもちろん予想どおり。ちゃっかりヨリを戻そうとする元夫マテオと、すっかり忘れられてしまって苦悩する婚約者クインが、互いに牽制し合いながらクレアのために奔走するのも読みどころです。

 そして気になる事件の真相は? われらがヒロインがかなり危険な状態にいるらしいのに詳しくはわからないというもどかしさで、ページが進む進む! いつもハイレベルなおもしろさだけど、シリーズ中いちばんおもしろかったかも。

 ちなみに、「コーヒーケーキ」は一般にコーヒーのおともとして食べるケーキのこと。お茶に対するお茶菓子のような感じで、かならずしもコーヒー味とはかぎりません。でも、本書の「コーヒー・ケーキ」は、もちろんコーヒーがはいったコーヒー味のケーキ。ウェディング・ケーキの試食シーンで出てくるたくさんのケーキもどれもおいしそう。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はジョアン・フルークのハンナシリーズ20巻『バナナクリーム・パイが覚えていた』。驚きの展開となる21巻はただいま準備中です。

 

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