先日なんの予備知識もなく伊坂幸太郎の『クジラアタマの王様』を読んでいたら、感染症にまつわる話でびっくりした。去年の夏に刊行された本だが、感染症の広がり方や人々の反応が今の状況とそっくりなのだ。ものすごく想像力を刺激される話で、これぐらいぶっとんだ想像力があれば世界は救えるのかもしれないと思ったりした。
押谷仁・瀬名秀明両氏による『パンデミックとたたかう』でも、日本に必要なのはほんの少しの想像力だと言われている。戦う相手はこの現代社会であり、社会心理学の問題なのだとも。本書は2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起きたときに編まれたものだが、2020年4月現在メディアから流れるワードがばんばん登場していて、これは今まさに起こっていることなのだなと思う。現状を理解し、何をすべきなのかがはっきりとわかる、今読むしかない本だ。この本のなかで瀬名氏は感染拡大を抑える対策として「ウィルスの中に人工的なマーカー遺伝子を入れて追跡できるようにするとか……」という話をされているが、アンドリュー・メインの『生物学探偵セオ・クレイ 街の狩人』に似たようなものが出てきていたような。
みなさんもそうだと思いますが、自粛期間中のためたくさん本が読めて、積読本の山も少し低くなりました。コロナ後の世界は読書の楽しさに開眼した人、再確認した人であふれかえる、よね、きっと。
■4月×日
リース・ボウエンの『巡査さん、フランスへ行く?』は英国ひつじの村シリーズ四作目。エヴァン・エヴァンズ巡査、相変わらず女性にモテモテです。
とても保守的かつ排他的なウェールズの村スランフェア。村の近くにフランス料理店がオープンし、女性陣は興味津々で女性オーナーシェフ・イヴェットが開く料理教室に通いはじめるが、家庭料理やパブの食事を愛する男性陣には不評のよう。やがてレストランに脅迫状が届き、不安を覚えるオーナーシェフから相談を受けたエヴァンは、最近村で多発している放火事件の犯人のしわざかもしれないと懸念する。イングランド人が購入したコテージや、村人たちが嫌っているホテルの物置などが焼け、「村から出ていけ」というメッセージが現場に残されていたからだ。まさか、よそ者嫌いの村人が過激な行動に出たのか?
ついにはフランス料理店でも火事が起きてしまい、しかも焼け跡から謎の死体が発見されたことで、さらに複雑な事態に。どうやら単なる放火事件ではないような……
意外に広がりのある事件で、いくつもの問題が提議される。キャラクターが定着してくるにつれ、どんどんおもしろくなってきている気がする。最後にほっとさせてくれるまとめ方もうまい。
タイトルが「フランスへ行く?」だから、行くと見せかけて行かないのではとも思ったけど、ちゃんと行ってます。北ウェールズ警察のワトキンス巡査部長とふたりで、かなりの情報を得ることに成功したのに、トンボ返りでおいしいものをまったく食べられなかったのはかわいそうだったけど。でも、エヴァンの意外な弱点が発覚。閉所恐怖症のエヴァンには海峡トンネルは試練だったようです。
本命の学校教師ブロンウェンがいながら、村のパブのウェイトレス・ベッツィのアプローチを邪険にできないエヴァン。今回はフランス人シェフのイヴェットに誘惑されたり、仕事ができてチャーミングなグリニス巡査に目移りしたり。恋多き男? やさしさがあだに? それとも勘違い? それは読者のみなさんに判断していただくとしても、とにかく素朴で憎めない男なのです。郷土の伝統料理を愛する男のわりに、イヴェットの作るフランス料理もおいしくいただいていたみたいだけど。
■4月×日
全国一斉おこもり期間の読書にふさわしい本を探していたところ、数年はもちそうな備蓄本(積読本ともいう)のなかからレイチェル・ウェルズ『通い猫アルフィーの奇跡』と『通い猫アルフィーのはつ恋』を発見。ミステリーではないけど、〝全英絶賛、ハートフル猫物語〟シリーズの一作目と二作目です。
アルフィーは四歳の灰色猫。やさしい老婦人に飼われていましたが、高齢のために飼い主が亡くなり、天涯孤独となったアルフィーは、過酷な野良猫暮らしのすえ、複数の家の通い猫になろうと決意します。自由を愛する猫がいる一方、アルフィーは「野良猫にはなりたくないし、喧嘩もしたくない。だれかの膝や温かい毛布がほしい。猫缶やミルクをもらったり愛情を注がれたりしたい」から。もう、なんてかわいいの。アルフィーが目をつけた四軒の家に住む人間たちは、揃いも揃って問題を抱えており、彼らのために猫なりに知恵を絞る様子が描かれるのが『通い猫アルフィーの奇跡』です。
『通い猫アルフィーのはつ恋』では、引っ越してきた謎の家族に飼われているキュートな白猫に一目惚れ。「好きになる相手は選べない。気づいたときは好きになっているのだ」というアルフィーの恋の行方と、ご近所トラブルの解決方法とは? 『奇跡』もそうだけど、猫なりに知恵を絞って考えた作戦というのが、どんなすごい作戦かと思えば、ああやっぱり猫だなあと思ってしまう内容で、そこがまたいいのです。
いやー、やっぱりかわいいなあ。『はつ恋』ではちょっぴりミステリーっぽくなっているところもにくい。
DV、いじめ、離婚、失業、産後鬱……そんな人間たちの悩みを敏感に察知して、その解消に努めるアルフィーってすごい。いや、もちろん現実にはそんなことありえないのかもしれない。でも、そんなふうに想像すると、よりいっそう猫がいとおしくなるというものだ。猫を飼ったことはないけど、猫ってテンションの低い人に静かに寄り添うイメージがあるし。
かわいい健気な猫に愛と勇気をもらえる、最高にキュートでハッピーなシリーズ。第五弾の『通い猫アルフィーの約束』まで翻訳されているので、残りの三冊ももちろん買いましたよ。これで自粛期間が伸びても安心(いや、ちと不安だけど、備蓄本があるからまあ大丈夫でしょう)。
『通い猫アルフィーの奇跡』でアルフィーは友だち猫のタイガーに言っています。「苦難を乗り越えるためにいちばん肝心なのは思いやりなんだ。だれにとっても」今こそこのことばが意味を持つとき。
■4月×日
久しぶりにリーガルミステリを読んだ。現役の弁護士でもあるヴィクター・メソスの『弁護士ダニエル・ローリンズ』。主人公のダニことダニエル・ローリンズは、杉田比呂美さんの温かな雰囲気のカバーイラストからは想像もできないほど、複雑で激しいキャラの持ち主だが、読めば読むほどその唯一無二なその魅力にはまってしまった。イキのいいヒロインの登場だ。
舞台はユタ州のソルトレイク・シティ。二日酔いで法廷に立ち、法廷侮辱罪も恐れずにけちな悪党たちのために日夜戦う型破りな弁護士ダニエル・ローリンズは、重度の知的障害をもつ黒人の少年テディ・ソーンの弁護をすることになる。自分が何をしていたのかもよく理解していないというのに、コカインを売ろうとして逮捕されたのだという。同時に三人の少年が逮捕されていたが、三人ともコカインを持ってきたのはテディで、自分たちは同行しただけだと証言していた。少年だし障害もあるので最悪でも刑務所にはいることはないだろうと思われたが、意外にも法律はテディを守ってはくれなかった。
事態を把握していない依頼人を弁護するむずかしさや、事件そのものにとても興味を惹かれたし、乱暴で型破りだが、相手の痛みを深く理解し、びっくりするほど心やさしいダニのキャラがほんとうに魅力的。調査や裁判の意外な展開からも目が離せない。
弁護士であるダニは、いつも孤独で、毎日のように判事に怒鳴りつけられ、検察官には見下され、せっかく不起訴になっても、なんでもっと早くやらないんだと依頼人から罵声を浴びせられて感謝すらされず、世間からは犯罪者の見方をするろくでなしと思われていると自覚している。それでも罪を犯した者たちのために戦うダニはかっこいい。そして、いい人すぎる……でも、ぼろぼろになりながら戦うダニを深く理解し、応援する友人たちがつねにそばにいる。愛されてるんだね、ダニ。
ダニは私生活でも荒れている。別れた夫ステファンに未練たらたらで、十三歳になる息子のジャックは父親のもとで暮らしており、しかもステファンが近々再婚するので孤独にさいなまれ、ときどき自暴自棄になる。そんなダニを公私ともに支えているのが凄腕調査員ウィルだ。仕事ができて性格もルックスもよくてお金持ち。YOUたちつきあっちゃえよ、とだれもが思うのだが、ダニはいつまでも元夫に執着して先に進むことができない。弁護士といえども人間だから、弱さをさらけ出してもいい。そういうところが新鮮で、むずかしい裁判を乗り越えることでダニがどんなふうに変わっていくかも読みどころになっている。
「さあ、元気を出して。明日は今日よりいい一日さ。いつだってそうだ」とわたしもウィルに言われたい、脳内でいいから。
■4月×日
自粛疲れなど感じる暇もなく読みふけってしまったミネット・ウォルターズの『カメレオンの影』。もともと大ご贔屓作家だし久々の邦訳ということで期待度も高かったけど、予想をはるかに上回るおもしろさだった。ウォルターズ作品はどれを読んでもおもしろいし、シリーズものではないので、人に勧めやすいところも気に入っている。毎回テーマや構成がちがっていて、どんなタイプの作品なのかまるで予想できないところもギャンブルのようで楽しい。
英国陸軍中尉チャールズ・アクランドは、イラクで頭部と顔面に重傷を負い、片目を失明する。病院で目覚めた彼は記憶を失っており、もともと人好きのする青年だったのに、凶暴な性格に変わっていた。とくに女性に触れられるのをいやがり、女性看護師や母親を遠ざけ、元婚約者のジェンにも乱暴な態度をとるチャールズ。カメレオンのように変化する彼の暗黒面はPTSDによるものか、それとも外傷そのもののせいなのか。精神科医たちはチャールズの心の闇を探ろうとするが、彼は心を閉ざしたまま退院し、ロンドンで一人暮らしをはじめる。しかし攻撃的な態度をあらためないチャールズはパブで暴力事件を起こし、連続殴打事件の容疑者にされてしまう。パブのオーナーでもあるジャクソン医師は、そんな彼を見かねて救いの手を差し伸べるが……
チャールズのかたくなな態度や謎の怒りが何を意味するのかわからないまま、めんどくさいやつだな〜と思いながら読んでいたが、わかってくると彼に対する印象ががらりと変わる。彼をめぐって重要な役割を果たす元婚約者のジェン、路上生活者のチョーキー、家出少年のベンも一筋縄ではいかないキャラで、ひねくれ具合がいかにもウォルターズ作品の登場人物らしい。ジャクソン医師だけはめずらしくまっとうだけど。
でも、わたしがいちばん好きなキャラは、ラスト近くで出てくる四十歳の女性警官バーナード。ワンシーンだけの登場ですが、ひじょうにいい仕事をしていて、あっぱれです。
ジェンは自称ユマ・サーマン似で、「ガタカ」の衣装でコスプレをしているのでイメージしやすかった。ちなみにわたしの脳内イメージのチャールズはトム・ヒドルストン(「ナイトマネジャー」のときの)。異論は認める。
■4月×日
ラーラ・プレスコットのデビュー作『あの本は読まれているか』は、一冊の本をめぐる愛と冒険に彩られたスリリングな物語。その本とは、ノーベル賞を受賞し、映画化され、ご存じの方は少ないかもしれませんが宝塚歌劇でも近年ミュージカル化された愛の物語。それがソ連と戦う武器になるというんですよ。ペンは剣よりも強し、ということでしょうか。読むまえからわくわくします!
と言いつつその本、わたしは恥ずかしながら読んだことはなかったのですが、全然問題なし。なので、未読の方もご心配なく。むしろ知らないからこそどんどん興味をそそられて、読みたくてたまらなくなりました。しかし絶版……(早急に再販か電子化をお願いします。新訳もいいなあ)。国によってまるでちがうその本をめぐる人びとの思惑や、それが生まれた背景や、どんな嵐を巻き起こしたかを知ってから読めば、さらにおもしろそう。
でもそのまえに『あの本は読まれているか』ですよ。
冷戦下のアメリカでタイピストとしてCIAに雇われたイリーナ。しかしタイピストは隠れ蓑で、ソビエトに父の命を奪われ、亡命ロシア人の母を持つイリーナは、スパイの逸材と見なされて採用されたのだった。訓練を受けさまざまな作戦をこなすうち、彼女の生活も心の内もしだいに変化していく。
冷戦時代の西と東の様子が視点を変えて交互に描かれ、政治だけでなく緊張感や空気感のちがいが浮き彫りになる。ここまではよくある構成だが、その視点となる人の肩書きがその都度線で消されて更新されることで、状況が変化したことを表すという演出は、わかりやすいうえ臨場感を高めていると思う。最初は気づかなかったけど、「タイピストたち」は一人称複数視点というのもユニーク。機密文書をタイプしながら忘れていかなければならないという、さらっと描かれているけど実はすごいタイピストたちの日常もいい。
そして! なんといっても引き込まれたのはイリーナの愛の軌跡だ。過酷な状況で作家を支えるオリガもそうだけど、ふたりの女性それぞれの愛の形が印象的で、その強さと純粋さに、読んでいてすがすがしさを覚えた。純度100%の恋愛小説と言っていいと思う。
文学の力が世界を変える。なんてドラマチックなの!
今こそ世界を変える文学が生まれることを切に願っています。
■4月×日
またまた偏愛しそうなシリーズが登場した。チェルシー・フィールドの『絶品スフレは眠りの味』、〈お毒味探偵〉シリーズの第一弾だ。とにかくノリがよくて、シビアな状況でもクスッと笑わせてくれるサービス精神に脱帽! 情に厚くて正義感が強く、ピンチをハッタリで乗り切るキュートなヒロインに釘付けです。
ボンクラな元夫に借金を背負わされ、オーストラリアのアデレードから夜逃げ同然でロサンゼルスにやってきた、イジーことイソベル・エイヴェリー、二十九歳。手っ取り早く大金を稼ぐため、彼女がねらう報酬の高い仕事、それはセレブ御用達の「毒味役」、通称「シェイズ」だ。八カ月におよぶ研修を経て向かった初仕事のクライアントはイケメン探偵コナー。イジーは彼の恋人のふりをして食事をともにし、彼が口にするものをすべて毒味することになる。と思ったら、コナーは〈テイスト・ソサエティ〉の人間で、彼の毒味役を務めるのが最終試験らしい。
ところが、シェイズの同僚ダナが任務中に瀕死の状態になったとの知らせがはいり、コナーとイジーはダナのクライアントである有名シェフのもとへ。まずはダナが摂取した毒を特定し、毒を混入させた犯人を見つけないと!
命がけの仕事なので当然だけど、研修の壮絶さもこの作品のノリからすると正直ちょっと引くレベル。本書ではまだシェイズ候補生のイジーもさすがプロという仕事ぶりで、ふだんとのギャップがまたいいのです。もちろんロマンスもあり。ツンデレっぽいコナーの言動にドキドキしたり頭にきたりと、ラブコメ要素たっぷりです。
クッキーが大好きで小さいころはクッキーモンスターと結婚したいと思っていたとか、飼い猫のミャオがプレゼントしてくれるゴキブリの死骸に感動したりとか、とにかくかわいいイジー。アデレードではカフェのオーナーだったこともあり、料理は得意なのでルームメイトのオリヴァーは役得です。コーヒーにうるさく、おいしいものが大好きで、意外と大食い。愛猫がピンチとなればキャットフードのお毒味もしちゃいます。
そして! たぶん一定数いると思われる老婦人キャラのファンのみなさま、お待たせしました。またまたダイナマイトなキャラの登場です! それはイジーと同じ集合住宅に住むご近所さんエッタ。クッキーとイケメンと詮索が大好きな、ファッショナブルでチャーミングなかわいらしい老婦人です。メイザおばあちゃんともアイダ・ベルともちがう、思わず「んまあ」と口が開いてしまうエッタのセクシー老婦人ぶりをご堪能ください。
ジャネット・イヴァノヴィッチの〈ステファニー・プラム〉シリーズや、エレイン・ヴィエッツの〈ヘレンの崖っぷち転職記〉シリーズが好きな方ならきっと気に入るはず!
シリーズは現在六作目まで出版されているそうで楽しみです。
上條ひろみ(かみじょう ひろみ) |
---|
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、マキナニー〈ママ探偵の事件簿〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はジョアン・フルークのハンナシリーズ20巻『バナナクリーム・パイが覚えていた』。 |
■お気楽読書日記・バックナンバーはこちら