書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。最新版2019年4月号が到着しておりますので、併せてご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

千街晶之

『終焉の日』ビクトル・デル・アルボル/宮崎真紀訳

創元推理文庫

 一九八一年二月、スペインで一部の軍人がクーデターを起こそうと下院に乱入した……という史実をもとにした大河ミステリ。弁護士マリアが刑務所送りにした悪徳警官セサルは、実は陰謀の犠牲者だったのか? セサルに会見し真実を探ろうとするマリアに、三十年前の事件に関わったある人物の魔の手が迫る。マリアの父、別れた夫とその上司、セサルの行方不明の娘、政界の黒幕、母親を殺害された兄弟……ぶつかり合う数多くの人間の思惑、二重三重に入り乱れる復讐、増えてゆく新たな犠牲者の屍。親の因果が子に報い、登場人物の誰も幸せになれない悲劇的展開から、権力にしがみつく者の妄執が人間の運命を狂わせる恐ろしさ、おぞましさが滲み出す。深淵のように暗い物語だが、ずしりと重い手応えが感じられる。

 

川出正樹

『ゴーストライター』キャロル・オコンネル/務台夏子訳

創元推理文庫

 

 セバスチャン・フィツェック『座席ナンバー7Aの恐怖』が素晴らしい。プロローグから12章まで常に「疑問」か「衝撃」で幕を引き、目まぐるしく視点を変えてページを繰らせ、気がついたら70ページを一気読み。“?”か“!”が連発される厭な予兆しかしない離陸に始まり、一瞬も気を抜けないまま最終到達点へと突き進む仕掛け満載の〈閉鎖空間タイムリミット・サスペンス〉に、今月はこれで決まりかと思っていたのだけれど、キャロル・オコンネル『ゴーストライター』が待ったをかけた。

 〈氷の天使〉ことキャシー・マロリーが不夜城(グレート・ホワイトウェイ)ことブロードウェイに棲息する奇人変人たちの間で起きる連続死に挑む本書は、謎解きと外連、幻想味と現実感、狂おしき愛憎と充たされない想いが醸成する絶望と狂気という作者の持ち味に充ち満ちた傑作だ。

 舞台はニューヨークの劇場。観客席では初日・二日目と連続して人が死に、舞台裏ではゴーストライターによって日々脚本が書き替えられていく。曲者揃いの登場人物を揃え限定された世界の中で入り組んだフーダニット&ホワイダニットを構築する作者の手腕は今回も健在。謎解きミステリとしての徹底度という点で、魑魅魍魎が跋扈するNYの美術界を舞台にした『死のオブジェ』や、マンハッタンに棲息する由緒正しい一族の間で起きた過去と現在の虐殺事件に挑む『ウィンター家の少女』と並ぶ現代本格ミステリの収穫だ。煌びやかであると同時にどこまでも暗く、残酷なれど一筋の光明と優しさを忘れないキャロル・オコンネルの世界を堪能あれ。

 

 

北上次郎

『戦場のアリス』ケイト・クイン/加藤洋子訳

ハーパーBOOKS

 読み始めたらやめられない一気読みの傑作。ドイツ占領下の北部フランスに潜入した女性スパイの物語だが、いやあ、面白い。人の心を救うのは何か、というテーマは、横山秀夫の6年ぶりの新作『ノースライト』に通底するものがある。

 

吉野仁

『座席ナンバー7Aの恐怖』セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳

文藝春秋

 

 昨年の『乗客ナンバー23の消失』は豪華客船だったが今度は旅客機ときた。例によってフィツェックは、主要人物をこれでもかとどこまでも追いつめていく。全編を貫いているのは、いったい出口はどこにあるのか、という強烈なサスペンス。そこへいくつもの謎と追跡劇が加わり、もう読み出ながら興奮が収まらない。ひねりの効いた展開が最後の最後まで続き、今回も文句なしの面白さだ。そのほか、スペインものなのに、まさか日本刀や武士道が出てくるとは思わなかった、ビクトル・デル・アルボル『終焉の日』は、現代史の陰に蠢く者たちの血と復讐の物語が濃密な筆致で描かれ大河ミステリ。女性弁護士が一人の悪徳警官を刑務所に送ったものの、その背後に陰謀が隠されていたことを知り再調査をはじめると、スペイン内戦後に起きた四〇年まえの事件につながっていく。確かな読みごたえを感じる一冊だ。

 

霜月蒼

『脱落者』ジム・トンプスン/田村義進訳

文遊社

一気読みの強度なら『座席ナンバー7Aの恐怖』だが、誰かがきっと挙げるだろうし、読んでてヤバかったのはデイヴィッド・ピース『Xと云う患者 龍之介幻想』だが、これはどうみてもミステリーとは言いがたい(ぎりぎりノワールとは言えるか?)ので、本書に決めた。

 トンプスンらしい歪んだ登場人物たちが「普通の倒叙ミステリ」を演じたらどうなるか、という実験をしたみたいな作品でである。石油採掘業者に私怨を抱くソシオパス風の保安官助手が殺人を犯し、そこに被害者の妻や上司の保安官やギャングがからんでくる。物語の進行は『死の接吻』後半のような倒叙ミステリなのに、ときどき登場人物たちが奇怪な動きをするせいで進行方向がふらつく。そこがいい。抑圧された性衝動が見え隠れしたり、主人公の内面はまったく描かれなかったりするせいで、お話自体はオーソドックスなのに最初から最後まで得体の知れない不安感がつきまとうのである。

 ひねくれたジャズ・ミュージシャンがスタンダード・ナンバーを演奏しているみたいな危なっかしいスリル。他に類をみないクライム・フィクションを書かせたら、やはりジム・トンプスンの右に出る者はいない。

 

酒井貞道

『座席ナンバー7Aの恐怖』セバスチャン・フィツェック/酒寄進一訳

文藝春秋

  所用で乗った国内便の往路で、私はこの本を読んだのだが、惜しいことに座席ナンバーは7Kであった。そして、その復路、空港でもらった座席ナンバーを書いた紙を見て、私は更に驚愕する。それは7Aであった。この本を往路ではなく復路で読みさえしていれば! 私は臍を噛んだ。皆様も、飛行機に乗る際には、往路のみならず復路も、座席番号を確認しておくべきである。
 ……という私情丸出しの後悔はさておき、本書は非常に良質のスリラーである。旅客機という、恐らく他のどのクローズド・サークルよりも行動半径の小さい環境下で、タイムリミットも付した強烈なサスペンスが生み出される。加えて、最初から最後までひっきりなしに、意想外の展開がつるべ打ちが続き、飽きる暇がない。はるか離れた地上での誘拐劇が同時並行で描かれており、様々な事情が絡み合って、一寸先は闇の手に汗握る展開が貫徹されている。伏線も巧みに張っているので、再読すれば構造美を堪能することも可能である。そして全体通して見れば、いかにも手慣れた名手が、手を抜かずしっかりした仕事をしてくれたという手応えがある。セバスチャン・フィツェックは、今や完全に「読めば面白い」数少ない作家の仲間入りを果たしたと言えるだろう。練達のサスペンス、まずはお楽しみあれ。

 

杉江松恋

『火星無期懲役』S・J・モーデン/金子浩訳

ハヤカワ文庫SF

 題名に気をそそられて読み始めたら、なんとこれがアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』型の孤島ミステリーなのであった。新手だ。地球外空間の謎解きに挑んだ作品では昨年もムア・ラファティ『六つの軌跡』という良作があったが、そっちより好みだった。基本設定がおもしろくて、主人公は刑期120年を宣告されて入所している服役囚である。息子を麻薬付けにした売人を射殺してしまったのだ。その彼に意外な提案が持ち掛けられる。NASAと民間企業が提携して火星に基地を建設する。その企業が刑務所を委託運営しているのである。正規の宇宙飛行士がやってくる前に先乗りして、施設を作っておく役目として、娑婆に出られる見込みのない服役囚に白羽の矢が立てられたのだ。火星行きを断れば一生光の射さない独房入り決定、と脅され、また火星基地運営がうまくいけば余禄があるかも、と飴ももらって主人公は決意するのである。ご想像通り、火星行きになった服役囚たちが、一人、また一人と死んでいくわけだ。『そして誰もいなくなった』パターンの作品って、最初っから原型が透けて見えることが多いが、本書の場合はかなり話が進展してから謎解きの展開になる。その溜めが効いているのである。最初のうちは完全なサバイバル・スリラーで、そこから知的な謎解きの趣向が浮かび上がってきた瞬間に、お、来たな、と嬉しくなってしまったのであった。SF設定だけど、謎解きは科学知識なしでも十分楽しめる。レーベルが違うから、読み逃しなきようにご注意を。

 これと悩んだのが『乗客ナンバー7Aの恐怖』と『終焉の日』であった。どちらも他の誰かが挙げていると思うのでつべこべ書かないが、後者は駄目男にNOをつきつける女性たちの話としても読めるので、そういう意味でもお薦めしておきたいです。

 挙げられた書名はやや少なめですが、少数精鋭の感がある3月でした。ドイツ、スペインとお国も多岐にわたり、SFも紹介されるなど幅もありましたね。この調子でどんどん行け。また来月、お会いいたしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧