書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

川出正樹

『身代りの女』シャロン・ボルトン/川副智子訳 

新潮文庫

 5月、豊作すぎないか。性格も生き方も正反対な双子の切実な願いと純一な行動が、連続少女失踪事件と密接に絡み、閉塞感に覆われたスモールタウンの住人の人生を否応なく変えていくクリス・ウィタカー『終わりなき夜に少女は』(鈴木恵訳/早川書房)。シリーズ中最もエスピオナージュ色が強い“名探偵自身の事件”であると同時に、終盤で事件全体の構図ががらりと変わる意外な犯人ものでもあるアリスン・モントクレア『ワインレッドの追跡者 ロンドン謎解き結婚相談所』(山田久美子訳/創元推理文庫)。そして、少女失踪事件の顛末をリアルタイムで追う実録犯罪番組が引き起こした悲劇と醜聞から十年後に、作家“ダニエル・スウェレン=ベッカー”が関係者の証言を集めて真相を明らかにしたモキュメンタリーという結構のノン・ストップ・サスペンス『キル・ショー』(矢口誠訳/扶桑社ミステリー)。

 なかでも『キル・ショー』は、証言録という形式を最大限に活かして、関係者の口からネタバラシされるのをギリギリの所で回避しながら、読者の思い込みを逆手にとって大胆不敵に手掛かりを配し、伏線を敷くという離れ業を成し遂げた構成の妙に唸ってしまった。次々に明かされる意外な局面に最後の最後まで翻弄される一気読みと二度読み必死の上質なエンターテインメントだ。通常月ならこれで決まりなんだけれども、今月はさらにこの上を行く傑作が刊行された。シャロン・ボルトン『身代わりの女』だ。

 オックスフォードの名門パブリック・スクールの誇りである六人の男女。卒業を間近に控え、刺激を求めて高速道路を逆走する肝試しを繰り返していた彼らは、大学入学資格試験の結果発表前夜に最後の一回を試み、人命を奪う大事故を起こしてしまう。輝かしい未来が続くだろうという甘い思い込みは一瞬で吹き飛び絶望の淵に立たされた六人は、ある選択をし“約束”を交わす。そして二十年後、一人で罪を被り刑期を終えた人物が、人生の成功者となったかつての五人の友人を訪ね始めたとき、新たな悲劇が幕を上げる。

 事故の翌朝、「このなかにだれひとり立派な人間はいないばかりか、まちがっても善良な人間はいない」という真実を認めざるを得ない五人だが、全員の罪を被った人物とて例外ではない。彼らは皆、品行方正な若者ではあってもあまりに独善的かつ未熟であり、たった一つの誤った選択により自分だけでなく身近な人々の人生をも大きく狂わせてしまう。今や厄介な闖入者となったかつての友人の新の狙いは何か? 先の展開がまったく読めず大破局を予感しながら次々とページを繰っていった果てにたどり着いたクライマックスに思わず唸る。これはまったく予想できなかった。

 デビュー作『三つの秘文字』(法村里絵訳/創元推理文庫)以来、S・J・ボルトン名義で発表された英国冒険小説の血を受け継ぐヒロインが奮闘するサスペンスフルな三作が立て続けに訳されたものの訳出が止まっていたシャロン・ボルトン。十年ぶりの再登場となる『身代わりの女』で、彼女のサスペンス小説作家としての圧倒的な力量を堪能して欲しい。

 

千街晶之

『身代りの女』シャロン・ボルトン/川副智子訳 

新潮文庫

 この小説の六人の主要登場人物は、一人残らず愚かな選択をしてしまう。二十年前、卒業を間近に控えたパブリック・スクールの優等生六人が自動車で事故を起こし、その結果、別の車を運転していた女性とその娘たちが無残な最期を遂げた。全員が責任を取る必要はないと考えた彼らは、そのうちの一人であるメーガンが、自分だけが罪を被って出頭すると言い出したのに乗ってしまう。そんなことを言い出すメーガンもどうかしているし、自分たちは罪を償わずに済むと虫のいいことを考えた他の五人もあからさまに誤った選択をしたとしか言いようがない。歳月は流れ、彼らはその愚かさのツケを払うことになる。今では副大臣、実業家、弁護士など高い社会的地位に就いている五人に、刑期を終えたメーガンが接近する。逮捕前、彼女は他の五人に貸しを作るため、連帯責任であることを明記した念書を書かせていたのだ……。メーガンの狙いは何か、猜疑心と保身と良心の呵責から更なる愚行を山のように積み重ねてしまう五人の運命は? ボタンのかけ違いのように、誤った出発点から誤った着地点へと転落してゆく彼らの姿を、意外性たっぷりなプロットで描ききった秀作サスペンス小説である。

 

霜月蒼

『すべての罪は血を流す』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 やはりこれしかないだろう。高い評価を受けた前作はダメな父たちの贖罪を描く暴力小説だったが、今回はがらりと趣を変えてきた。南部の小さな町の暗い歴史を掘ってゆくサザン・ゴシック警察小説なのである。主人公もこれまでと異なり、FBIを辞めて故郷の保安官となった法の側の人間だ。

 高校で起きた教師銃撃事件をキッカケに、町に深く根を張る黒人差別と、因習的な信仰と倫理の暗部が明らかになってゆく。スクールシューティングとシリアル・キラーという現代的なモチーフを借用しつつも、主人公が向きあうのは奴隷制度が存在した時代から生き延びる亡霊のような闇だ。コスビーは物語の節目ごとに、町全体を俯瞰する巨視的な語りのパートをはさみこむ。この町は、かつて陰惨なできごとが起きたがゆえに「三途の川の渡し守」を意味する「チャロン」という名がつけられたのだという。物語の射程は町の歴史の奥底にまで届いているのだ。苦い味わいの小説だが、ラストに主人公がくりだす一撃が、希望につづく一穴を開けたものと信じたい。

 作中でフラナリー・オコナーの名が語られることから明らかなように、本書は現代ノワールとサザン・ゴシックの見事な融合。オコナーの名に反応するミステリ・ファンはもちろん、ドラマ『トゥルー・ディテクティヴ』シーズン1のファンも必読です。

 5月の作品では、シャロン・ボルトン『身代わりの女』にも触れておきたい。あらすじを見るだけでわかるイヤミスで地味ミスな英国産なのだが、イヤに淫しすぎず地味に陥りすぎず、絶妙なバランス感覚で「厭な英国サスペンス」の秀作に仕上がっている。見逃すなかれ。

 

吉野仁

『すべての罪は血を流す』S・A・コスビー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 アメリカ南部ヴァージニア州の黒人保安官が連続殺人犯を追うという分かりやすい物語ながら、ひとたび本を開くと、太い腕でぐいっと力強くつかまれたかのごとくいやおうなしに物語世界へ引きずり込まれ、あとはもうその勢いにまかせてページをめくっていく感覚だった。もちろん、分かりやすいのは表面的な筋書きであって、南部の歴史、人びとがおかれた状況や人間関係、犯罪に関するさまざまな様相などがしっかり織り込まれ、重みを感じさせる警察小説だった。邦訳された前二作との比較など、語りたいことはたくさんあるが略。アメリカ南部といえば、クリス・ウィタカー『終わりなき夜に少女は』もまたアラバマ州の小さな町が舞台で、第3作『われら闇より天を見る』の前に書かれたウィタカー第2作。あたりで連続少女誘拐事件が起こっている最中、ひとりの少女が失踪したという、これもよくある物語ながら、南部の田舎町らしい風土や人間関係を少年少女の眼から描いたところが読ませる小説だ。さらにウィル・リーチ『車椅子探偵の幸運な日々』もまたジョージア州というアメリカ南部の保守的な土地が舞台ながら、本作は、難病(脊髄性筋萎縮症SMA)の主人公が車椅子で動き回り、女性失踪の事件に挑むというきわめて異色な探偵もの。闘病する日常が深刻さに傾かず描かれてところがとてもいい。やはり異色な作品だがタイプはまったく異なり、全編、事件関係者の証言だけで出来上がっているのがダニエル・スウェレン=ベッカー『キル・ショー』で、近年、ポッドキャストなどで大流行した「実録犯罪」をそのまま紙面に導入したものだ。女子高生の失踪事件が起こり、それをリアルタイムで報道するリアリティ番組が制作され……という入り乱れた内容で、まさかこんなことまであけすけに世間に向けて話すだろうかというつっこみを入れながら読んでいった。ちなみに舞台はアメリカ東部メリーランド州の田舎町。この四作はその土地柄が事件や関係者に影を落としている。と、かつて奴隷州だったアメリカ田舎町の話がつづいたが、チャック・ホーガン『ギャングランド』は、1970年代後半あたりからの大都会シカゴが舞台だ。カポネ以降のシカゴ暗黒街の歴史的事実を下敷きに、あるボスの右腕であるボウリング場経営者にしてFBIの協力者でもある男を主人公にしたのがミソ。淡々と会話が進んでいくのかと思った矢先、ふいに衝撃的な場面へ転じるなど、こうした犯罪者だらけの物語ならではの迫力が味わえ、すごく満足した。紀蔚然『DV8 台北プライベートアイ2』は、『台北プライベートアイ』の続編で、こんどは台北郊外の淡水に舞台を移し、DV8という店に入りびたる主人公が、ある若い女性からの依頼を受けるというのが冒頭の話。店の女主人との恋愛関係もありつつ、さまざまにからみあった、過去の事件の糸を解きほぐしていく展開で、前回同様、鬱である主人公の悩みつつ探っていく語りの姿勢が心地いい。逆に外連味だらけなのが、シャロン・ボルトン『身代わりの女』。若い六人の学生がとりかえしのつかない死亡事故を起こしてしまったが、そのうちの一人がぜんぶの罪をかぶって刑期をつとめた20年後の話というあまりに大胆な設定によるミステリだ。およそありえない異常な出来事だけに話の先もさっぱり見えないのが面白さとサスペンスをどんどんと増幅させている。もうひとつ斬新な発想のサスペンスといえば、アンソニー・マクカーテン『ゴーイング・ゼロ』も大きなスケールで書かれたスリラーだ。ある巨大IT企業とCIAが開発した犯罪者追跡システムの実用化にむけての実証実験がたちあがり、「一カ月間みつからずに逃げ切れば300万ドルが手に入る」という条件で十人の参加者が集まった、というのがプロローグ。つまり、ネット情報検索網、監視システム、ドローンなどあらゆる現代最先端技術を駆使した壮大なる超ハイテク鬼ごっこが展開されるのだ。のだが、それだけで終わらない。中盤以降も興奮しながらおおいに愉しんだ。

 

酒井貞道

『身代りの女』シャロン・ボルトン/川副智子訳 

新潮文庫

 5月は大豊作でした。クリス・ウィタカーの『終わりなき夜に少女は』は解説を書いたという理屈でパスしても、S・A・コスビーの力作、台北プライベートアイの第二長篇、P分署捜査班シリーズ最新作が出た上に、アンソニー・マクカーテン『ゴーイング・ゼロ』、ダニエル・スウェレン=ベッカー『キル・ショー』など伏兵もいて大変です。悩み抜いた結果、今回は『身代りの女』にします。シャロン・ボルトン、聞かない名前でしたが、正体はS・J・ボルトンなんですね。十年以上前に創元推理文庫から出て結構人気だった『三つの秘文字』から始まる三部作を、好ましく記憶している人も多いんじゃないでしょうか。でも今回の『身代りの女』はその三部作とは傾向が全く違います。本書は二部構成である。酔っ払った挙句、深夜に車道を逆走するゲームをしたパブリックスクールの優等生6人は、事故を起こし、対向車線を真っ当に運転してきた車に乗っていた三人の人間の命を奪ってしまう。そこで6人中1人が、ある「約束」を交わしたうえで罪をかぶって逮捕される。ここまでが第一部。第二部は、20年後に舞台が移り、罪をかぶっていたメーガンが釈放されて、社会的に成功を収めた5人の前に姿を現す。状況と心理の描写がとても上手い。冒頭から筆が冴えている。度胸試しと称して違法行為に染める無鉄砲さと、それが酔いや同調圧力に任せて行われるのがありありとわかる。事故を起こして六人の心が千々に乱れる様も実にリアルで、焦燥感が実に鮮烈。恐らくこの段階では誰も「冷徹に何かを企む」なんてしていないであろうことは、これまたはっきりわかる。第一部は終始ドラマティックです。一方、第二部では、メーガンの曖昧な言動の不気味さ、それに対して残り5人が抱く不安が、じわじわと物語に広がっていく。スタティック、ではない。この種のサスペンスの例に漏れず、物語は徐々に激しく動き出すからだ。ただし、最初から最後まで登場人物が動揺している第一部とは異なり、何かが亢進している気配があって、「企み」の介在余地もふんだんにある。予測不能とまでは言わないが、明らかに予想困難な展開は、手に汗握るものです。600ページあるけれど長さを感じさせず、一気読みさせるリーダビリティの高さも素晴らしい。終わってみればプロットの組み立ても見事。真相が心理的に納得できるのはもちろん、確かにそういうこと言ってた/やってたわアイツ、という伏線的な備えもばっちりでした。思えばこういう構築力の高さと人物描写の上手さは、『三つの秘文字』の三部作と共通します。話の中身は全く違うが、腕は落ちていないどころか多分上がってます。これは推せる!

 

杉江松恋

『DV8 台北プライベートアイ2』紀蔚然/舩山むつみ訳

文藝春秋

 5月いちばんの驚きは、実はコナン・ドイル『ササッサ谷の怪』だった。かつて中央公論社のCノベルス創刊時に訳出された短篇集からシャーロキアンとしても知られる北原尚彦氏が厳選して編んだ作品集で、ドイルのデビューから死までの全貌がわかる内容になっていてお薦め。なのだが、さすがに新訳でもないし今回は遠慮しておく。

 というわけで台湾ミステリーだ。前作『台北プライベートアイ』から3年ぶりの邦訳となるが、実は原書は2011年と2021年だから10年空いている。時間の経過もあってか、かなり作風は変わっているのである。前作で登場した呉誠は、演劇人で大学教授という職を突然捨てて私立探偵になったという変わり者で、その彼がシリアルキラー事件捜査に取り組み、警察に無理矢理食い込んで見事解決に導いてしまう。その展開に独自性があったのと、主人公のキャラクターで読ませる私立探偵小説だった。

 これをハードボイルドと呼べるのかどうかについては、当時も結構悩んだ記憶がある。一人称私立探偵小説をなんでもハードボイルドと呼ぶのは反対なのである。このときは私立探偵が警察を向こうに回して闘う図式が個対社会という犯罪小説必須の構造にはまってはいるものの、作者の関心は主人公の眼を通して見えることを描くことではなく紀蔚然の心境にこそある、と結論しやはり違うという結論に至った。で、続篇『DV8』だ。

 この作品で呉誠は住み慣れた台北を去り、郊外の海岸都市・淡水に引っ越している。おそらくは作者が淡水に移住したことを受けてのものだ。そこでDV8という変わった名前のバーと出会い、経営者のエマという女性を気に入る。物語の軸は、呉がエマに自らの内面をさらけだし、対話をしながら素の自分を受け入れるようになるという浄化の過程にあるのだ。この部分、ミステリーとしての展開とは関係があるようでないようでおもしろい距離の取り方になっている。というのも、本作で呉が受けた仕事は、封印していた記憶が蘇ってくることにより悪夢を見る依頼人のため、原因となっている過去の事件がどんなものだったかを特定し、関係者を連れてくるというものだったからだ。つまり、ここでも内的世界への旅が描かれており、呉と依頼人とは共鳴関係にある。こうした形で内省が主題となる私立探偵小説は最近なかったはずだ。というか、全盛期においてもあまり作例はなかった気がする。私立探偵小説で一人称叙述が用いられているがゆえにそうした方向に作品が深化したのだ。特異な例としてお薦めする次第。あ、初老男の能天気なラブコメとしても読めます。

 今月はもう一作、コスビー『すべての罪は血を流す』にするかも迷ったのだが、こちらは推薦文を書いたので遠慮しておいた。犯罪小説としては前作の方が好みだったが、本作も次第に加速していくプロット展開にこの作者ならではの重量感があって読み応えがあった。こちらもぜひどうぞ。

 

 アメリカ犯罪小説とイギリス・スリラーで票が分かれた月になりました。あとときどき台湾私立探偵小説。来月はどうなりますことか。そして来月、この書評七福神は重大発表があります。(杉)

 

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧