書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。最新版の2019年5月号は今週末更新予定ですので、そちらも併せてご参考にどうぞ。
というわけで今月も書評七福神始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
千街晶之
『ディオゲネス変奏曲』陳浩基/稲村文吾訳
ハヤカワ・ミステリ
未訳長篇の紹介に目を通すと、邦訳のある『世界を売った男』『13・67』の二作品からは想像がつかないくらい作風の幅が広いらしい陳浩基だが、ノン・シリーズ短篇集である本書を読むと、その多才さはこちらの想像を遥かに凌駕していた。切れ味鋭いどんでん返しが用意されたクールな犯罪小説の「藍を見つめる藍」や「いとしのエリー」、自分の人生から好きなだけ時間を売ることができるようになった社会を舞台にしたSF「時は金なり」、デビューしたければ実際に殺人を犯せと編集者にけしかけられた男が密室殺人を実行する「作家デビュー殺人事件」、ショッカーみたいな悪の軍団を舞台にしたコミカルなフーダニット「悪魔団殺(怪)人事件」等々ユニークな作品が多いが、中でも、講義に紛れ込んだ謎の人物を暴くため学生たちの推理合戦が繰り広げられる「見えないX」の濃密極まる本格テイストは傑出している。全篇にちりばめられた日本のサブカルチャーへの言及も効果的だし、軽快さとシニカルさが混淆した味わいも好み。「そう、こういう短篇集が読みたかったんだ!」と膝を叩いた極上の一冊。
北上次郎
『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』アンドリュー・メイン/唐木田みゆき訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
あのリンカーン・ライムは幸せだったんだなと思わざるを得ない。こちらのセオ・クレイは大変なのだ。この名探偵は、事件が表面化する前に、先に死体を発見してしまうのである。するとどうなるか。警察は信じてくれないのだ。推理があまり鋭すぎると周囲は誰も信じてくれないという真実がここにある。
脇役が活写されていることも、激しいアクションも、なにからなにまで私好み。このシリーズ、売れてくれないと続刊が翻訳されないだろうから、ぜひ売れてほしい。いまそれを熱烈に願っている。
霜月蒼
『人喰い ロックフェラー失踪事件』カール・ホフマン/古屋美登里訳
亜紀書房
題名そのまんま。アメリカの名家ロックフェラー一族の御曹司がニューギニアで原住民に捕らわれ、(おそらくは)殺害されて喰われてしまったという事件のノンフィクションである。昨年大いに話題になった傑作『死に山』と同じカテゴリに属する傑作といっていい。
『死に山』同様に、過去のできごとを取材によって再構成したパートと、著者が取材に赴く現在のパートとで構成されている。単に閲覧注意なグロい事件を煽情的に描いただけの本ではない(「閲覧注意」は事実だけど)。射程は深く、スリリングだ。原住民のコミュニティ間の慣習や政治、ニューギニアをとりまく植民地主義やオランダによる統治の実際、御曹司を結果的に死に追いやったロックフェラー(父)の野心と、ロックフェラー美術館が火をつけたプリミティヴ・アートのブーム……ひとりの死を入り口に、世界規模の対立や不幸や誤解の構造が暴かれてゆくのである。
ケレンの利き具合では『死に山』に負けるかもしれないが、語られているもののスケールと深みではこちらに軍配が上がるか。重心の低い語り口に捕らえられたら最後、静かに一気読みしてしまうはずだ。
吉野仁
『イタリアン・シューズ』ヘニング・マンケル/柳沢由実子訳
東京創元社
読みはじめたところ、たちまち物語に没頭してしまい、ページをめくる手がとめられなくなった。そんな小説は年に何作もない。一行一行、ひと文字ひと文字をじっくり追いかけ、咀嚼するように読んでいった。男のもとにむかし別れた恋人が訪ねてくるという話のはじまりはたいしたケレンもないものだが、穏やかなサスペンスの先にちょっとしたツイストがあり、さらに重さをともなうショックが待ち受けている。そこから次々と立ちあがってくる情感がもう主人公のものなのか、読んでいる自分自身のものなのか区別がつかなくなるほど引きこまれてしまった。毎日なにかしら本を読んでいるが、きのうまでの読書とはあきらかに異なる姿勢となった。もう「格」がちがうのだ。そのほか、アンドリュー・メイン『生物学探偵セオ・クレイ──森の捕食者』個性派探偵スリラーの典型的な形式で書かれたものとして愉しんだ。また陳浩基『ディオゲネス変奏曲』は『13・67』が気に入った読者ならば、ぜったいに読み逃してはならない短篇集。とうぜん単にバラエティに富んでいたり趣向が奇抜だったりするにとどまってはおらず、「ああ、そう来るのか」と拍手したくなる作品がつまっている。
川出正樹
『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』アンドリュー・メイン/唐木田みゆき訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
ぶっ飛んでるなあ、セオ・クレイ。久々に出会ったよ、こんな浮世離れした天才タイプの名探偵に。「余計な口は閉じておくべきだ。わたしにはそれができない」という述懐はいわゆるハードボイルド型私立探偵の常套句だけれども、それに続くのが「論理的な説明をしたいという欲求をどうにも抑えられない」となると、謎解きミステリ好きとしては、おっ、これはとわくわくしてしまう。
モンタナ州の森でフィールドワーク中の生物情報工学者セオは、たまたま近くで調査活動をしていたかつての教え子が惨殺死体で発見されたために容疑者と見なされるも、被害者は熊に襲われたという検死結果により釈放され、件の熊も射殺される。だが違和感を覚えたセオは、自作プログラムを駆使してカオスの中に秩序を見出す手法で独自捜査に乗り出す。ただしそのきっかけとなる彼自身説明がつけられない行動には、思わず、ちょっと待ったと突っこみたくなってしまう。いやいや、それって違法だろう。大丈夫か、という心配半分、よし行け、という期待半分。自責の念と謎を解明したいという強烈な欲求に突き動かされるセオの八面六臂の活躍ぶりを、一人称現在進行形による語り口に乗せられて、堪能していると次々ととんでもない事態が発生する。イリュージョニストとして名をなした作者の面目躍如たる外連に満ちた謎とアクションは、よくよく考えると突っ込み所に事欠かず賛否両論だろうが、私は次作が待ち遠しい。だから続きを出してね。
今月はジョン・グリーン『どこまでも亀』(岩波書店)も強烈に推したい。失踪した大富豪の行方を突きとめて懸賞金を貰おうとする親友デイジーの計画に巻き込まれた十六歳の少女アーザ。強迫性障害に悩む彼女の物語は痛く切ない。同じ症状で苦しむ作者は、安易な解決策や救いを与えることはしない。にもかかわらず、悲観に溺れることなく、辛い現実を見据えて煩悶しながら日々を生きているアーザの姿が胸を打つ。これは、“届くべき人に届いて欲しい物語”だ。
酒井貞道
『ディオゲネス変奏曲』陳浩基/稲村文吾訳
ハヤカワ・ミステリ
本短篇集には、読者を驚かせようとする作者の企みが満ちている。しかも概ね成功しているのだから凄い。各篇が短いこともあり、コンセプトやアイデア、もっと言えば作品の核となるネタが、そのまま作品の価値と評価に直結している感が強い。もちろん肉付けが下手というわけではなく、敢えてこうして、作品を純化したのだろう。こういう作品は、日本の本格ミステリのファンであれば馴染みの読み口であるが、それが中国でかくも高水準に達成されたのは驚きである。極東本格ミステリ圏の最前線は、ここにある。
杉江松恋
『トリック』エマヌエル・ベルクマン/浅井晶子訳
新潮社
ん、『トリック』ってついているし、なんかマジシャンみたいな男が表紙に描いてあるから奇術小説なのかしらん。と、そんな軽い気持ちで手に取った一冊である。読んでみたら、これがもうおもしろうておもしろうてかなわぬ。喜劇風味で笑わせてくれる部分と深刻になる箇所との配分が絶妙であり、あっという間に引き込まれてしまったのであった。新潮クレスト・ブックスということもあって読み逃している人も多いと思うので、強くお薦めしておきたい。
物語は過去と現代の二つのパートで成り立っている。過去のほうは20世紀初頭のプラハから話が始まる。貧しいラビを父親に持つユダヤ人の少年、モシュ・ゴルデンヒルシュは、母を喪ったあとの空隙が堪えきれずに家出し、サーカスで見かけた美少女に一目惚れして、座頭の奇術師に弟子入りする。一方の現代パートでは、ある夫婦の結婚生活が終わりかけていることが冒頭で描かれる。被害者は、一人息子のマックスだ。ダディとマムが別れてしまうなんて絶対嫌だ。悲嘆にくれる彼が発見したのは、古いレコードだった。ザバティーニというマジシャンが魔法の呪文を吹き込んだもので、その中には恋愛の秘術も含まれているのだという。残念ながらレコードには傷が入っていて、肝腎の呪文は聴けなかった。しかし、そこでマックスは閃いたのである。このザバティーニさんを見つけ出して、ダディとマムにもう一度恋をしてもらえばいいんじゃないの。こうして少年の冒険が始まるのである。
ご賢察のとおり、現代と過去の物語は一点で交わる。一方がもう一方を補うような形で進んでいく話は、終盤において驚くべき全貌を露わにするのである。もちろんミステリーの範疇には入らない小説だが、このへんの伏線の敷き方に魅了される読者は多いはずだ。20世紀ヨーロッパという時代背景、主人公がユダヤ人であるということから明確だが、本書はホロコーストを題材にした作品でもある。作中では不可避の残酷な現実が描かれる。しかしその中でも作者は、人間の結びつきを信じ、希望を見出そうとする明るい物の見方を貫いていくのである。スラップスティックで、少々下品なところさえある前半のお話が、よもやこんなところに着地するとは。笑いを撒き餌に使って、素晴らしい風景が見られる場所に読者を誘導してくれる小説であり、読後には家族のありようについて思いを馳せたくなる。とてもいい小説です。
10連休の影響か、普段に比べて刊行点数が絞られている印象のあった4月でした。しかし中国ミステリーから北欧小説、変わり種の探偵ものからノンフィクションまで、多彩な作品が揃いました。さて、5月はどんな作品が刊行されるのか。次回もお楽しみに。(杉)
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