——暗黒へと誘う大輪の徒花
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
畠山:改元の大騒ぎもひと段落ついた感じがしますね。天皇陛下が代替わりをするための行事ってどれだけあるんでしょう? ニュースを見ていても全然覚えられず、結局「ナントカの儀」でまとめてしまう雑な自分が残念。
それでは早速参りましょう。杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾の儀」。今回のお題は、ジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』。1987年の作品です。
1月のある朝、ロス市内の空き地で若い女性の惨殺死体が発見された。スターを夢見てハリウッドにやってきた娘の変わり果てた姿は社会に衝撃を与え、彼女が常に黒をまとっていたことから「ブラック・ダリア」と呼ばれることになる。
捜査に加わったLA市警のバッキー・ブライチャートとリー・ブランチャートは、かつてはボクサーとしての好敵手であり、現在はケイという銀行強盗犯の元情婦をはさんでの微妙な三角関係でもある。父親の親独的言動のために日系の友人を密告した経験をもつバッキー、妹の行方不明事件でトラウマを抱えるリー。彼らはやがて「ブラック・ダリア」に翻弄されていく。
実際の未解決事件をベースにアメリカの暗部を描く、「暗黒のLA四部作」の第一部。
ジェイムズ・エルロイは1948年にロサンゼルスで生まれました。10歳の時に母が殺害され、身を寄せた父もエルロイが17歳の時に死亡。それからはホームレスのような状態で、窃盗やドラッグの売人などの犯罪に手を染め、アルコール中毒になったりもしました。
そんななかでも図書館に通って本を読み、20代後半から小説を書き始め、1981年に『レクイエム』を発表。今日のお題『ブラック・ダリア』は7作目にあたり、2006年にブライアン・デ・パルマ監督によって映画化されました。
1996年には未解決である母の殺害事件を振り返る『わが母なる暗黒』を発表。ブラック・ダリア事件がエルロイに大きな影響を及ぼしていることがよくわかります。
独特な文体でアメリカの暗部を描きだすその作風により、「狂犬エルロイ」の異名をとっています。
私はエルロイ作品は『ブラック・ダリア』のみ既読。映画《L.A.コンフィデンシャル》も面白かったので、その勢いで『わが母なる暗黒』を手に取ったのですが、ここで躓きました。あまりの闇深さに圧しつぶされそうになり、あえなく途中棄権したのです……シクシク。軽くて浅いのが信条の私に、エルロイは荷が重すぎました。あれから十数年、担当編集者N氏の熱いお勧め(☞ 初心者のためのジェイムズ・エルロイ入門)を読むたびに若干の後ろめたさを感じつつ、今にいたります。
というわけで、鉢巻を締めなおしてのエルロイ再入門。自慢するのもなんですが、『ブラック・ダリア』の内容はきれさっぱり忘れていたので、一から出直しですw
まずメインキャラクターの名前が「ブライチャート」と「ブランチャード」という鬼のような紛らわしさに心が折れそうになり、市警が胴元のボクシングの試合って何? とか、試合のおかげで公債発行案が通って警官の給料が上がるってどういうこと? など社会背景の違いにも戸惑い、コレ、なんのお話ですか? とそもそもな疑問を抱き始めた100頁過ぎに、ようやくブラック・ダリア事件が始まります。やっと来た!
エリザベス・ショート(=ブラック・ダリア)のむごたらしい遺体の衝撃もさることながら、彼女のあまりに短絡的な生き方が明らかになるにつれ、やるせない気分になってくる。そして暴力や汚職が蔓延する警察組織の中で、バッキーとリーの行動も心もとなく、時に不可解にすらなってきます。大丈夫か、本当に解決できるのか、もしかして小説でも未解決にするのか? いやその前にそんな三角関係でいいのか? と思ったら二股かよ、バッキー! と、とにかくいろいろ気になって仕方がなく、夢中になって読みました。
ガーディアン紙のインタビューによると、エルロイはチャンドラーが好きじゃないらしい。ノワールは元々ハードボイルドの影響を受けてできたものだと思っていたので、ノワール作家の代表格であるエルロイがチャンドラー嫌いというのはちょっとユニークだなぁ。
というわけで、はい、マイクを渡しますんでご存分にどうぞ、加藤さん。
加藤:それにしても先週末は暑かったですね。5月がこんなに暑いと12月はどうなっちゃうのか心配です。
そう、エルロイに限らずノワール系作家には、レイモンド・チャンドラーを嫌う人が多いようです。まあ、ノワールとハードボイルドが相容れないのはよく分かるんです。ノワールな方々からしたら「やせ我慢とか卑しい街の騎士とか何アオ臭いこと言っちゃってんの? バカなのアホなの?」って感じなのでしょう。でも、たまにはハメットやロスマクを槍玉に挙げればいいじゃない。あと、チャンドラーが好きって言うと、半笑いで「わかりやすい人ですね」みたいな反応もやめてもらっていいですか?
さて、そんなわけで、ついに現代ノワールの旗手〝狂犬〟ジェイムズ・エルロイの登場です。そんなエルロイ先生も70歳。『ブラック・ダリア』は、いわゆる「暗黒のLA四部作」の第一作であり、また日本ではこの作品から版元が文藝春秋に移り、落ち着くべきところに落ち着いたという記念すべき一冊です。
日本でも「3億円事件」や「グリコ森永事件」など実在の有名な事件を題材としたミステリーは沢山あるけど、「ブラック・ダリア事件」もそんな感じ。そしてこの事件ははエルロイが取り上げるべくして取り上げたという気がしてなりません。半ば娼婦のような生活をしていた母親が殺され、いまも犯人は見つかっていないというエルロイ。後世まで残るに違いない傑作「LA四部作」を書くにあたって、まずはこの事件と向き合う必要があったのではないかと考えてしまいます。
主人公であるバッキーをはじめ、この事件に関わった人間すべての人生が狂わされてゆくさまはもう圧巻。
今回久しぶりに再読してみて、実は驚いたことがありました。それは本作の意外なほどの暗黒度の低さとミステリーとしての完成度の高さ。随分印象が変わりました。
エルロイっていうと、ドロドロの臓物の中を泳がされるような、情念の塊みたいな暗黒小説をイメージする人もいるかもしれないけど、本作は紛れも ない警察小説だし、なんならスタイリッシュでさえある。主人公たち3人の幸福な日常が描かれる序盤から、バッキーが刑事の血に目覚め猟犬のように突っ走る中盤、そして二転三転する終盤と、目まぐるしく回転するエンターテイメント。最初から最後まで面白かった。
血ミドロ系の耐性は僕よりはるかに高そうな畠山さんは、どう読んだかな?
畠山:確かに血と脳漿が飛び散っちゃったりするとガッツポーズがでるタイプ……ではある。あっさり認めるのも人としてどうかと思うけど。でもね、『ブラック・ダリア』で警察官が取り調べの体裁さえかなぐり捨てて、容疑者を拷問にかけるシーンは吐き気を催したなぁ。公権力の弱いものいじめほど醜いものはない。あいつら腐れ外道だ!
ミステリーとしての面白さは予想をはるかに上回っていました。怪しい人が浮かんでは消え、真相に迫ったようでまた遠のくことの繰り返し。途中からリーの行方がわからなくなり、バッキーは署内でどんどん立場が悪くなっていきます。二人とも「ブラック・ダリア」という名の狂気と混沌に嵌まり込んだという感じ。あの愚かで憐れな娘の遺体はパンドラの箱を開ける小さな鍵だったのかもしれません。
ラスト間際は息もつけないほどのたたみかけで、しばらく動悸がとまりませんでした。更年期かな。
冷静に振り返ると伏線はきっちり引かれていたんですよね。私の頭も混沌に嵌まり込んでなにもかも見事にスルーしていました。ホントに再読なんだろうか、私。新鮮に楽しみすぎじゃないのか!?
多少の休憩がないと追い詰められて息が苦しくなりそうなお話しでしたが、そうか、エルロイ作品の中では暗黒度低めなのか……。それに『ブラック・ダリア』は、エルロイの特徴といわれる「ジャズ文体」「電文調」「クランチ文体」ではないので、まだ真のエルロイに触れたとは言えないんだろうなぁ。シリーズ2作目『ビッグ・ノーウェア』にトライするつもりでしたが、「臓物の中を泳ぐ」? ナニソレ キモイ……今ちょっとだけダチョウ倶楽部の「押すなよ!」な気分です。嗚呼、こんなにぐじぐじしていたら、夜中に暗黒編集者Nさんがやってきて、臓物風呂に落とされるかも! 怖いよーー!
加藤: そういえば、大きな事件が起きると、虚言癖や自殺願望のあるおバカさんやただの目立ちたがり屋による自首が殺到して捜査関係者を悩ませるってシーンを翻訳ものの警察小説ではよく読むけど、あれって本当なのかといつも疑問に思いません? 日本ではそんな話聞いたことないしね。
話は変わるけど、映画《L.A.コンフィデンシャル》は良かったなあ。初めて見たラッセル・クロウの絵に書いたような「直情バカ刑事」ぶりには感動すら覚えたもん。まさにハマり役。そして何と言ってもケヴィン・スペイシー。あちらではこの名を出すこともタブーなのかも知れないけど、とにかくこの映画のケヴィンはサイコーに恰好良かった。エルロイ未経験の方はここから入るのもアリかも知れません。
ところで、『ブラック・ダリア』は「LA4部作」の1作目ではあるんだけど、独立した物語なのですよね。あとの3作、『ビッグ・ノーウェア』『LAコンフィデンシャル』『ホワイト・ジャズ』とは、ほぼ登場人物もかぶらない。畠山さんが紹介している「初心者のための~」のなかで担当編集者N氏は『ブラック・ダリア』をすっ飛ばして『ビッグ・ノーウェア』から読むことを勧めているくらいです。そしてN氏は『ブラック・ダリア』が他の3作と決定的に違うところを「体温が低い」と表現されています。
うーむ、さすが日本を代表する暗黒編集者。幾度となくあの絶望の山(※閲覧注意)の頂を単独で極めた男です。確かにあのうなされるような熱気というか狂気は『ブラック・ダリア』には無いのかも知れません。「LA四部作もう一人の主人公」と言われるダドリー・スミスも出てこないし。
しかし、僕は思うのです。『ブラック・ダリア』こそ、狂犬と言われたエルロイが最後に絞り出したロマンチシズムの結晶、それまでの自身の総括であり、次へ進むためのロイター板だったのではないかと。だから、逆に、あえて、むしろ、まさしく、まず『ブラック・ダリア』から入るのが正しいのではないかと。
そんなわけで、「エルロイってコワいんでしょ? キモイんでしょ? クルってるんでしょ?」って腰が引けていた貴方、まずは『ブラック・ダリア』でエルロイの世界のエントランスに足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
ジェイムズ・エルロイの本邦における初紹介は単発作品の『秘密捜査』であり、第一作『レクイエム』と1980年代前半のホプキンズ三部作を経て、端境期の『キラー・オン・ザ・ロード』は飛ばされ(1998年に刊行)、〈LA四部作〉の始まりを告げる本書が1990年に刊行されました。1980年代の翻訳ミステリーはサイコ・スリラーがブームだったこともあり、エルロイ犯罪小説の初期特徴であった血みどろさ、凄惨さが注目されました。
捜査官自身の内面にある迷宮を辿る物語でもあるホプキンズ三部作はたしかにそうした面のある小説ですが、それだけではエルロイという作家の全体像は見えてきません。〈LA四部作〉は悪を取り締まる正義の側であるはずの警察組織が権力欲に溺れる人間によって牛耳られ、弱者を蹂躙する暴力装置に転じてしまうという図式を描きます。四部作の掉尾を飾る『ホワイト・ジャズ』では、物語を綴る文章がスタッカートの如く細片化されるという特異な文体が採用されています。組織との対決の中で人間らしさを失い、統合された意識の流れを持つことさえできないほどに追いつめられた姿がこうして見事に文章化されたのでした。
四作を使ってエルロイは年代記を創り上げました。言い換えるとこれは、小説によって現代史を上書きするという試みでもあります。エルロイがホプキンズのように自己の内面と対話することから始め、感情という混沌に分け入ってそれを言語化することに優れた作家であることは間違いありません。ただし、作品世界を俯瞰したときにはその構想力を評価すべきでしょうし、社会と個人の関わりを含めた大きな題材を扱うという全体小説への執筆欲が大きな特徴になっています。警察組織の腐敗という切り口からLAの戦後を描くという試みは、自国についての叙事詩的性格を備えた先行作、いわゆる〈偉大なるアメリカ小説〉の系譜に連なるものと見てもいいでしょう。
犯罪小説とは個人と社会との間に生まれる軋轢を扱った文学だと私は考えていますが、その形式を用いて社会という全体を描きうることを示したのがエルロイの最大の功績です。続く〈アンダーワールドUSA〉三部作においては、筆致には戯画化の風味が加わり、諷刺小説の性格がより前面に押し出されています。作家にとってはもはや犯罪小説という形すら必要ではないのかもしれず、エルロイがこの先どのような方向に進むかを注意深く見守りたいと思います。
さて、次回はアーロン・エルキンズ『古い骨』ですね。どのように評価されるか、これまた楽しみにお待ちしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N |
【暗黒のLA四部作】
【アンダーワールドUSA三部作】