旅と料理を愛するコック、ジェニーのこの夏の職場は大学だ。オックスフォードのキャンパス内で行われる大きな学会の参加者などにケータリングサービスを提供するために雇われた。限られた予算のなかで最高の料理を生みださなければならない。

 フィッシュ&チップスの印象が強いイギリス料理だが、いやいや著名なコックを父に持つジェニーの手にかかれば、イギリスの食事はちょっとね、などとは言わせないすばらしい料理が生みだされる。オーガニックの材料にこだわり、素材の魅力を最大限に引き出したソース。朝食のただの卵料理にすぎないオムレツすらも、表面の弾力とナイフを入れたときに流れ出す卵液のとろみ具合に誰もが感嘆する。
 ところが、このジェニーの行くところでなぜか事件が起こる。まるでケータリング料理のメニューに「殺人」と書いてあるかのように。

 今回の殺人現場となったのは、大学キャンパス内で開かれる剥製学学会だ。学会の会長であるモーリス・レインズが、学会の冒頭でスピーチを行った直後、食堂で首にナイフが突き立てられた状態で事切れていた。死体の周りには血の海ができていた。そして、なんと第一発見者はジェニーだった。

 さっそく捜査が始まるが、殺されたモーリスについてはよくない話しか出てこない。学会運営には細かく口を出し、とくに財政面での締めつけが厳しい。歴史ある学会を存続させるためにしかたのないこととはいえ、周囲のスタッフはモーリスの意向に翻弄される。

 剥製学の権威であり、学会の長でもあるモーリスのプライベートには、別の側面があることもわかった。とんでもなく女性好きなのである。少々きれいな(そして若い)女性を見かけると、誰彼構わず誘ったり、からかったりする。相手が同僚であろうが、誰かの婚約者であろうがお構いなしだ。それはどう考えてもセクハラでしょうと言いたくなることばかりやらかしているのだが、周囲の目に気づいていないのか、あるいは彼の脳内辞書にはセクハラという項目がないのか。

 そんなわけで容疑者には事欠かなかった。

 まずはモーリスの妻ローラである。48歳となったいまも若々しく美しいこの女性は、夫の悪癖にほとほとうんざりしていた。大学卒業後すぐにモーリスと結婚し、ほどなくして双子の男の子を産んだので、ローラはこれまでの人生を家事と育児に捧げてきた。ところが、結婚した直後から夫は自分の悪癖を隠そうともしなかった。夫が欲しかったのは自分の社会的地位の見栄えを良くするような、美しくて資産を持った妻だったのだ。
 ローラはもう長いこと夫に愛情を抱いておらず、夫の不実を気にするのも止めた。離婚を考えたこともないではないが、日々の生活に追われるうちに20年という長い歳月が過ぎてしまっていた。いまさらロマンスを求めてはいなかったが、自分より10歳若くハンサムなサイモンに出会い、ふたりでドライヴをするなど、久しぶりに心ときめく思いを味わっていた。

 周囲の女性達のなかでは、モーリスの仕事を支えているヴィッキーや、研究者イアンのフィアンセのピッパなどがモーリスにしつこく迫られていた。とくに明るく社交的な美人のピッパを気に入ったらしく、イアンという婚約者がいることを知りながら、モーリスは何度となくくどいていたらしい。そんなモーリスにイアンは激しい怒りを感じていた……といったぐあいに次から次へと容疑者が現れるものの、犯行時刻と思われる時間に全員にアリバイがあった。第一発見者となった行きがかり上、ジェニーも素人探偵ながら調査を始めるが――

 本書はチェリーレッドのバンで移動しながら、あちこちでケータリング料理を提供するフリーランスのコック、ジェニー・スターリング・シリーズの5作目である。カリスマ的存在の著名なコックを父に持ち、20代後半にして父譲りの料理の腕前を武器に渡り歩く、言ってみれば流しのコックだ。そして、本人はまったく望んでいないのに、行く先々で事件に巻き込まれる。

 シリーズ1作目の “THE BIRTHDAY MYSTERY” では上流階級の双子の誕生パーティの料理を頼まれて出向いた会場で若者の溺死体が見つかった。2作目の “THE WINTER MYSTERY” では雪深い土地のカントリーハウスでクリスマス料理を準備中に死体が発見される。以後、3作目 “THE RIVERBOAT MYSTERY”、4作目 “THE CASTLE MYSTERY”、5作目の本作と続き、6作目 “THE TEATIME MYSTERY” まで刊行されている。どの作品も料理の描写が実に魅力的だ。

 著者フェイス・マーティンは25年ものあいだ物語を書き続けており、複数のペンネームを使って複数のシリーズ作品を執筆中である。本作は一度ジョイス・ケイトー名義の “DEADLY STUFF” として刊行され、改題されている。

 

片山奈緒美(かたやま なおみ)

翻訳者。北海道旭川市出身。ミステリーはリンダ・ジョフィ・ハル著『クーポンマダムの事件メモ』、リンダ・O・ジョンストン著『愛犬をつれた名探偵』ほかペット探偵シリーズを翻訳。ときどき短編翻訳やレビュー執筆なども。365日朝夕の愛犬(甲斐犬)の散歩をこなしながら、カリスマ・ドッグトレーナーによる『あなたの犬は幸せですか』、介助犬を描いた『エンダル』、ペットロスを扱った『スプライト』など犬関係の本も翻訳。非常勤講師として大学で教えながら、大学院で日本語教育学/多文化共生の研究中。

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