今回は、MI6(英国秘密情報部)の元工作員、エリオット・ケインが活躍するシリーズの3作目、The Shame Archive(Abacus/2024年)を取り上げます。著者は『バッドタイム・ブルース』(府川由美恵訳/早川書房)のオリヴァー・ハリス
 余談ですが、ケインのシリーズ第2作 Ascension も2022年に当欄で紹介されています。

 MI6を退職して、ジャーナリストのジュリエット・ベルと調査会社〈KXGI〉を起ち上げたケインはかつての同僚、アリステア・ゴドフリーからアンソニー・ザカリアが殺害されたという連絡を受ける。ザカリアの本名はアントン・ザカリアン、ケインが2000年代に寝返らせたロシア軍情報部の高官で、現在は引退しているはずだった。
 殺害現場を訪れたケインは、エクリプスと書かれた紙片が本に挟まれていることに気づくが、そのメモには暗号通貨の口座と思しき英数字コードもあった。
 翌日、ゴドフリーと会ったケインは、ザカリアンが数日前からMI6に助けを求めていたこと、更にはケインやクリスチャン・リヴェラに連絡を取ろうとしていたことを知る。ケイン、リヴェラ、ザカリアンの三人はかつて〈ハルシオン〉と名付けられた任務に関わっていたが、その目的は英国に移住したロシア人を標的とするクレムリン直属の暗殺者集団、22195部隊を阻止することだった。
 またザカリアンはモルドバ共和国に住む兄弟に「情報が漏れた。危険が迫っている」と話していたことも明らかになり、再び22195部隊が暗躍していると危惧するゴドフリーはケインに現場への復帰を打診する。
 それを断って〈KXGI〉の仕事に戻ったケインだが、調査対象である実業家の信用を失墜させるべく手に入れたビデオが、数年前にMI6が撮影したものであることに気づく。情報収集を請け負った調査員から入手経路を聞き出したケインは、〈ナイトマーケット〉と呼ばれるダークウェブのサイトに辿り着く。
 そこでは武器や麻薬、そして情報が取引されていて、エクリプスと名乗る人物が英国政府の機密書類を売りに出していた。ケインは相手がザカリアンの殺害犯だと直感して、試しに自分のデータを購入するが、それはMI6が採用に際して実施した身元調査書類一式だった。
 MI6長官であるジョン・ブロートンに面会を申し込んで大掛かりな情報漏洩があったと訴えるものの、組織の体面を優先するブロートンは重い腰を上げようとはしない。危機感を抱いたケインは、かつてGCHQ(政府通信本部)に所属していたサイバーセキュリティの専門家、ティム・カニンガムに助けを求める。
 
 本書は、二人の登場人物の視点から交互に描かれる構成となっている。
 第一章は、かつてエスコートとして働き、今は次期英国首相とも目される閣僚であるロバートの妻として平穏に暮らしているレベッカ・シンクレアが突然エクリプスと名乗る人物から「お前の正体を知っている」というメッセージを受け取る場面から始まる。
 フィッシング詐欺だと思い、取り合わずにいると猥褻な写真が三枚届き、夫や知人に暴露されたくなければ金を払えと脅迫される。客を取った際には撮影を一切許さなかったレベッカは困惑するが、写真がすべてエスコート時代に何度も訪れた大邸宅で撮影されたものであることに気づく。
 そして第二章ではザカリアン殺害の知らせを受け取るケインが描かれ、以後の物語は奇数章がレベッカ、偶数章はケイン、と展開して、一見関係のなさそうな二人の軌跡はどのように交錯するのか、という期待を抱かせながら、ぐいぐいと読者を引き込んでいく。
 更に、ケインとレベッカは勿論、〈KXGI〉の共同経営者であるジュリエット・ベルと、その息子のメイソンも物語の魅力を引き立てている。
 特に、さりげなく挿入されるケインとメイソンのやり取りは地味ながらも心温まるもので、全体の殺伐とした雰囲気を巧みに和らげてくれる。
 シリーズのこれまでの二作では冷静沈着なケインの活躍が楽しめたが、今回はMI6の支援もなく、徒手空拳でエクリプスに挑むこととなり、ジュリエットやメイソンを守ることができるのかと悩む人間的な一面も丁寧に描かれ、大いに楽しめる仕上がりとなっている。

◇作品リスト◇
 ニック・ベルシーを主人公とするシリーズ:
  The Hollow Man(2011年)
  →『バッドタイム・ブルース』(府川由美恵訳/早川書房/2013年)
  Deep Shelter(2013年)
  The House of Fame(2015年)
  A Season in Exile(2022年)
 
 エリオット・ケインを主人公とするシリーズ:
  A Shadow Intelligence (2019年)
  Ascension(2021年)
  The Shame Archive(2024年) 本書
  Winter Mirror

寳村信二(たからむら しんじ)

 著者のホームページには現在韓国在住とあって驚いたが、嬉しいことに、ケインのシリーズ第4作として Winter Mirror という作品が掲載されていた。刊行年等の詳しい情報は一切なく、Coming soonとしか書かれていなかったが、来年くらいには読めるのでは、と勝手に期待している。

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