書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。その二人+文藝春秋編集者永嶋俊一郎氏による上半期の翻訳ミステリー総括イベントが6月30日に下北沢B&Bで開催されます。前日同書では、千街晶之氏・若林踏氏と杉江松恋による国内篇もありますので、よければ併せてご観覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

川出正樹

『国語教師』ユーディット・W・タシュラー/浅井晶子訳

集英社

 「物語(フィクション)には力がある」という言いまわしは好意的な意味で使われることが多いけれども、実はその力が諸刃の剣であることを忘れてしまうと思わぬしっぺ返しを食らうことになる。『国語教師』を読み進めている間、ずっとそんな思いが頭から離れなかった。これは、読む者を捕らえ、虚実の間を危うくしかねないサスペンス漂う、愛と憎悪、選択と悔恨、喪失と救済の物語だ。

 十六年つきあった後に別れ、十六年ぶりに偶然再開した作家と国語教師。ともに苛酷な人生を歩み、五十代半ばにさしかかった二人は、お互いに物語を語り合う。辛く思い通りに行かない現実を忘れさせてくれる〈物語〉。選択を誤り人生を台無しにしてしまったのではないかという後悔を慰撫してくれる〈物語〉。真相を解明することで新たな一歩を踏み出したいと訴える〈物語〉。

 二人の生い立ちから、出会い別れるまでの過去の話、再開が決まってから実際に会うまでのメールのやりとり、再開した二人が交わす現在の会話、そして作家が語る執筆中の物語と、国語教師が語る男と女の歪んだ愛の物語。四つの場面を頻繁に切り替えて過去と現在を往還し、二人の視点から元恋人たちの数奇な人生を徐々に再構築していく力量に圧倒された。フリードリヒ・グラウザー賞(ドイツ推理作家協会賞)を受賞した本書で初紹介となるユーディト・W・タシュラーの次作をじっくりと待ちたい。

 

千街晶之

『官僚謀殺シリーズ 知能犯之罠』紫金陳/阿井幸作訳

行舟文化

 中国では東野圭吾の小説が広く読まれており、「中国の東野圭吾」と呼ばれる作家も複数いると聞く。本書も、東野の『容疑者Xの献身』を想起する日本の読者は多いだろう。主人公は「十五人の局長を殺し、局長が足りなければ課長も殺す」というメッセージを堂々と現場に残し、無数の監視カメラをかいくぐって官僚たちの命を次々と狙う挑発的な知能犯。彼と対峙するのは、その旧友である市公安局の腕利き捜査官だ。倒叙ミステリのパターンを踏襲しつつ、知能犯対捜査官の頭脳戦が繰り広げられる。ところが後半になると、物語は『容疑者Xの献身』とは似ても似つかないユニークな展開に突入するのだ。随所で描かれる犯人の意図不明の行動が、すべて伏線として収斂するラストの決着には茫然とした。

 

霜月蒼

『愛なんてセックスの書き間違い』ハーラン・エリスン/若島正・渡辺佐智江訳

国書刊行会

 ハーラン・エリスンはつねに都会と暴力のギザギザを身にまとっていた。その傑作の多くでSFとしての華麗なヴィジョンを載せていたプラットフォームは、都会らしい冷淡さと暴力性でできた非情なノワールだったと私は考えている。短篇小説としてのキレ味は、50年代にミステリとSFの短編が共有していた「あの味わい」でもあった。

 そんなエリスンの非SFを集めた本書は、したがって都会の孤独とデスペレーションを基調とした犯罪小説ばかりで、すなわち良質のノワールでありハードボイルドのコレクションなのである。孤独と諧謔と自虐と狂気と妄想をないまぜに言葉が堰を切ったように噴出する味わいは、ジム・トンプスンを思わせることも。さすが「鞭打たれた犬たちのうめき」と「ソフト・モンキー」でMWA賞をとっただけのことはあります。傑作。

 

北上次郎

『緋い空の下で』マーク・サリヴァン/霜月桂訳

扶桑社ミステリー

 第2次大戦末期のイタリアを舞台にした長編小説。主人公は17歳のピノ。だから青春冒険小説の趣がある。というのは、ナチスを逃れるユダヤ人をアルプス越えでスイスに逃がす活動に従事するからだ。ドイツ軍に、パルチザンを騙る山賊団、さらには雪崩とも闘わなければならないから、それだけでも充分に面白い。ところが、それだけではないのだ。後半になると物語は意外な方向に転換していく。それが本書の最大のキモ。

 

吉野仁

『緋い空の下で』マーク・サリヴァン/霜月桂訳

扶桑社ミステリー

 これは第二次大戦末期、イタリアにおけるレジスタンスの活躍を描いた小説だ。ヒトラー政権下におけるドイツの物語ならばこれまでも何作か読んできたが、イタリアとなると珍しい。だが、主人公がユダヤ人を山越えでスイスへ逃がしたり、ナチス高官のもとでスパイとして働いたりするなど戦時冒険小説としての読みどころがつまっている。実話をもとにしたとあるが重厚さはなく、十代後半の青年が主人公のせいかYA(ヤングアダルト)小説のようで、すごく読みやすい。大河ロマンの趣きも感じられる傑作だ。そのほか、ソフィー・エナフ『パリ警視庁迷宮捜査班』は、落ちこぼれ刑事が大集合のひたすら愉しい警察小説で、早くも続編が待ち遠しい。

 

酒井貞道

『金時計』ポール・アルテ/平岡敦訳

行舟文化

「雪の密室」を扱った本格ミステリである。不可能興味と称されるであろうケレンに満ちており、アルテらしい仕上がりである。しかし、今回はそれ以上に、怪談の雰囲気が強くて読み応えがあった。何せ、探偵役が1911年のパートに登場しているのに、1991年を舞台にしたパートもあるのである。そちらは、
いくつかのシーンを鮮明に覚えているが、題名は思い出せない映画を再び見たい、という男とその妻の話が主になる。80年も経てば、1911年の名探偵は死んでいるか、生きているとしても探偵活動は流石に無理であろう老いを迎えているのは想像に難くなく、従ってこの物語の全てが探偵役によって解き明かされることはあり得ない。では話はどう転がっていくのか? 先行きは全く予断を許さないのだ。小道具やヒントの出し方、使い方も綺麗に決まっている。宝飾品に対する職人芸を見るような逸品。

 

杉江松恋

『指名手配』ロバート・クレイス/高橋恭美子訳

創元推理文庫

 例月以上に多種多彩な作品が刊行されて目移りしてしまった5月なのだけど、ここは基本に立ち返るしかない、と老舗ブランドを選択した。『モンキーズ・レインコート』以来のお付き合いになる私立探偵エルヴィス・コールと寡黙で頼れる相棒ジョー・パイクがひさびさの登場となる『指名手配』だ。

『容疑者』『約束』のスコット・ジェイムズ&マギーものもいいが、四半世紀を越えて今なお現役の私立探偵小説シリーズというのはそれだけで読む価値がある。今回コールが受けた依頼は、タイソン・コナーという少年が母親に隠れて何をやっているのか調べるという内容で、探偵が動くとたちまち彼が連続窃盗団の一員になってしまっていることが判明する。悲しむ母親のために一刻も早くタイソンをとっ捕まえてきて自首させなければならない。しかもその窃盗団の周辺で次々に人死にが出ているらしく、タイソンの命も風前の灯火なのである。筋立てはこれだけで、あとはタイソンの身柄を抑えるための争奪戦になる。後半に入ってからの加速が素晴らしく、どなたにもお薦めできる娯楽小説となっている。コールの大人の魅力はもちろんなのだが、タイソンを追ってくる謎の二人組がよくて、厭なブルース・ブラザースとでもいうべきキャラクターの立ち方をしている。悪役がこうでないと活劇は盛り上がらないのだ。

『指名手配』は母と子の関係を描いた非行少年小説の要素もあるので、もちろんお好きな方はハーラン・エリスン『愛なんてセックスの書き間違い』と併読されるといいと思う。今月のお薦めもう一冊はユーディト・W・タシュラー『国語教師』で、単なる駄目男小説かと思って読み始めると意外に構成が入り組んでいて、物語によって塗り替えられる現実という主題が重い。

 中国ミステリーにカー・マニアのフランス人作家が書いた不可能犯罪ミステリー、ドイツ・ミステリーに伝説のSF作家による短篇集と、いつも以上にバラエティに富んだ5月でした。来月はどのような作品が顔を出しますでしょうか。今から楽しみです。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧