「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 ロス・H・スペンサーの『俺には向かない職業』(1987)の訳者あとがきで、こんな一節があって「うん?」と首を傾げました。
 「(スペンサーの)今までの代表作は、いわゆる”ケイパーもの”の私立探偵パーデュー・シリーズ五冊」と書かれているのです。
 ミステリの分野でケイパーといえば、襲撃もの……銀行だったりカジノだったりへの強盗犯を主人公にしたクライム・ストーリーのことを指すのが一般的です。
 私立探偵パーデューシリーズ一作目の『されば愛しきコールガールよ』(1978)も続編の『おれに恋した女スパイ』(1979)も、襲撃シーンなどなかった筈で、それで「えっ、ケイパーもの?」と疑問に感じたわけです。
 この謎は、スペンサーの作品一覧を見た途端に解けました。このシリーズは、全て原題に〈ケイパー〉とつくのです。『されば愛しきコールガールよ』はThe DADA Caper、『おれに恋した女スパイ』はThe Reggis Arms Caperといった具合に。
 しかし、そうなると次に気になるのは、じゃあ原題でケイパーとついているのはどうしてだ、ということです。
 こちらについては辞書を引いて解決しました。Caperという単語には複数語義があって、犯罪、特に強奪を指すのはあくまで俗語で、書かれているのも項目の一番最後。Caperの意味として、辞書で犯罪の意味より上に出ているのは「陽気でふざけたはね回り」「悪ふざけ、いたずら、狂態」といった意味でした。
 これなら納得です。私立探偵パーデューものは、パーデューをメインとしたキャラクターたちが陽気にはね回りながら悪ふざけのような物語が展開される話ですから(『されば愛しきコールガールよ』の訳者あとがきを再読すると、ちゃんとどういう意味でcaperという単語を使っているのかが解説されていました)。
 そして、そういう意味では『俺には向かない職業』だって〈ケイパーもの〉といえそうです。
 本書の原題はKirby’s Last Circusですが、Kirby’s Last Caperに変えたって構わない筈。だって、主人公のバーチ・カービーが巻き込まれる一連の出来事は、陽気な悪ふざけ以外の何物でもない!

   *

 バーチー・カービーは、自他ともに認めるしまりのない私立探偵である。
 離婚専門の私立探偵として働いているが、依頼はろくに来ないし、依頼が来てもドジばかり踏む。看板の文字が〈カービー単偵社〉となっているのを直す金もない。ついでに言えば、ズボンのチャックもしまらない(しまる方は洗濯屋に出している)。
 それを、CIAが怪しんだ。
 ここまで完璧に、ドジな人間がいるわけない。これはきっと、あえて無能に見せている仮の姿で、本当は超優秀なエージェントに違いない。やがてカービーのもとにCIAからの依頼が舞い込む。
 それはある田舎の村に暗躍するソ連のスパイを探し出してほしいというものだった。
 かくして、カービーはCIAの女エージェントと二人で、その街に潜り込むのだが……というのが粗筋になります。
 普段の言動や行動から勘違いをされて、国家機密に関わる任務を拝命されてしまうというのはローレンス・ブロックの快盗タナーシリーズを彷彿とさせますが、あちらのシリーズとは一つ、大きな違いがあります。
 それは、カービーが、本当にどうしようもないポンコツであるということです。
 見た目は冴えないし、頭の回転も悪い。どんな状況でも減らず口が止まらないところだけが、ハードボイルド・ヒーロー的な私立探偵との共通点。
 そんな男が、いきなり優秀なスパイとして扱われてしまい、任務に出向くことになる。この時点で、可笑しみが溢れます。
 CIAのエージェントたちは皆、カービーがやるドジを全て愚か者のフリをわざとしていると勘違いをし、どんどんカービーにとって状況は悪くなる。勘弁してくれ、俺にはスパイなんて向いちゃいない!
 その上、潜入捜査としてやらされるのも、向いていない仕事ばかり。田舎町の野球チームのブルペンピッチャーに、サーカスの雑用……
 果たして、カービーはこの〈俺には向かない職業〉体験を、乗り越えられるのか? そして、ソ連のスパイを捕まえられるのか? 本書は、そういう話で、つまりは、抱腹絶倒のコメディ・ストーリーです。
 とにかく、話がとんでもない方向に転がっていく。
 そもそものCIAにどういう訳か過大評価をされてしまう、という時点でとんでもないといえばとんでもないのですが、それよりもその先の展開がもっとぶっ飛んでいるのです。
 まさしく、悪ふざけ。田舎町の野球チームではハゲワシが人をさらい、サーカスのテントでは人間大砲が暴発します。トニー・ケンリック張りといって差し支えないドタバタ劇が繰り広げられるのです。
 そして、このドタバタ劇を書く文章の方だって素晴らしい。
 スペンサーといえば『さらば愛しきコールガールよ』の、一文ごとに改行する文体を思い出す人がいるかもしれませんが、本書ではそれはありません。ちゃんと段落があり、ページをまたぐ長さの文章もある。けれど、会話や文章の表現に散りばめられたユーモアの量は変わりません。
 とんでもない話とユーモアあふれる文章、この二つが合わさった本書はまさに陽気な悪ふざけとしか言いようがない雰囲気で、読み進めていくうちに、空中分解しかねない熱量へ達します。
 しかし、ご安心を。
 作者は全ての要素を読者が満足する形で、きっちりとまとめあげてくれます。
 ここまで散々めちゃくちゃな話のように書いてきたのですが(そして、実際にそうなのですが)、本書には一つの太い芯があって、そこはブレないのです。
 バーチ・カービーという、自他ともに認めるダメダメな人間が、希望を見つけようとするという太い芯が。

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 本書では、導入の部分から最後に至るまで、リフレインのようにあるエピソードが語られます。それは、カービーがよく見る、女の形をした希望の夢の話です。
 カービーは三十七歳の今に至るまで、社会的な何かを築きあげられなかった自分は負け犬だという意識を持ち続けている人間です。優秀なエージェントとして勘違いで持ち上げられても、それで気は良くせず、彼は自分は何をやっているんだということを常に考え続けます。
 自分が本当にやりたいことは何だろう。それは分からない。あの女の形をした希望を迎えたい。せめて、その夢だけを見続けていたい。
 コミカルな物語の中で、このカービーのシリアスな悩みだけは一貫していて、それが最後の最後、彼自身の行動として表れ、物語はそのラインでまとまるのです。
 ここが、とにかく良いのです。
 つい、男泣きをしてしまうくらい。そこまでは笑い泣きだったのに!

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 僕は愛とユーモアのある話、というのに大変に弱いタチなのですが、『俺には向かない職業』はまるで自分のために神様がプレゼントしてくれた話のように感じる一冊でした。
 物語のどこを切り取ってもユーモアがあって、ドタバタしたコミカルな物語があって、全体を希望というテーマで貫いている。思えば『されば愛しきコールガールよ』だって、そうでした。
 ロス・H・スペンサーの書く〈ケイパーもの〉は、僕にとって、理想のミステリの一つです。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人三年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby