「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 

 健康のため、週に三回は運動をするよう心がけています。
 我ながら意外なのですが、今のところしっかり習慣にすることができています。自主的にやってみると運動って中々に楽しいものですね。汗を流すこと自体も気持ちいいのですが、それ以上に精神衛生上良い気がする。自分は一時間くらいは走ったり泳いだりを続けられるんだというのが自信になる。以前よりどことなくポジティブな気分でいられているように思います。
 筋トレにハマる人の中には「これだけ鍛えてあれば誰かと喧嘩になっても自分が勝つ」と思えることがモチベーションになっている方も多いと聞きます。僕はランニングや水泳みたいな有酸素運動が中心なのでその感覚はないのですが、なんとなくは分かる。自分の肉体、あるいはそれが経験したものから心に余裕が生まれる。
 ウォラス・ヒルディック『ブラックネルの殺人理論』(1975)を読んだ時、思わず苦笑いしてしまいました。作中で語られるロン・ブラックネルという男の考え方が運動のおかげでポジティブになれた自分の体験と重なったからです。ただし、彼がしたのはフィットネストレーニングではなく殺人です。
 人を殺したおかげで毎日の生活に自信が持て、楽しくなる。本書は、そんなとんでもないことを語る男が登場する皮肉な笑いに満ちたクライム・ノヴェルの佳作です。

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 イギリスから渡米してきた後、ロンとパットのブラックネル夫妻の生活はどうも上手くいっていない。
 ニューヨークにいた時はまだ良い感じだった。けれど、郊外のパーマーズ・ポイントに越してきてからは不愉快なことばかりだ。パーティーばかり開きたがる隣人たちは、夫妻をひたすらに疲れさせた。その結果、夫婦間の仲も悪くなった。
 最近はどうも、そうしたアメリカ生活の疲れだけじゃない理由で何かがおかしい。ロンの機嫌が良くなったり悪くなったりで不安定なのだ。
 ロンが仕事で家を空けていたある日、パットは一冊のノートを発見する。ロンの日記らしい。開いてみたところ、そこに書いてあったのは想像を超える内容だった。ロンは、独自の理論に基づいて殺人を繰り返しているというのだ……
 物語は、基本的にはパットの手記という形で語られます。
 ロンの秘密の日記を読んで、それによってパニックになった頭をまとめるために自分も書いてみた、という理由づけがされているのですが、ちょっと面白い趣向が用意されている。合間合間にパットが自分のノートの方に書き写したものとしてロンの日記が引かれているのです。現在時点でのパットの雑感と、ロンの秘密の日記が交互に語られるという構成になっているわけです。
 ロンのパートはあくまでパットが書き写しているものということになっているので、パットの判断による省略が入っていたり、ロンが帰ってきた物音がしたので章の途中で中断したりする。この部分に独特の読み味があって楽しいのです。
 ロンはインテリなので、時に小難しい専門用語を駆使しながら自分の考えを綴る。それに対し、パットは自分には教育がないから夫が何を書いているかよく分からない。いちいち辞書を引かなきゃいけないと愚痴りながら平易な、軽い言葉遣いで気持ちを語る。パットはロンが本当に殺人犯だとは信じていない(日記の内容は新聞を読んで妄想を膨らませただけと思っている)こともあり、全体的な雰囲気はどことなく気が抜けていてユーモラス。ここが本書の第一の特徴です。
 第二の特徴は、ロンの殺人理論です。
 一言で説明すると自信をつけるために人を殺す、というのがその理屈になります。
 切っ掛けは断食だったとロンは語ります。一週間もの間、何も口にしなかったことがあった。周囲の人は妻であるパット含め、そんなことをしていたなんて気づいてすらいない。だが、断食を終えた後、周りの人間の態度がちょっと変わった。以前よりもロンのことを尊敬するようになった気がする。これは何故か。ロンが、断食という苦行を乗り越えたことにより自尊心を得ていて、それによってある種のオーラを身に纏ったので見る目が変わったのだ。
 自分の内的なものが変われば、発せられる雰囲気が自然に変わって、それが周りにも影響を与える。ここまでは自己啓発書の類でもよく言われることです。しかし、ロンはそこで逸脱します。
 では、殺人を犯してみたらどうだろうか。自分はいざとなれば人を殺せる人間だというのは、断食以上の自信になるのではないか。
 殺すために殺すのだから、そのターゲットは誰でもいい。強いていえば、殺されても誰も悲しまないような人間が良いだろう。たとえば浮浪者、たとえば暴走族……ロンはこの考えの下、自分は人を殺したと書きます。おかげで今、生活が好転しているとも。
 他に類を見ない動機による犯行、と言っていいでしょう。
 変な理論による殺人が、変な形式で語られる。それがこの『ブラックネルの殺人理論』という小説で、読者は読んでいるうちに、この奇妙さから目が離せなくなってしまう。
 果たしてロンは本当にこんな理由で殺人をしたのか。パットが信じるようにノートにちょっと空想を書き綴っただけなのか。本当に殺人を犯していた場合、パットはどうすればいいのか。段々と物語の緊張感は高まっていき、いつの間にか作者の手の内に落ちていて、ページを捲る手が止められなくなっている。

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 語りと、語られる内容ともに変と書きましたが、ただ奇をてらっているだけではなく、この二つの特徴が有機的に結びついているのが本書の最大の美点でしょう。
 どちらもロンの性格の深掘りをしてくれているのです。
 ロンは、かなりプライドが高い男です。そして、本人にはそこまでの自覚はないようですが、教育がない人、身分の低い人を自然と見下している部分がある。
 特にパットはそのことをひしひしと感じていて、その差が些細な描写で示されています。たとえば先に書いた、ロンが使う単語に対しパットは辞書を引かなければ意味が取れないという件も、ちょっとした劣等感へ繋がっているわけです。
 また、ロンの身勝手な殺人理論自体も、こうした自然な見下しがあってこそのものです。殺されたって別に良いような人間がこの世にはいるじゃないか。殺して何が悪い。
 全編を通して皮肉な視点があるこの小説ですが、個人的にはロンの身勝手さを浮き彫りにさせるこの構造に、一番の皮肉を感じます。物語の決着も、このロンの性格描写の先にある。オチの切れ味も鋭く、作者の哄笑が聞こえてくるかのようなのです。

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 以前、ジェームズ・アンダースン『殺意の団欒』(1980)を本連載で取り上げた際、夫婦間の関係性のサスペンスを〈夫と妻に捧げる犯罪〉ものと呼び、時代が変わっても愛し、憎み合う関係は変わらないから古びることがないと書きました。
 ロンが殺意を向ける対象は妻ではないので〈夫と妻に捧げる犯罪〉ものとはちょっと違うのですが、本書についても同じことは言えると思います。
 ちょっとしたことで湧く自尊心、その裏にある傲慢さといった部分は多分、人間が人間でいる限りは変わらない。鋭い人間観察が根底にあるサスペンスとして、『ブラックネルの殺人理論』も現代の読者にとっても面白い小説であり続けるはずです。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby