そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
「戦争や紛争、全てビジネスだ。一人を殺せば悪党で、百万人殺せば英雄だ。数が浄化する」とは、チャップリン映画の台詞です。今さら引用することが少し気恥ずかしくなってしまうくらい有名なフレーズですが、それだけ社会や人間心理の普遍的な核心を突いているということなのでしょう。本質的にはやっていることは同じでも、規模や状況が異なれば評価が変わってしまうことが世の中にはある。
トマス・ペリーの『アイランド』(1987)を読んだ時、僕はこの言葉を真っ先に思い出しました。間違いなくクライム・ノヴェルのはずなのに、作中で行われる犯罪の規模が余りにも大きいせいで、とてもそうは思えない。
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トマス・ペリーという作家はクライム・ノヴェルの書き手と断言してしまって良いと思います。特に明るいユーモアが漂う犯罪小説が上手い。
たとえば『ビッグ・フィッシュ』(1985)です。主人公は武器密輸業を営む夫婦で、そろそろ引退を考えている。最後の仕事にしてもいい、と臨んだのは、日本人を相手にした二百万ドルの大取引。だが、その取引の裏にはとんでもない陰謀が隠されていて……という粗筋です。
この小説の魅力は、なんといってもキャラクターです。ダシール・ハメットのニック&ノラの犯罪者版と評される主人公夫婦の信頼関係、半ばその二人に流されるように作戦に参加する俳優エージェントの友人といったメインキャラクターをはじめとして、端役に至るまで好感が持てるし、彼ら彼女らの台詞も心地よい。
そして、ストーリーも良い。予想外の方向へテンポ良くスケールが膨らんでいくのが痛快で、ラストまで一気呵成に読めてしまう作品です。
キャラが活き活きとしていて、ユーモアがあって、話の転がし方も巧み、とエンターテイメントの作家として申し分のない実力を持っているのがペリーという作家なのです。
そこで『アイランド』です。この作品もまた、ペリー作品の長所がそのまま当てはまります。主人公が詐欺師という職業犯罪者なのも『ビッグ・フィッシュ』や『逃げる殺し屋』(1982)といった他の作品と同様です。
しかし異色作の雰囲気がある。
最初に言った通り、作中で行われることの規模が大きすぎて、同列にして良いものかと悩んでしまうのです。
この作品で登場人物が行う「犯罪」は、なんと、建国なのです。
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詐欺で生計を立てているハリーとエマのアースキン夫妻は、決死の思いでキャディラックを走らせていた。傍らには大金の入ったスーツケースがある。ファット・ジミーから奪い取った金だ。それで追われている。
一応は撒くことができたが、まだ安心はできない。ジミーはマフィアの大ボスだ。国中に捜査網を張り巡らせ、絶対に追いついてくる。どうすればいいか、と悩むハリーが天啓に打たれたのは、夫妻をかくまってくれたカリブ人、ロード・カナーヴォンの船のキャビンで目にした一枚の紙切れだった。
カリブ海の海図だった。そこに、一つの島のことが書かれている。調べてみると、確かにその場所に小島があるらしい。だが、周囲にあるどの国の領地でもない。
この島をおれたちのものにしてしまったら、どうだろう。新しい国を作るのだ。ジミーも流石に追ってこれないだろうし、何よりも……金を稼げる臭いがする!
かくして、全世界を騙くらかす詐欺師による国家建設が始まった。
強烈な粗筋です。
誰からも許可を得ずに土地を自分のものにして、その上に新しい国を作るというのは犯罪であることは間違いないですが、ちょっと想像が追いつかない。島も国も嘘八百ということであれば詐欺の類型に当てはめられますが、困ったことに本書ではハリーたちは本当に作ってしまうのです。
この部分がワクワクする。
その島というのは、実は満潮時には海中に沈んでしまうような場所。しかし、それを知ってもハリーは諦めない。あの手この手でかき集めたヘドロや瓦礫、ゴミで埋め立てて土地を作ってしまう。
領土が出来上がったら次に必要なのは、他国に独立国家だと認めさせることだ。そこは詐欺師の腕の見せどころ、どうでもいいような国際条約に加盟しまくるなどの裏技を使い、国としてのやり取りや取引を行って実体を作っていく。
そこまで来てしまえば、後は濡れ手に粟のボロ儲けです。アメリカをはじめとした世界中の国の資産家や企業、銀行が税金逃れのために島にやってくる。カジノや野球場などの歓楽施設も作ったから、外貨獲得の手段には事欠かない。
数年が経つ頃には島は立派に栄えていて、そこに住む人々も国民としての意識を持つまでになっていた。
そうなってくると最早、名実ともに本物の国です。ハリーたちが頭を悩ませる事柄も、外部からの攻撃にどう備えるかや、難民の扱いをどうすればいいかなど政治の話になってくる。
夢のようだった話が、あれよあれよとリアリティを持って実現されていき、最初には予想もしていなかった方へ広がっていく。ホラ話の楽しさここにありといった趣です。
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本書の魅力はただ壮大なホラ話として面白いだけにとどまりません。最初に言った通り、ペリー作品はキャラが良い。特に本書はハリーが良い。
ハリーは一言で言えば、全てをコントロールしておきたい男です。
詐欺を生業にしていたことからしてそうです。全て自分で吐く嘘だからこそ、何もかも思いのままにできる。そのことに安心感を覚える。逆に、何か操れない要素があると強い不安を感じてしまう。
今回のでっちあげも、計画のスタートからしばらくは全てハリーのコントロールの下にありました。
それが、国が本物になっていくにつれ上手くいかなくなります。全てを把握すること、操ることなんてできやしない。そもそも、国でそれをやったら、それは自分が独裁者ってことになってしまうじゃないか。そんなものにはなりたくない。
国の成長と危機が、そのままハリーのアイデンティティに関わってくるわけです。ここが本書の最大の魅力だと思います。こんなにも規模の大きな話にも関わらず、中心にいるのはちっぽけな犯罪者で、それによって話が見事にまとまっている。
何故、ハリーはコントロールできない要素があることをこんなに怖がっているのかという理由が分かった先のラストシーンは本当に爽やかで、思わずため息が漏れてしまうような出来栄えです。
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トマス・ペリーの作品は講談社文庫から『蒸発請負人』(1995)が出された後、日本では一度、訳出が途切れてしまいました(正確には『アイランド』と『蒸発請負人』の間も六年かかっているのですが)。それが近年になって『アベルVSホイト』(2016)と『老いた男』(2017)が刊行され、再び紹介されたという経緯を辿っています。
長い中断を挟んでいても作風に大きな変化がないというのが嬉しいところで、かつてペリーの小説を読んでいたオールドファンは新作を存分に堪能できるし、逆に新作からペリーを知った若いファンも遡って楽しめる。
そうした再評価の中で、異色作な『アイランド』は古くからのファンも新しいファンも読むのを飛ばしがちな作品かもしれません。
それは余りに勿体ない。是非とも色々な人に読んでもらいたい、素晴らしいクライム・ノヴェルだと思います。
◆乱読クライム・ノヴェル バックナンバー◆
小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人七年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |