「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

  ビル・S・バリンジャーを改めて読むべき時が来ているのではないかと、思ったのです。
 『歯と爪』(1955)はミステリに触れ始めてすぐに読んでいました。国内作品、特に新本格ミステリの有名作を次々読破していた頃でした。どんでん返しに脳を焼かれ、「もっと読みたい!」とガイドブックやWebサイトをチェックしていたところ、この手のトリックなら海外作家ではバリンジャーが凄いという情報を目にし、代表作を手に取ったわけです。
 騙されはしたけれど、それ程でもないなという感想だったと思います。バリンジャーの方が元祖であることは明らかでしたが、読んだことのあるテクニックでした。
 ただ、面白くはあった。翻訳小説全般に苦手意識を持っていたのに、あっという間に読み終えてしまった。
 流石は名作、けれどトリックは今や大したことがない。総合すると、そんな評価でした。
 『消された時間』(1957)も読みましたが、その際はネタも見破ってしまい、すっかり「仕掛けの名手だが時代遅れになってしまった作家」で印象が固まってしまいました。
 それで他の作品は読まずじまいだったのですが、最近になって急に気になりだしたのです。
 僕は『歯と爪』について、どこを面白く感じたのだろう。
 主人公の恋と復讐の部分だ。都会へ出てきたが、思うように欲しいものを手に入れられていない。そんな孤独の中で生きていた男と女が出会い一瞬の幸せを掴むが、失ってしまう。男は復讐を決意する。筋を思い返していった時、はたと気づいたのです。これ、今の僕が好きなクライム・ノヴェルそのものじゃないか? コーネル・ウールリッチやチャールズ・ウィルフォードに通じる。ノワールの香りがする。
 なら、今こそバリンジャーにはまるんじゃないか。
 大当たりでした。『歯と爪』や『消された時間』は初読よりも評価が上がった。何より、読み残していた作品が凄かった。
 悪女あるいは時代の被害者といった一面的な評価では語り切れない女性の姿を描き出す手際が抜群な『煙で描いた肖像画』(1950)、堕ちていく刑事のどうしようもない心情を見事に捉えた、文句の出しようがないアメリカ型犯罪小説『美しき罠』(1953)。
 真っ当で、幸せな生活を手にしたかった。けれどそうはいかなかった。人間を悲劇へ引きずり込む、そうした気持ちを描くのが巧い。小説家バリンジャーの力量を今更ながら思い知らされました。
 今回紹介する『赤毛の男の妻』(1957)は、その実力があらゆる意味で発揮された秀作だと思います。
 
   *
 
 夜の雨に赤毛を濡らしながら、脱獄囚ヒュウ・ローハンは妻マーセデスの待つ場所へ向かっていた。軍隊に取られ、刑務所に放り込まれ、心身ともにボロボロにされた彼を支えてくれていたもの、それがマーセデスからの、そしてマーセデスへの愛だった。
 だが、待っていたのは予想外の事態だった。
 この数年、連絡がとれなかったせいでヒュウは死んだことになっており、その間にマーセデスは別の男と結婚していたのだ。それも、不幸な結婚を。
 ヒュウは言い争いの末、マーセデスの現在の夫ターナーを殺してしまう。そうなると、二人に残された道はたった一つだ。逃げるのだ。それしかない。
 翌日、死体は発見された。ニューヨーク第十九管区所属の刑事である”ぼく”は報告を受けて早速、出動した。そこに特別な理由など一切ない。偶々、”ぼく”がこの区域に属していて、偶々担当するよう命じられたというだけだ。
 しかし、この追跡は予想外に”ぼく”にとって特別な意味を持つものとなり……
 『赤毛の男の妻』は、追う者と追われる者の物語です。
 バリンジャーお得意のカットバック技法は今作でも採用されており、二人の逃走と、”ぼく”の捜査が交互に語られる構成になっています。捜査をする側とされる側の二視点なのは『煙で描いた肖像画』と同じですが、あちらが十年の間に何があったのかを調査する話だったのに対し、本書はリアルタイムでの追跡になっており、それが全編に渡って張りつめた緊張感を生んでいます。
 安心できる場所なんてどこにもない。持っている数少ない財産を削りながら、ひたすら逃げていくヒュウとマーセデス。ろくにない情報をどうにか拾いながら二人へ迫っていく”ぼく”。この間の距離や時間を自在に縮め、スリルを盛り上げる手際が抜群で、バリンジャー作品の中でも特にサスペンスフルな一作であると言って良いでしょう。
 ヒュウとマーセデスの章では「最悪の事態にならないように逃げ切ってくれ」、”ぼく”の章では「最悪の事態になる前に捕まえてやってくれ」と、それぞれ都合の良い感情移入をしてしまう。
 とにかくヒュウとマーセデスの描写が、良いのです。
 二人は、失われてしまった青春の幻のために結びつき、それ故にヒビが入っている、そんな関係です。かつて熱烈に愛しあったが、それが理不尽な事態の連続によって破壊されてしまった。幸せを取り返すことができたはずなのだが……どこか違う。何かが変わってしまった。
 大好きなシーンがあります。
 逃走中、二人がクリスマスプレゼントを交換しあう場面です。ヒュウは自分が稼いだ僅かな金で買った安っぽい化粧品セットを、マーセデスは昔ヒュウが欲しがっていたパイプを相手へ渡す。間違いなくお互いに相手のことを愛している。けれど、その形が違ってしまっていることが痛いほどに分かる。
 幸せになれないことを予感させながらも、それでも、どうか……そう願ってしまうのです。
 そして、この小説の最大の読みどころは、読者がこうやって感情移入していくように、”ぼく”も追いながらヒュウに自らのことを同化させていく部分です。
 ヒュウと”ぼく”は一見、真逆の存在です。犯罪者と刑事で、ヒュウは周囲にあるもの全てが不幸への道筋になっているのに対し、”ぼく”の周りには真っ当な人ばかりです。
 けれど”ぼく”は、ヒュウのことを追う内に、自らのことを重ねてしまうのです。自分も彼も、生まれ育った場所から幸せになるために都会へと出てきた。一体何が違うと言うのだろう。ヒュウの方も不思議とそれを感じ取る。
 ヒュウとマーセデス、ヒュウと”ぼく”、それぞれの関係が、これ以上進むと完全に壊れてしまうという地点に到達した時、物語は幕を閉じます。
 これしかないという完璧な構成だと思います。
 
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 敢えて触れていませんでしたが、『赤毛の男の妻』はサプライズエンディングが有名です。
 実のところ僕は、その終わり方を知っている状態で読みました。また、この仕掛けが、たとえば『歯と爪』と比べて物語本体とはそこまで関係ないという情報まで聞いていました。最初に書いたバリンジャーへの微妙な印象も重なり、長いこと敬遠していた。ネタを知ってしまったし、これが物語に関係ないというならしょうもなくないか? もしかしたら、同じような理由で手を出していない方もいるかもしれません。
 結論を言います。
 この小説はネタを知っている状態で読んでも十分以上に面白い。
 そして、このネタは物語本体と密接に結びついており「それで……」と大きな感動を生む類のものです。ネタバラしされていても否応がなしに心が震わされる。
 だから、どうか読んでほしい。
 バリンジャーが卓越した腕を持つ犯罪小説家であることがよく分かる名品です。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人七年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby