「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 

  一読忘れがたいという言い回しがありますが、カール・ハイアセンのクライム・ノヴェルほど、この評が似合うものもないでしょう。この言い方じゃまだ生ぬるい気さえしてくる。しみじみと振り返る時があるという感じではなく、事あるごとに思い出しほくそ笑んでしまうのがハイアセン作品ですから。
 とにかくインパクトが強い。
 『復讐はお好き?』(2004)が分かりやすく衝撃的です。主人公が豪華客船から突き落とされるところから話が始まるのです。お膳立てがあってプロローグのラストにそのシーンがある、とかじゃない。一行目が船のデッキの手すりを越える瞬間の記述。
 それだけで終わったら所謂「出オチ」というやつなのですが、そうじゃないのが凄い。どうにか生き延びた主人公が自分を突き落とした新郎への復讐を決意し仕返し作戦を始めるという展開へスピーディに繋げ、話がどんどん進んでいく。辿り着くのは思いもよらない着地点……というか読後感。最後の会話は忘れがたいというよりも、忘れようがない味で、この文章を書いている今でさえ僕はにやけているくらいです。
 ハイアセン作品には、どれもこういう味がある。話の概要、展開、結末、どの部分もインパクトと独特の雰囲気があって、しっかりと内容を覚えている。「ハイアセンのバス釣りのやつ」と言えば『大魚の一撃』(1987)を読んだことがある人は即座に「あれも変な話だよね。腕に死んだ犬の頭をぶら下げた男とか」と思い出してしまうはずです。未読の人は何を言っているか分からないと思うのですが、出てくるんですよ、そういう奴が。
 今回紹介する『殺意のシーズン』(1986)も、僕は生涯忘れることがないであろう作品です。「ハイアセンのワニのやつ」として、何かある度に思い出す。
 
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 物語は、失踪と殺人という二つの事件から始まります。
 失踪したのは自分が所属している団体の総会のため、サウスフロリダを半ば観光気分で訪れていた不動産業者で、殺されたのは大マイアミ商工会議所の顔役。
 当事者はともかくとして、フロリダの住人にとっては後者の方が圧倒的に衝撃的でした。名士が殺されただけではなく、その死体の状態が凄まじかった。スーツケースに入った状態で発見され、出してみると膝から下がない。しかもそれが刃物で切り取ったのではなく、獣に食いちぎられた様子という異様さ。おまけに口の中には何故かワニのおもちゃが詰め込まれている。
 私立探偵ブライアン・キーズがこの惨殺事件の調査に乗り出したのは、犯人として逮捕された青年の弁護士に雇われたためでした。青年と話してみて、キーズは確かに彼は犯人じゃなさそうだと感じます。車泥棒くらいのことはよくやっているようだが、あんなわけの分からない殺しをしたとは思えない。彼が犯人だとすると妙なことが多すぎる。その極致が、商工会議所に届いた手紙です。〈十二月の夜〉を名乗る団体からの犯行声明書なのですが、警察はまともに取り合っていない。だってそんな団体、聞いたことがないし目的も分からない。ただ、キーズは気になる。これは本物なのではないか?
 懸念は当たっていた。キーズは〈十二月の夜〉の思惑を知り、その過程で冒頭で語られていた不動産業者の事件が実はこちらの事件に関係していることも分かり……
 ストレートな私立探偵小説の粗筋に見えるかと思います。実際、本書の前半部はそのように読める。扱う事件や出てくる登場人物に奇矯なところがありますが、それも私立探偵小説の定型の中に収まる程度です。
 類型的だからつまらないわけでは決してない。テンポは良く、登場人物はみんなキャラが立っていて、ユーモアが溢れる文章も心地よい。しかし、この小説は、その先がもっと面白い。
 本書は、キーズが〈十二月の夜〉の正体に辿り着くまでが導入部になっていて、ここからが本番なのです。
 〈十二月の夜〉、彼らは、このサウスフロリダの地を自然豊かな常夏の楽園に戻すことを目的とする過激派団体なのです。観光客を拉致し、人を殺すのは、移住者を追い出すがため。といっても彼らの言い分としては殺人をしているわけではない。自分たちは手を下していない。ただ、人喰いワニと対決をさせているだけ。勝った方がこの地に残れるという自然の節理に則った、一対一の勝負の場を用意させているだけだというのだ。
 構成メンバーはたったの四人です。かつての国民的英雄だった黒人の元フットボール選手、金儲けの天才のセミノール族のネイティブアメリカン、反カストロ団体に所属していたが追い出された爆弾作りの達人のキューバ人、それから地元の新聞紙の花形コラムニスト。
 そこまで明かされたところで、物語の主題は彼ら〈十二月の夜〉とキーズ、というよりもマイアミに住む、または訪れる他の人々の対決へうつります。ここから一気に破天荒になる。
 〈十二月の夜〉のリーダーであるコラムニスト、スキップの繰り出す作戦の数々は、悪い冗談のようにしか思えない滅茶苦茶さ。それを止めようとする住人たちとの攻防戦は、笑いながらもハラハラさせられるという何か一つのサブジャンルに押し込めようがないパワーがあり、読者としては「面白い!」と唸りながらページをめくる他ない。
 文庫版で六百ページを超える分厚さの小説ですが、そんなこと意識すらせずに没頭してしまい気がついたら読み終えていること間違いなしの楽しさなのです。
 
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 本書の美点は、ストーリーがハチャメチャで面白いというだけではありません。とんでもないことをやっているのに、登場人物の描き方、感情の動かし方の部分でしっかりと作者が手綱を握っているところが最大の素晴らしさだと思います。
 特に物語の中核である、キーズとスキップの対比の部分、ここが良い。
 キーズは元々、新聞記者で、スキップとは元同僚だったという繋がりがあります。それ故に二人はお互いのことを誰よりも理解している。
 キーズが記者を辞めたのは、彼が傍観者でいたかった為でした。悲惨な事件に出くわすのが耐えられない。被害者たちに対して、自分が何をすることもできないという無力さが辛い。
 スキップはそこから「どうにかしよう」と行動をする人間なのです。それが最終的に、サウスフロリダを守るために〈十二月の夜〉を立ち上げるという判断に至ってしまった。
 それを止めようと、キーズは初めて傍観者でいることをやめる。『殺意のシーズン』は、主役格の二人のこの対立を核に物語が組み立てられていて、故に、どんなに無茶なことをやっていても読み味がブレることはない。
 本書は、キーズとスキップの正面対決で幕を下ろすのですが、この決着部分は全ての読者の胸を打つと言って過言ではないと思います。
 
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 ハイアセンはヤングアダルト向けの小説も書いていて、そちらでも有名です。僕は『HOOT』(2002)を中学生の頃に読んでいて、大学生になってから「えっ、これ、あの作品の作者なのか!」と驚愕した後に納得した覚えがあります。
 あれも『殺意のシーズン』や『大魚の一撃』と同じで、自然保全を一つのテーマにしていた話だったし、キャラクターもみんな活き活きとしていた。何より、面白くて、ずっと内容を覚えている。
 出会ったが最後、いつまでも好きでいられる作家です。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby