「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

  余りにも誠実すぎる作家、というのがクラーク・ハワードに対する印象です。
 人間という存在に対し、しっかりと向き合う。人や物を単純な正義と悪に二分するようなことはせず、登場人物全員を、清い部分も汚い部分も併せ持っていると描く。スカッと爽やかに終わるような構造の物語にはしない。
 そうしたスタンスのためか、作品に外連味は薄いです。
 今回紹介する『処刑のデッドライン』(1975)が、その典型でしょう。謂れのない罪を含む容疑で、死刑宣告された男を救うために新聞記者が奔走する。どこかで聞いたような気がする話です。訳者あとがきを読むと『死刑囚2455号』(1954)という自伝を書き、映画化もされた実在の死刑囚キャリル・チェスマンをモデルにして組み立てられた物語であるのがセールスポイントだったようですが、現代の読者としてはそれもいまいちピンとこない。死刑執行というタイムリミットがあるサスペンスの類似作『処刑6日前』(1935)や『幻の女』(1942)と並べた時、特色といえるものがあるのかが粗筋の段階だと分からない。
 しかし、いざ読んでみると「こうした物語は他に読んだことがないかもしれない」と思わされるのです。作品を貫くテーマに対して、これまでの人生で自分が真剣に向き合ってこなかったことに気づかされる。ハワードが向ける刃は鋭く、重い。何よりクライム・ノヴェルとして抜群に面白い。ひとまず、これだけ言っておきます。
 
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 先に書いた通り、『処刑のデッドライン』は死刑宣告された男の物語です。
 男の名前はウェルドン・ウィットマン、幾つもの前科を持つ常習的な犯罪者ですが、今回、捕まったのは〈スポットライト強盗〉の犯人としてでした。赤いスポットライトをつけた車に乗ることで、警官と思わせて油断させカップルを襲う手口の犯行で、強盗の他、強姦や誘拐など複合的な罪に問われました。
 新聞記者ロバート・クラウドは、記事のネタになるかもしれないと向かわされた先の法廷で、その判決を聞き、愕然とします。ウィットマンがしたとされる犯罪は、確かに許されざることだ。だが、殺人をしたというわけではない。なのに死刑とされるのか。おまけにウィットマン自身は〈スポットライト強盗〉が行った犯行の中で、特に悪質とされる数件については自分がやったわけではないと否認しているのだ。
 何か不正義が行われているような気がしてロバートは取材を始めたが……というのが大まかな粗筋になります。
 この時点で物語の軸が二つ示されていることに注意していただければと思います。死刑を宣告されたウィットマンだが実は濡れ衣なのではないかという犯罪小説では定番の筋と、たとえ全て彼の罪だったとしても果たしてそれは死刑に値するほどだろうかというもの。前者だけでも一つの物語を支えるには十分なのに、別の視点が用意されている。ここがポイントです。
 クラーク・ハワードは、この後もウィットマン事件に対して、幾つもの問題を提示していきます。判事は本当に公正に判決をくだすことができる立場だったか。捜査の方法に問題はなかったか。逆に、ウィットマンを助けようとロバートらを支援する者たちの方法だって、正当といえるものなのか。
 これらの問題はどれも、論理的には「正しい」と説明できるものです。たとえば最初にロバートが疑問を持った、殺人はしていないのに死刑という判決も、法的に誤りはない。ただ、そう判決を下さない判事や、陪審員もいるかもしれないというだけで。そうした、関係者の微妙な判断の積み重なりでクラウドが不正義と感じるような状況が出来上がっている。
 ウィットマンを助けようと動けば動くほど、どうすればいいのかという思いが深まっていく。誰が悪いと決めつけられるものではない。大体、良い悪いで言えばウィットマンが犯罪者で、死刑に問われた罪の内の幾つかをやっていることは間違いないのだ。
 これはこういうパターンの話で、こいつが善人で、あいつが悪人だ。なので、こうなれば解決だ。フィクションを読む時は誰もが半ば無意識にそうした既知の定型への当てはめをすると思いますが、ハワードはそれを許さない。主人公であるロバートだって、別に善人と言い切れる男ではなく、プライベートで様々な問題を抱えているのです。
 それはたとえば、ロバートの性生活で示されます。ウィットマンの罪状の中には性的倒錯行為が数えられているのですが、実のところ、ロバートだって大して変わらないようなことをしていると書く。発表当時としては特に不道徳とされたのではないかと感じる赤裸々な描写で、僕はこうした部分にも、善人と悪人という単純な構図にはしないという作者の強い意思を感じます。
 とことん割り切れない。ただ、不正義と思われるものがここにはあって、大逆転の一手なんてないことだけは分かっている。暴力的なまでにそのことを思い知らされる物語の構造が独自のサスペンスを生んでいて、読者の胸をも詰まらせる。本書はそんなクライム・ノヴェルです。
 
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 終盤に至り、事件全体の構図を揺るがすある発見をロバートがしたところでサスペンスは最高潮に達します。
 最早、ロバートに、そして読者に思考することを強要すると言っても良い展開なのです。ここまでの物語で、前提条件として自然に考えてしまっていたことに対して「それは、そんなに軽く考えて本当に良かったのか?」と作者が問いかけてくる。
 本書は、どんでん返しのようなものを求める類のミステリではありませんが、この部分の転回は並のツイストでは敵わないほどの衝撃を持っていると感じます。少なくとも僕は、ロバートと同様に、闇の中へ放り出されてしまったような気持ちになってしまいました。
 そして、クラーク・ハワードはやはり、どこまでも誠実なのです。
 放り出すだけではなく、ちゃんと回収しようとしてくれる。全てを踏まえた上で前へ進む道を示そうとする。結論は出さないし、出せないがベクトルは示す。
 このテーマの、この粗筋の話で、こんな読後感になるとはと感嘆のため息がこぼれる、間違いなく、マスターピースといえる一作だと思います。
 
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 邦訳されているクラーク・ハワードの長篇作品は、残念ながら今現在は全て品切状態になっています。短篇なら近年もアンソロジーや雑誌で訳出されているので、これからハワード作品に触れたいという人は短篇からが入りやすいかと思います。特に、光文社文庫の〈英米短編ミステリ―名人選集〉というシリーズで出された日本オリジナルの短編集『ホーン・マン』(1998)がオススメです。品切にはなってしまっていますが、古書市場に出回っている数が多く、比較的入手しやすいはず。
 ハワードの短編は、長編作品と同様で、やはり粗筋だけ説明しても魅力がいまいち伝わらない。けれど、読んでみると、この人にしかないと感じるパワーが確かにある。
 たとえばMWAの最優秀短編賞をとった表題作は、刑務所から出てきた男が再起するまでを描いた静かな短編ですが、一読忘れ難い味がある。登場人物一人一人の実像を最小限の描写で捉えていて、読み終えたあと深い感動がいつまでも残る。
 人間って、社会って、どうしようもないよな。何事も簡単には語れないよな。そう言ってから「でもさ」と肩を叩いて前を向かせてくれる。信頼できる作家であると言う他ありません。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby