「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 手元に、ヘレン・ニールスンのSing Me a Murder(1961)のBlack Lizard Books版があります。古本屋で見かけて「ニールスン、こんなところから出ていたんだ」と買ったものです。
 ペーパーバックの叢書Black Lizard Booksは、一九八四年から九〇年にかけて主にアメリカのクラシックな犯罪小説を出していたレーベルです。ノワールと呼ばれるジャンルを愛好する翻訳ミステリファンにとって馴染みのある名前ではないでしょうか。ジム・トンプスン、デイヴィッド・グーディス、チャールズ・ウィルフォードといった作家たちの作品を復刊し、アメリカ国内外に彼らの再評価をもたらした伝説的な存在です。
 そんな叢書からニールスンの長篇が出ていたことを少し意外に思ったのです。ニールスンは主に五〇年代から六〇年代に活躍したので年代は噛み合っていますが、作風はノワール的ではない。内省的なサスペンスを得意とした作家です。前述のBlack Lizard Books版のSing Me a Murderには作家マーシャ・マラーが序文を寄せていますが、そこでも「読者に登場人物の感情を伝えることに重きを置いた彼女の作品は、ハードボイルドやノワールには分類できない」という旨のことが言われています。
 よくよく考えてみれば現役時代からニールスンの立ち位置はそうでした。たとえば、ニールスンは雑誌〈マンハント〉の常連作家です。〈マンハント〉のメインコンテンツはマッチョな私立探偵の冒険譚や悪党同士での血みどろの銃撃戦が繰り広げられたりする作品でしたが、ニールスンはそこでも作風は崩さない。静かなサスペンスの佳作を書き続けました。
 書き続けていて、かつ、後に復刊までされたのですから、それだけニールスンの作品はハードボイルド/ノワールの読み手に好まれていたということでしょう。
 ニールスンの作品はトンプスンやグーディスとは違う意味ではあるけれど、やはりハードだからだと思います。
 ニールスン作品の主人公は、大抵はヒーローでも悪党でもない一市民です。そんな普通の人間が、危機に襲われたり、犯罪を起こしたりする。その様子をどこまでも現実的に書き、その上で一人一人の登場人物の心理を掘り下げていく。この部分の手際の容赦のなさ、その冷たさが素晴らしく、タフガイ小説が好きな読者の心までも震わせる。
 今回紹介する長篇『死への回り道』も、そうした意味でハードなクライム・ノヴェルです。
 
   *
 
 十八歳のダニイ・ロスはその道を、文字通り自身の足のみで歩いていた。
 ちょっとした荷物と西英辞典以外のものは全て故郷のシカゴへと置いてきた。親は勿論、友人たちにも二度と連絡を取るつもりはない。この先、誰かに頼るつもりも毛頭ない。さっき、乗ってきた車が駄目になってしまったが、なんてことはない。歩けば良いのだ。
 ギラギラと太陽が照りつける中、健気に進んでいたダニイだったが、そこを車で通りかかった老人に「乗っていくかい?」と声をかけられる。少し考えた末、ダニイは折角の親切を無碍にするわけにもいかないと同乗する。こういう時もある。
 だが、これが災難の始まりだった。
 その老人、ゲイナー医師が連れていってくれたのは最寄りの、クーパートンという小さな町だった。ゲイナーもその街の住人とのことで、街外れの雑貨屋に併設されたカフェでちょっとしたおもてなしをしてくれた。
 一息ついた後、ここからバスが出ると聞いたダニイは、この辺りで失礼させてもらうことにする。先に車へ戻ったゲイナーへ礼を言いにいこうとしたのだが、そこに待っていたのは、ゲイナーの死体だった。ほんの一瞬の隙に、何者かに襲われたらしい。
 慌てて店へ戻り、保安官を呼んでもらったダニイだったが、傍から見れば彼は不審な若者。ゲイナーを殺したのはお前だろうと捕まってしまう。かくしてダニイは知り合いなど誰一人いない町で殺人者と扱われる羽目に。
 家出をしてきた少年を主人公にした巻き込まれ型のサスペンス、といったところでしょうか。シンプルな粗筋ですが、ニールスンは見事な手捌きで読者を物語世界へ引き込んでくれます。
 まず、主人公のダニイ少年の心情の部分が抜群です。
 彼は、自分では大人のつもりの子供です。勇ましいことを考えていても、何かあればすぐに前言撤回したり泣き言を吐いたりする。死体を発見するまでの冒頭部の時点でニールスンはダニイの頼りなさを少しコミカルに語り切ります。そうして読者が彼のことを微笑ましく思うようになったところで、ダニイが逮捕されてしまう。
 ここで本書のもう一人の主人公、トレイス・クーパーという青年弁護士が登場します。
 こちらは子供のつもりの大人とでも言うべきキャラクターです。
 彼は昔からこの地域に住んでいた名家の生まれで、そのことに大しての負い目と誇りと義務感を同時に覚えている。良い歳をしているのに自分が歩むべき道を迷っているところがある。
 そんなクーパーだが、その夜は、ある事情で飲んだくれていた。そこにアレキサンダー・ローレントという老人がやってくる。彼は引退してこの町にやってきた刑事弁護士で、クーパーにとっては尊敬の対象だった。ローレントは、ゲイナーが殺された件について話し、ダニイという少年が逮捕されたことに疑念があると続ける。もし彼が無実なようなら、ダニイ・ロスを救ってくれないか。ローレントにそう頼まれたクーパーは立ち上がり、捜査を始める……
 つまり本書は町を訪れた完全なる余所者と、町の名士。この二人を主な視点人物にして、展開される物語なわけです。
 この構成が町を描く意味で効果をあげている。なにせ、町の一番上の存在と一番下の存在、二つの視点が確保されているわけですから。
 ニールスンは小市民に起こった事件を地に足ついた筆致で綴るのが得意な作家です。
 余所者がやったに違いない。クーパーはなんで余所者を庇う? ちょっと落ち着きなよ。本当に彼がやったのかな。いや、そうさ。こんなことがあった……町の住人一人一人の台詞や行動が実に活き活きと描かれています。ここから全編にわたってのピリピリした雰囲気が生まれている。
 そして、読者の脳内で立体的に構築された町のイメージを、ニールスンは終盤にくるりと反転させます。
 所謂どんでん返しと呼ぶ類のものとはちょっと違うのですが、町の住人らの意外な面が露わになっていくのです。人間というのが一面的な存在ではないことを思い知らされる。
 そうした意外な顔の暴露の先で事件の謎解きもされ、そして、それを受けてダニイとクーパーも新たな出口を見つける。大人のつもりの子供、子供のつもりの大人、それぞれが新たな自分を発見する。
 回り道をようやく抜けて視界が開けたような、爽やかな読後感が読者を待っています。
 
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 日本で欧米の短篇ミステリが雑誌で盛んに訳されている頃によく訳出されていたからでしょう。本邦ではニールスンは短篇作家というイメージが強く、実際、「リンゴの木の下で」(1959)や「判決」(1959)といった短篇の秀作は多いです。しかし『死への回り道』や『死の目撃』(1959)といった邦訳長篇も、出来が良いのです。
 ヘレン・ニールスン、実力派だと思います。

 

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人七年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby