書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。その二人+文藝春秋編集者永嶋俊一郎氏による上半期の翻訳ミステリー総括イベントの動画を公開しています。よろしければこちらからご覧ください。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

酒井貞道

『ホープは突然現れる』クレア・ノース/雨海弘美訳

角川文庫

 人に記憶されない、という特異体質(?)の女性泥棒ホープが、人に画一的な幸福を提供するポイント制アプリ《パーフェクション》と因縁を持つ。正確に言うと、ホープによるダイヤモンド盗難が《パーフェクション》の開発元企業を怒らせ、ホープが追われる羽目になり、結果として、《パーフェクション》にまつわる陰謀に巻き込まれてしまう。
 もうこの時点で面白そうですが、主役の特異体質を外面的(手口だの対処法だの人との会話の続け方だの)のみならず、内面的にも活かしているのが素晴らしい。
 内面的な要素とはすなわち、「世界に忘れられる自分の人生の意味は何か?」という問いであり、これが本書を貫く幹となる。どう考えても一般化できそうにない、本書の主役オンリーの極度に限定された局面でしか問題にならない「哲学」。しかしこれが、《パーフェクション》周辺の重要人物との「交流」や「観察」、そして《パーフェクション》がその性質上志向している画一的で没個性的な「理想」と絶妙に響き合って、意外や意外、普遍性を帯びるんだから凄い。
 語り口も極めて魅力的。世界が自分を忘れるという孤独が常にほんのり乗ったそれは、味わい深いのでじっくり読みたくなるんだよなあ。それでいて、要所でのサスペンスフルな展開、緊迫感溢れる描写も完璧です。世界幻想文学大賞受賞は伊達ではないのです。最後に告白を。ラスト1ページで泣いちゃったよ。

千街晶之

『刑罰』フェルディナント・フォン・シーラッハ/酒寄進一訳

東京創元社

 罪に対して、それに相応しい罰が下される。それが理想の社会のありようだろうし、罪と罰の均衡はいかにあるべきかという人間の思索の試行錯誤から生じたのが法律である。しかし社会は、そして法律は、その理想から限りなく程遠い事態を往々にして生んでしまう。さしたる罪も犯していないのに罰そのものとしか思えないほど不条理な人生を歩む者もいれば、大罪を犯しながら罰を免れて余生を送る者もいる――だが、罰を免れることが幸運とも限らない。本書に収録されているのは、そんな人の世のままならなさを描いた話ばかりだ。当事者の内面に踏み込まず、淡々と事実だけを綴っているのに、これほど深く激しく感情を揺り動かされる作品集もない。「奉仕活動」の主人公の最後の一言や「友人」の語り手の友人の最後の言葉には、どれほどの絶望が籠められているのだろう。その短い言葉しか発することの出来なかった彼らの心境を思うだにやるせない気分になる。

川出正樹

『1793』ニクラス・ナット・オ・ダーグ/ヘレンハルメ美穂訳

小学館

『1793』が素晴らしい。十八世紀末のストックホルムで、無残に損壊された男の死体が発見されるシーンで幕を開ける、強烈な謎と独創的かつ意外な動機を備えた凝った構成のミステリだ。と同時に、フランス革命の余波に揺れるスウェーデンを舞台にした歴史小説である本書は、腐敗と暴力と貧困と不衛生の中で生きる人々を活写した都市小説でもある。その上、暴利を貪ることしか考えない狼の跋扈する世界にあって、正義と理性を守り抜こうとする病身の法律家と、戦場で九死に一生を得た隻腕の荒くれ者の活躍を描いたバディものとして抜群に面白い。

 2018年2月にスウェーデン大使館で開催された読書会で広報文化担当官の方が、今、スウェーデンで話題の歴史ミステリと紹介されてからずっと気になっていた本書が、よもや日本語で読める日が来ようとは思いませんでした。ありがとう、小学館。本国で今年九月に刊行される次作『1794』の翻訳も待ってます。

吉野仁

『死者の国』ジャン=クリストフ・グランジェ/高野優監訳・伊禮規与美訳

ハヤカワ・ミステリ

 パリの路地裏で発見されたストリッパーの異様な死体という猟奇殺人にはじまる物語。主人公はパリ警視庁警視だが、連続殺人を追う警察小説にとどまらない複雑で壮大な展開を見せていく。舞台もパリやフランス国内のみならず、スペイン、イギリス、オーストリアと移り変わったかと思えば、画家ゴヤ、SMプレイに緊縛とさまざまな怪しい要素が絡みつつ、異様な事件の真相をめぐって二転三転する大がかりなストーリー。さすがグランジェ、ただ分厚いだけじゃない。文字通り、凶器となる一冊で、脳天に突き刺さる結末だ。

北上次郎

『血の郷愁』ダリオ・コッレンティ/安野亜矢子訳

ハーパーBOOKS

 イタリアを舞台にした新聞記者小説だ。事件そのものや、その周辺が薄気味悪く、そういうものを苦手とする私の好きな小説ではないが、定年間近のマルコとコンビを組む新人イラリアがぶっ飛んでいて、その圧倒的な個性にヤられた。シリーズ第一作だが、次作も無事に翻訳されることを熱望する。

霜月蒼

『ブラック&ホワイト』カリン・スローター/鈴木美朋訳

ハーパーBOOKS

 各出版社から話題作ががんがん出てきた初夏。とくに感銘を受けたのはフェルディナント・フォン・シーラッハ『刑罰』で、必要最低限の言葉で犯罪にいたるドラマを語りつつ、どの物語にも、因果や論理や心理の流れのなかに一点だけ「断線」があるのが読む者を不安にさせる。フィクションの条理を破壊する蟻の一穴とでも呼ぶべきこの断線が、底知れぬ闇を垣間見せている。

 という傑作もあるが、きっと誰かが挙げるだろうから、ここはスローターのシリーズ新作を推しておく。最近の2作は番外編的な作品(いずれも傑作)だったが、本書はシリーズの定形に回帰して、謎の大物麻薬密売人の正体を割り出す潜入捜査と、警察官襲撃事件を同時並行して語ってゆく。何よりレナ・アダムズという共感しづらい人物を軸にしながら、最終的には読者をして彼女に一定の理解を持つようにしてしまうスローターの人物描写/物語演出の見事さに唸らされた。謎の大物ビッグ・ホワイティの謎と、終盤に一気に伏線を回収する手際など、ミステリとしてはシリーズ中でベストではあるまいか。

「潜入捜査」というテーマが、サスペンスをブーストしているだけでなく、スローターが追いつづけている「被害の痛み」を新たな角度から深掘りしているのも注目すべきだろう。本書を楽しむにはレナという人物を知っておいたほうがいいので『サイレント』を読んでおく必要があるが、このシリーズの充実度を考えれば、それも楽しい回り道である。

杉江松恋

『IQ2』ジョー・イデ/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 

 短篇集ならシーラッハ『刑罰』、長篇ならイデ『IQ2』の二択だった六月である。別のところにも書いたのだが、現在の犯罪小説が向かおうとしている先に何があるのかということをおぼろげながらも示しているのがこのシリーズだろうという気がして、本作を選んだ。一口で言えば、フェアネスの物語。自分とは違う他人との間でいかに対等かつ公平な関係を結ぶことができるかに腐心する。そういう感覚が土台になっている犯罪小説がきっとこれからの指針になっていくんじゃないのかな。

 さて、『IQ2』だ。街の探偵としてネイバーフッドからの依頼であれば金にならなくても引き受けるアイゼイア・クインターベイがどのような過去を持つ人物で、なぜ今の職業を選んだのかという前史にあたる部分は『IQ』ですでに紹介されているのだが、今回はそこで語られなかった部分に光が当てられる。つまり兄マーカスの死の謎である。証拠を元にアイゼイアは兄の死が事故ではなく殺人であったという結論に達し、ひそかに犯人捜しを始める。同時に兄の恋人であったサリタから窮地に陥った妹を救ってもらいたいという依頼を受け、中国系犯罪組織である〈三合会〉の絡む事件に首を突っ込むのである。二つの仕事をつなぎとめている、扇の要になっているのがサリタで、実は彼女はアイゼイアの初恋の人でもあるのだ。密かな恋心を成就させるために彼はがんばるわけで、前作とはまた違った内面をアイゼイアは覗かせる。鼻がいけてなくて女の子にモテる顔じゃないという劣等感を抱いているとか、鬱屈した部分がどんどん出てくるわけで、そういう部分に共感を抱く読者も多いはずだ。

 帯にある通りアイゼイアは〈暗黒街のホームズ〉に喩えられるような切れ者キャラクターなのだが、若者らしい傷つきやすい内面をしばしば覗かせるあたりがかの名探偵とはまったく違う。理知的な側面とまだ雑念や煩悩もあるはずの若者らしい本音とがこのあとどうバランスを取っていくか、という興味でも読みたくなるシリーズなのである。日本もので言うと、初期の〈IWGP〉シリーズってこんな感じだったと思う。すでに第三作が発表されているが、次はどんな顔を見せてくれるのだろうか。ものすごく楽しみである。

 ドイツにフランス、そして新顔の作家に安定のシリーズもあり、と比較的犯罪小説側に収獲が多かった月ということになるでしょうか。7月はヘヴィー級の作品がいくつも刊行予定なので、各七福神の評価が気になります。ではまた次回、お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧