——ダメ男の身から出た錆

全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。

「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁

「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳

今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!

畠山:かれこれ7年ほど読書会の世話人をやっておりますが、いまだに課題書を決めるときや、特別企画をするときは悩みに悩みます。そんなとき、どこからともなく聞こえてきて、我々の背中を押してくれたのがあのセリフ。
「ユー、やっちゃいなよ」
 エアのジャニーさんにどれほど勇気づけられたことか。これからは誰に頼ったらいいんだろう? あ、エアだから変わんないのか。

 さて杉江松恋著『海外ステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」。今回のお題は、スコット・トゥロー『推定無罪』。1988年の作品です。
 先に申し上げておきますが、本日、わたくしは少々口汚くなるやもしれません。ご寛恕下さい。

アメリカ中部の都市キンドル郡。地方検事選挙戦が白熱してきたある日、検事補キャロリン・ポルヒーマスが自宅で殺害された。変質者か、それとも過去に摘発した人間の恨みをかったのかと推測されたが、室内のグラスから検出されたのは、捜査の陣頭に立つ主席検事補ラスティ・サビッチの指紋だった。実は彼らは数カ月前の一時期、密かな愛人関係にあったのだ。エリート検事が一転、被告として法廷で裁かれることとなる。果たしてサビッチは有罪か無罪か。法とは、正義とは、そして事件の真相は…?

 スコット・トゥローは1949年シカゴ生まれ。スタンフォード大学の大学院で文芸創作を学んだ後、大学で教鞭をとり、急に方針転換してハーヴァード・ロースクールに入学し、法曹界に入ったという見事な二刀流。
 本作『推定無罪』は、検事としてシカゴの連邦検察局に勤務していたときに書いたのだそうです。大ベストセラーとなった本作は、すぐにハリソン・フォード主演で映画化されました。
 検事を退職し弁護士になってからも、『立証責任』『有罪答弁』『囮弁護士』など読みごたえのある作品群を発表しています。『推定無罪』から25年近くの時を経て書かれた続編『無罪』は、第4回翻訳ミステリー大賞を受賞しました。本サイト上で北上次郎さんと田口俊樹さんの「ダメ男論議」が白熱したのも楽しかったですね。

 札幌読書会で『推定無罪』読書会をしたのが6年前。時の経つのは早いものです。先月読んだ本ですらロクに覚えていない私ですが、さすがに『推定無罪』は忘れられません。とはいえ、はっきり甦るのはラスティ・サビッチのバカっぷりのみというのもどうかと思い、気を落ち着けて再読しました。

 犯行現場の指紋、不倫の事実、被害者との通話記録の隠蔽など、サビッチは限りなく有罪に近い状況にあります。加えて彼は大事な情報を小出しにする厭なクセがあり、今ひとつ信用しきれない。
 そんなわけで全く勝ち目のない裁判のように思われたのですが、検察側がパッとしないのと、弁護士サンディ・スターンの辣腕ぶりにより、圧倒的に黒優位だったオセロの盤面が少しずつ白に変わって拮抗していきます。なにせサビッチは検事ですから、検察側の内情に精通しており、弁護人にとって頼れる依頼人でもあるという心憎い構図なのです。周到な準備を重ねたうえで行われる法廷での丁々発止は、まさしくリーガル・サスペンスの華。
 日本も裁判員裁判制度がありますから、もしかしたら私も難しい事件の審理に立ち会う日がくるやもしれません。そう思うと気持ちが引き締まりまして、サビッチの人間性がどうであろうと、確実な証明がなされないかぎり彼は無罪なんだと自分に言い聞かせ、陪審員になった気持ちで読みました。

 

加藤:ジャニーズ、吉本と、いまテレビの世界は大変みたいですね。どんなに華やかに見えてもそりゃ裏では色々あるだろうと思ってはいたけれど、毎日こんなドロドロしたものを見せられると流石に気が滅入ります。
 ただでさえ近頃は嫌になるほど雨ばかり。何か気分が晴れるようなことはないものか。そんな貴方にお勧めしたいのがスコット・トゥロー『推定無罪』。現実のドロドロを忘れさせてくれるくらい、これまたドロドロした話なのでした。いや、決してそれが売りって話じゃないけれど。

 いわゆるリーガル・サスペンスの代表的傑作『推定無罪』。その物語の前半では、キンドル郡地方検事選挙の模様と並行して、女性検事補キャロリン殺害事件の捜査、そして主人公であるサビッチの回想によるキャロリンとの不倫が描かれます。選挙も情事ももうドロっドロ。それはもう気持ちいいくらい。
 そして一転、後半はキャロリン殺害事件の被告となったサビッチの法廷での戦い、手に汗握る駆け引きが描かれるのですね。
 絶対的に不利な状況から、一つ一つ状況をくつがえしてゆくさまは実に痛快。知的興奮を呼び覚まされ、また、とてつもなくレベルの高い競技スポーツをみているような気持ちよさ。腕利き検事サビッチと凄腕刑事弁護士スターンという夢のタッグの前に、検察側はもう見るも無残というか、読んでいて可哀そうになってくるほどです。
 それでも、客観的にみると状況はまだまだ絶対不利。クリアしなければならない問題は幾つもある。果たして彼らはこの窮地を脱して無罪を勝ち取ることができるのか。

 そんな本書の白眉は、その確かで細かいディティール。「神は細部に宿る」と申しますが、本作を名作たらしめている理由の一つは、何といっても圧倒的なリアリティーにあります。執筆当時、現役バリバリの検事補でのちに弁護士となる作者が、持てる知識を惜しまずエンタメのなかに放り込んだところが素晴らしい。

 さて、人間誰しも多少の問題や欠陥はあるものです。このミステリー史における偉大なマイルストーン的傑作を前に、サビッチと田口さんの女癖がどうのとか、浮気性がこうのとか、そんなことは実に些末な問題であることは賢明な読者の皆様には明らかでしょう。
 畠山さんにはこれまでの発言の撤回を求めるとともに猛省を促したいと思います。
 弁護側からは以上です。

 

畠山:私も大人の端くれ、認めるべきところは認めましょう。細かな心理描写、魑魅魍魎な法廷の舞台裏、刑事裁判の理念とテクニックなどなど、文学の趣きと大人の教科書的要素をあわせ持った優れたエンタメ小説であることは間違いありません。

 でもついカッとなってしまう私の気持ちもわかっていただきたい。ラスティ・サビッチは決していいとはいえない家庭環境で育ち、現在は有能な検事で、子供を愛し、妻の奇行にも黙って耐えています。なんのはずみかキャロリン・ポルヒーマスを狂ったように求めてしまった挙句に殺人の容疑がかかった男。
 気の毒な人のように聞こえますが、どうしても同情する気にはなれないのです。実は彼は自己過信、自己憐憫、自己弁護の大家なのです。始末の悪い「勉強できるバカ」なのです。なにかにつけ、憐れを誘うかのように「ボクなりに頑張ってるの」という姿勢を見せるのが鼻につく。
 しかもヤツはこれほど痛い目に遭ったのに続編『無罪』でもさっぱり変わらず、またまた下半身がらみで窮地に陥るのです。理由は伏せますが、『無罪』を読んでから『推定無罪』に戻り、サビッチが幼い息子を心から慈しむ描写を読むと、軽く嘔気が込みあがってきます。こんなイヤミスが今まであっただろうか。いや、ない。
 さらにダメ押しで『出訴期限』にもちょっぴり出演し、「正義は行われたのか?」などとたわけたことを吐かすのであります。一体どのツラ下げてそんなことが言えるのか。正義ってなんだ!?
 ああ! オマエの口をトイレブラシで洗ってやりたい……ッ!

 サビッチはトイレブラシの刑に処するとして、被害者キャロリン・ポルヒーマスについては弁護をしてあげたい。彼女はサビッチ以外にも多数の男性と関係を持っていて、「下半身を使って出世した女」と言われていました。でも、能力のなさを色仕掛けで補ったのではありません。彼女はとても仕事のできる人でした。男性優位社会にあって、女性が能力に相応しい椅子を勝ち得るのは大変困難な時代だった、と敢えて過去形で言わせて下さい。

 ところがですよ、サビッチくんはそんな彼女の覚悟のことなど知りもせず、「彼女は私の憐れみを求めている」とかなんとか言ってるわけです。求めてねーよ。
 サビッチはこの調子であらゆることを勘違いしてるタイプなんです。どんな花畑脳なんだ? 幸せすぎだろ。この人のキャラが、かの『愛の流刑地』の主人公と被っちゃうのを止められません。
 そうそう、前から思ってたんだけどラスティ・サビッチは老後に暴露本を書くタイプだと思う。妻も愛人も鬼籍に入ったのをいいことに言いたい放題、何かというと「おお、私は彼女を愛したのだ」を連発する、夢想に満ち満ちた爺ィの大ファンタジー。うわぁぁ、気持ち悪ぃぃぃ!!(ホントに出たら買いますよ!キリッ)

 

加藤:僕を含めほとんどの方は実際の裁判を傍聴したことはないと思うんだけど、本作を読んで思ったのは、裁判って「印象」が何より大事なんですね。デキる検事や弁護人は、真実の証明と同じくらい、自分にとって都合のいい印象を陪審員や傍聴人に植えつけることに腐心する。考えてみれば、これって詐欺師の素養だよね。
 弁護人のスターンを含め、味方の誰一人としてサビッチに「実際のところ、君はやったのかね、やってないのかね」と聞かないところも、なんだかリアルで怖かったなあ。

 前段で本作が傑作である理由の一つに圧倒的なリアリティーと書きましたが、30年以上前の話なのに全く臭さを感じさせないことにも触れておきたいですね。それは、人が人を裁くことの難しさという普遍的なテーマを正面から扱っていることもありますが、この頃の科学捜査とコンピューターの急激な進歩と普及も、大きな要因ではないかと。
 これまで、勧進元の『海外ステリー マストリード100』に沿って、ミステリー史に残る傑作を年代順に読んできたわけですが、これは犯罪捜査の歴史、進歩を振り返る作業でもあったのだと今回気づきました。科学捜査が確立していないどころか、そもそも科学的な証明が犯罪の証拠になるの? という時代から始まって、ついに本作では「犯行現場で採取した指紋をコンピューターで犯罪者データベースと照合する」というところまで辿りつきました。歴史的瞬間に立ち会ったような不思議な感動。わかってもらえますか?

 そんなわけで『推定無罪』を堪能しました。テーマは硬質でスマートかつスタイリッシュな世界の話である一方、人間ドラマパートがエグいというか、エンタメなのにここまで書く必要があるのかと思ってしまうくらい濃厚なのが興味深かったです。
 個人的に印象に残っているのは、不倫相手のキャロリンに振られたサビッチが、自宅で奥さんの前で泣き出すシーン。ねえこれ凄くない? 文芸にレイティングがあったらR-15くらいに指定されるに違いない。この状況、心理を子供に説明できる? 中学生のとき読んだ『マルタの鷹』で、サム・スペードが陰で相棒の嫁さんと寝ているってのを読んだときの衝撃を思い出したもん。

 そんな大人向けの極上エンタメ『推定無罪』を未読の方は是非ご一読を。男はちょっと女にだらしないくらいがチャーミングだと思うんだけど。どうして畠山さんはあんなにムキになっていたんだろう。お腹がすいていたのかな?

 

■勧進元・杉江松恋からひとこと

日本における翻訳ミステリー受容史の中でトゥロー『推定無罪』は里程標的価値の高い作品です。お二人が言葉を尽くして説明されている物語のおもしろさもさることながら、本作においてリーガル・スリラーというジャンルの存在が読者に認知されることの意味は大きい。サブジャンルとしての法廷ミステリーは『推定無罪』以前にももちろん書かれ、翻訳もされていましたが、法廷における駆け引きや法の解釈を巡る議論が中心となった内容は、初心者にはややなじみにくく、読みなれたミステリー・ファン向けという印象が強かったことは否めません。『推定無罪』のおもしろさは、予備知識なしでも楽しめる間口の広さにあり、人間ドラマを繰り広げるための舞台として法廷を利用するというやり方が、このジャンルが秘めていた潜在的な可能性を開花させたのでした。

トゥロー以降にも多くの作品が翻訳されることになり、リーガル・スリラー(日本ではなぜかリーガル・サスペンスという用語が使われますが)のブームが到来します。多くの作家が翻訳されましたが、トゥロー以外で最も成功したのは『評決のとき』などで好評を博したジョン・グリシャムでしょう。警察小説に事件捜査の興趣以外、多くの人間が属する組織を描くという要素があるように、法廷小説にも人間の欲望や利害関係が濃縮した形で示されるというおもしろさがあります。この器を使えば新しい形のエンターテインメントが書けるということに気づいた作家は多かったですが、グリシャムは訴訟を題材に社会の一側面を切り取るという諷刺小説にも挑戦し、成功しています。『マストリード』にリーガル・スリラーを入れるなら、と検討したとき筆頭で候補に上がったのがトゥローとグリシャムの二人でした。

さて、次回はヒラリー・ウォー『この町の誰かが』ですね。これまた期待しております。

 

 

加藤 篁(かとう たかむら)

愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato

畠山志津佳(はたけやま しづか)

札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N

 

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