「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 〈その本が手に入れば、オレたちの人生は最高になる〉……日本では今年(2019年)劇場公開された『アメリカン・アニマルズ』(2018)という映画のキャッチコピーです。
 この映画は、大学図書館の蔵書であるオーデュボンの稀覯本を大学生四人組が盗みだそうとした2004年に実際に起こった事件をもとにした半分ドキュメンタリーのような作品で、彼らがそんなことをした動機というのが、先のキャッチコピーで表される感情によるものなのです。
 僕は、映画館でこのキャッチコピーを見た瞬間に痺れてしまいました。
 僕がケイパーものというジャンルのミステリが好きな理由を、端的に表してくれている文章だからです。
 犯罪という社会的に許されない行為によって、自分自身の誇りを取り戻す、あるいは手に入れようとする。
 この歪んだ心理に、そこから見える人物像に、心惹かれてしまうのです。
 多分、犯罪そのものよりも、その心理が僕にとっては大切で、世界をおれのポケットに入れたい、という感情にときめいてしまうのです。
 今回紹介するビル・プロンジーニ『雪に閉ざされた村』(1974)は、まさにそういう人間が出てくる物語でした。
 ただし、本書に出てくる人間は若気の至りで罪を犯す大学生とは真反対の犯罪常習者で、同情の余地は一切ない悪人です。
 だから、僕は好きなのです。

   *

 山間にある人口七十四人の村、ヒドゥン・バレーは観光シーズンになるとちょっとだけ賑わう程度の小さな集落だ。
 今は雪の時期で、外へ通じる道は一本だけ。頻繁に外と往来があるわけでもないので、村人の多くは特に不便にも感じていない。小さな事件はあるものの、村は基本的には平和で、落ち着いていた。
 そんな村に、クリスマスの直前のある日、三人の悪党が人知れず侵入した。街で起こした現金強奪作戦に失敗して、身を潜めにやってきたのだ……というのが本書の導入部になります。
 プロンジーニの代表作といえば私立探偵の一人称で語られる名なしの探偵シリーズですが、あちらとは違い、作者は三人称複数視点で物語を綴っていきます。視点人物を多く用意することによって、平和な村が悪意によって歪んでいく過程というのを色んな角度から立体的に描いていく、という構成なわけですね。
 とはいえど、そんな中でも作者が物語の中心として描いている人物というのが二人います。
 村に身を潜めにきた強盗三人組の主犯アール・クービオンと数か月前から村はずれの山荘に住み着いている謎の男ザカリー・ケインです。
 この二人は村人にとってはよそ者ということ以外に、もう一つ、共通点があります。
 自尊心をひどく傷つけられてこのヒドゥン・バレーという村にやってきたということです。
 アール・クービオンは、綿密な襲撃計画を立てて、それを遂行するプロの犯罪者です。
 しかし、今回行った街の大型スーパーをターゲットにした作戦では、ちょっとしたアクシデントのせいで失敗してしまった。準備のためにかなりの金を使ったのに、その分すら手に入れることができず、情けなく敗走してしまった。彼はヒドゥン・バレーにある隠れ家の中で、ただただ、悶々とした日々を過ごしています。
 対してザカリー・ケインの方は、犯罪ではないけれど、彼自身にとっては紛れもない罪を犯してしまっていて、そのために隠遁生活を送っている男です。
 自分の持っていたもの全てを失ってしまって、いまや、もう何もやる気が起きない。他人との触れ合い全てがわずらわしく、世捨て人のような日々を過ごしています。
 そんな二人の毎日が、吹雪の夜、大きく変わります。
 外へ通じるただ一つだけの道が、雪崩によって失われてしまったのです。
 まず、動きを起こしたのはクービオンの方でした。
 中から誰も逃げられないし、外から誰も助けに来られない土地の中、という状況が、一つのアイディアを彼の頭の中に生んだのです。
 ……今なら、この村にある財産を丸ごと分捕れるかもしれない。
 村ごと、襲撃してしまうのだ。
 最初はあくまで暇つぶしのための空想だったクービオンの計画が段々と形になりだしてから、ゆったりと語られていた物語にギアが入ります。展開が早まり、不穏な空気がどんどん強まる。
 そして、第一部のラストで、その不穏さは実際の行動へと移され、最高速度で第二部へ突入します。

   *

 そこから先の展開を支配するのはクービオンの持つ、狂的なまでに熱が込められた犯罪計画です。
 田舎の村を丸ごと襲撃するクライム・ノヴェルとなるとすぐに思い出されるのはリチャード・スターク『悪党パーカー/襲撃』(1964)ですが、あちらが冷徹さが漂よう鮮やかな作戦遂行であったのに対し、クービオンの襲撃は乱暴です。
 勿論、彼はプロの犯罪者ですから、計画自体は隙がない。けれど、それを実行するクービオン自身にスマートさは欠片もない。言うことを聞かない者は仲間だろうと村人だろうと全員暴力で屈服させながら、彼は村にある金目のものを次々と手に入れていきます。
 何故、彼がこんなに熱を入れて計画を行うか。
 作中人物は誰もが理解できないと言いますが、読者にとっては理由は明白です。
 クービオンは、自分自身の尊厳を取り戻そうとしているのです。
 大型スーパーへの襲撃が失敗してしまったのを、村を丸ごと盗むというもっと大きな襲撃でチャラにしようとしている。クービオン本人にしか分からない狂気のロジックがそこには貫かれているのです。
 さて、プロンジーニがストーリーテラーとして巧みなのは、そんな彼と対になる人間を用意しているということです。ザカリー・ケインです。
 自分自身からも、身の回りの人間からも逃げたがっていた厭世的な男であるケイン。そんな彼が、この吹雪を切っ掛けにして起こった幾つかの小事件と、この大事件を契機に意識を変え、クービオンへ立ち向かうのです。
 その勇気の裏にはかつて救えなかった誰かを今度こそ救いたいというやはりケイン自身にしか分からないロジックがあって、思わずこちらの胸を熱くさせます。
 つまりは、本書は雪に閉ざされた村で起こった襲撃事件を通して、自分自身の尊厳を、誇りを取り戻すために行動する男二人の対決という構造になっているのです。
 そのラインで盛り上がった末のクライマックスは、それこそ巻を措く能わずの迫力。一気に読み通してしまいました。

   *

 名なしの探偵以外のプロンジーニ、というと、バリー・N・マルツバーグとの合作『嘲笑う闇夜』(1976)『裁くのは誰か?』(1977)あたりが真っ先に思い出されるところです。
 この二作はとにかく、どうやって読者の裏をかくかに技巧の全てを賭けたような作品で、一度読めば中身を忘れることはないインパクトがあります。
 『雪に閉ざされた村』には、そういう驚愕のどんでん返しはありません。
 ですが、僕は上記二作と同様に、中身を忘れることはないでしょう。
 どんでん返しがない代わり、技巧をテーマに沿った物語の組み立てに全て注ぎ込んだような、そんな力強い一作です。

◆乱読クライム・ノヴェル バックナンバー◆

 

小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人三年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby