7時間18分もの上映時間の映画を劇場公開初日に観てきた。ハンガリーのタル・ベーラ監督による『サタンタンゴ(Satantango)』(1994年)。途中休憩2回をはさんで、なんと、正午から21時近くまでの上映っ。
 マーティン・スコセッシやジム・ジャームッシュを唸らせ、ガス・ヴァン・サントの映画作りの手本となった鬼才の長大なる最高傑作が、25年の時を経て劇場初公開された(映画祭等を除く)わけだけれど、舞台は雨の降りやまない貧しく暗鬱な田舎町。冒頭からいきなり牛の群れのゆるやかな移動を延々とカメラが追っていく、異様なほどの長回し。
 タンゴの調べのように6歩進んでは6歩下がる、幾重ものエピソードの重複を異なる視点から長々と綴っていく物語は、エピローグに行きつくやプロローグへと循環させられる。永遠を紡ぐかのようなこの様式美は、ハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローの原作にきわめて忠実だという。
 ミステリー・ファンにとってタル・ベーラ作品というと、1963年発表のジョルジュ・シムノンのノンシリーズ作品を原作とした『倫敦から来た男(A Londoni ferfi)』(2007年)がおなじみかと思うけれども(本サイト、瀬名秀明氏連載「シムノンを読む」第41回参照)、それ以外で代表作となる『ヴェルクマイスター・ハーモニー(Werckmeister harmoniak)』(2000年)の原作が、やはりクラスナホルカイ(ハンガリーでは日本のように姓・名で表記するらしいのでこれが姓)の小説だった。残念ながら、彼の作品で邦訳紹介されているのは、日本を舞台としたノヴェラ『北は山、南は湖、西は道、東は川Északról hegy, Délről tó, Nyugatról utak, Keletről folyó)』(2003年)のみなのだけど。不勉強なことに未読なのだけど、どうやら半年間ほど日本に滞在したことがあり、その経験から書かれたものだという。『サタンタンゴ』はそれよりはるか前に書かれたクラスナホルカイのデビュー作(1985年)にあたり、タル・ベーラはこれを読んですぐに映像化を構想に入れていたという。

 映画化された『サタンタンゴ』の映像のバックには、旋律とも唸りとも言えない音響が途絶えることなく流れ続ける。災厄の訪れを予感させるがごとく不穏な音響のなか、一人の男の耳に、あるはずのない鐘の音が聴こえてくる――。
 音楽を手掛けているのは、ハンガリーのソングライター&ギタリスト、ヴィーグ・ミハーイ。バラトンというアンダーグラウンドのメロコア・バンドのメンバーでもある。『ヴェルクマイスター・ハーモニー(Vercmeister Harmony)』(2000年)や引退作『ニーチェの馬(A torinoi lo)』(2011年)といったタル・ベーラ作品のほとんどの音楽を手掛けている。
 唸るように低く絶え間なく響く、そのサウンド・エフェクトともとれる音は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでおなじみのルー・リードが、1975年に発表した『メタル・マシーン・ミュージック(Metal Machine Music)』を想起させる。全編ギターのノイズのみの2枚組アルバムで、賛否両論いりみだれて物議を醸したようだ。ぼんやりとした記憶では、当時ルー・リードは謝罪文を公開したはずだけど、晩年には再現ライブもやっていたので、やっぱり俺は間違っていない的なスタンスだったんでしょうねえ。

 マクラに長々とスペースを費やしてしまったけれど、そろそろ本題。まさに音楽とも言えない音響が、何よりも饒舌に作品の舞台を物語ることがある、という話です。
 フリードリヒ・グラウザー賞(ドイツ推理作家協会賞)を受賞した『謝罪代行社Sorry)』(2009年)が日本でも紹介され話題となった、ゾラン・ドヴェンカーの話題作『沈黙の少女Still)』(2014年)には、そんな印象的な“音”が重要な道具として顔をのぞかせる。


 子供たちの誘拐、そして特殊な虐待と凄惨な歴史の連鎖の構図が描かれる、恐るべき物語。その舞台は冬のベルリンで、幕開きから、13歳の少女ルチアとその弟二クラスが誘拐される。その2週間後にルチアだけが逃げのびて保護されるのだが、それから6年ものあいだ、彼女は事件の真相どころか弟のその後も何も語らず、かたくなに沈黙を守り続けるのだった。
 一方、フリーデナウ地区にあるパブに一人の教師が3日おきに立ち寄り、やがて毎夜通う常連となり、4人の別の常連客グループに仲間入りする。男の名はミカ。ここ数年、雪の季節が来るたびに12~13人もの少年少女の誘拐事件が相次いで起こっていて、ミカは2年前に誘拐された被害者の一人である少女の父親だった。どうやらその男たちのグループが事件と何らかの関与を持っているようなのだった。警察も匙を投げた事件を執拗に調べつづけ、真相へと近づきかけていたミカは、愛娘に何が起きたかを知り報復するため、彼らに近づいて懐に入り込もうという計画の第一歩を踏み出そうとしていたのだ。
 そこに至るまでに、姿を消した被害者のうち唯一生還したルチアの存在を知ったミカは、彼女に心を開かせ真相を聞き出していた。どうやら誘拐された子供たちは、直径2メートル高さ1メートル半程度の円形状の穴蔵の底に衰弱しきったまま押し込められ、数人ずつそこから引っ張り出されていったのだという。そして、子供たちを待ち受けていた運命は、想像をはるかに超える凄惨なものだった。

 なぜルチアだけが生きて逃げのびることが出来たのか、そのあたりの驚愕のエピソードはじっくりと読んでいただくとして、語りたいのは、彼女を見守り続けた“音”の話だ。
 保護されてから福祉施設に収容されたルチアは、いっさい言葉を発することなく、夜になるとベッドの下にもぐり込み身体を丸めて夜をやり過ごしていた。看護師がいくらベッドの上に寝かしつけても、防衛本能からかベッド下で寝続けている。ベッド下の彼女のそばには手のひら大のラジオが押し込まれていて、どうやら壊れているらしく絶え間なく雑音を発しているのだった。拾いそこねている電波の先には穏やかな夜の音楽の調べがあるはずなのか。だけれども、ラジオは低くノイズを発し続けるだけ。まるで映画『サタンタンゴ』の音楽のように。『メタル・マシーン・ミュージック』のように。
 それは彼女が閉じこめられていた穴蔵、逃げのびようとした際に潜り込んだ木の洞、そこで不安の中、耳に聴こえてきた音だった。沈黙を強いられた少女にとって、貝殻を耳にあてたときに聴こえる耳音響放射のように心を満たしてくれる“音楽”だったのだろう。
 一方、ミカが幼児虐待グループの男たちと出会うパブでかかっているのは、映画『ロッキー(Rocky)』(1976年)のテーマとして知られるサバイバーのヒット曲「アイ・オブ・ザ・タイガー(Eye of the Tiger)」。“トラの瞳に浮かぶのと同じ戦いへと向かうスリル”に興奮し、続いてはブルース・スプリングスティーンのヒット曲「ハングリー・ハート(Hungry Heart)」(1980年)で、“誰もが抗しがたい飢えを抱えている”のだと。さらには、フリートウッド・マックの「ゴー・ユア・オウン・ウェイ(Go Your Own Way)」(1976年)で、だから“きみは自分の信じる道を進めばいい”と、まるで男たちの“狩り”を正当化し煽り立てているかのような音楽が選ばれている。沈黙を強いられた少女ルチアとは対照的な音のチョイスに、作者の周到さを感じたのは小生だけだろうか。

 作者のドヴェンカーは、『謝罪代行社』で複数の視点を駆使した叙述トリックとも言える手法を用いていたのだけど、ここでも、「彼ら」、「わたし」、「きみ」という3つの章立てから、物語は構成されていて、そこにちょっとした仕掛けが施されている。もちろん「わたし」はミカの一人称一視点、「きみ」と「彼ら」は神目線からの、それぞれ二人称と三人称ということになるのだけど、たとえば彼らが彼らであるのかどうか。そのあたりも物語にどっぷりと浸かっているうちに幻惑されていくところかもしれない。
 そうした手法はともかく、この作品の特異かつ重要な点は、子供たちに対する虐待の形が、新たなフェイズへと深化していっているのを描こうとしたことにあるように思える。肉体への物理的な攻撃ではなく、精神を操作するという暴力。ストーリーのネタバレにも抵触するかと思うのであまり詳しくは語れないのだけれど、たとえば某国やテロリスト集団における少年兵の育成などもそれに近いのかもしれない。精神支配の暴力というのはドメスティックな恐怖政治に他ならないわけだから。
 さて、ルチアの壊れたラジオはじつは、最後の最後、驚愕のクライマックスでも小道具としてみごとに機能する。恐怖に溢れた沈黙の日々をずっと支えてきた“音楽”が、彼女を元の世界へと引き戻してくれるとある行動に、ここでもまた協力してくれるのだ。

 期せずして、ハーパーBOOKSからそのあたりをテーマにした話題作が、このところ多く刊行されている。たとえば、LS・ホーカーの『プリズン・ガールThe Drowing Game)』(2015年)なんかは、20年以上、父親に監禁生活を強要されてきたヒロインが、父親の死によって外界との接触を余儀なくされるという物語だし、カレン・ディオンヌの『沼の王の娘The Marsh King’s Daughter)』(2017年)も、誘拐され原野の沼地での生活に幽閉された女性と犯人の間に生まれたヒロインが、脱獄した誘拐犯(つまり父親)から家族を守ろうとするサバイバル小説。毛色は異なるけれど、マイケル・フィーゲルの『ブラック・バードBlackbird)』(2017年)にいたっては、殺し屋に拉致されて育てられることになるヒロインが、映画『レオン(Leon)』(1994年)よろしく、生き延びるための教育(殺人含む)を受けながら成長していくクライム・ノードノヴェル。
 どれも歪んだ大人たちの傲慢な精神操作のおかげで人生を狂わされた子供たちの物語だ。

◆YouTube音源
■”Metal Machine Music” by Lou Reed

*1975年に2枚組アルバムとして発表された作品で、ファンからの批判も相次いだ問題作。

■”Eye of the Tiger” by Surviver

*映画『ロッキー』のテーマソングとして大ヒットを記録した、ハードポップ・グループ、サバイバーの代表曲。

■”Hungry Heart” by Bruce Springsteen

*ブルース・スプリングスティーンの1980年発表アルバム『ザ・リヴァー』収録の大ヒット曲。音源はアルバム・ツアーでのライヴ演奏。

■”Go Your Own Way” by Fleetwood Mac

*フリートウッド・マックの代表作となるモンスター・ヒット・アルバム『』(1977年)収録のヒット曲。音源は1997年のアルバム『ザ・ダンス』ツアー時のもの。

◆関連CD
■『Filmzenek』ヴィーグ・ミハーイ

*タル・ベーラ映画の音楽を集めたアルバム。

◆関連DVD・Blu-ray
■『ヴェルクマイスター・ハーモニー』

*2000年に発表されたタル・ベーラ監督の代表作。原作はクラスナホルカイ・ラースローの『抵抗の憂鬱Az ellenallas melankoliaja)』(1989年)。

■『倫敦から来た男』

*ジョルジュ・シムノンのノンシリーズ作品を映画化した2007年の作品。

■『ニーチェの馬』

*クラスナホルカイ・ラースローとのコンビで脚本を書いたこの作品を2011年に発表したのを最後に、タル・ベーラ監督は56歳の若さで引退を表明した。

■『レオン』

*あまりにも有名なリュック・ベッソン監督1994年の代表作。殺し屋役のジャン・レノと虐待を受けている少女役のナタリー・ポートマンがこの作品でブレイクした。

佐竹 裕(さたけ ゆう)
 1962年生まれ。海外文芸編集を経て、コラムニスト、書評子に。過去に、幻冬舎「ポンツーン」、集英社インターナショナル「PLAYBOY日本版」、集英社「小説すばる」等で、書評コラム連載。「エスクァイア日本版」にて翻訳・海外文化関係コラム執筆等。別名で音楽コラムなども。
 好きな色は断然、黒(ノワール)。洗濯物も、ほぼ黒色。







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