もしかすると、書店でこの文庫本が目にとまり何の気なしに本を手にとって、ぱらっと最初のページをめくったところ、ひどく驚いた人もいただろう。
光文社古典新訳文庫の一冊、マンシェット『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』(中条省平訳)の書き出しは、次のとおり。
〈トンプソンが殺すべき男はおかまだった。〉
文庫の裏表紙の内容紹介には、
〈殺人と破壊の限りを尽くす、逃亡と追跡劇が始まる!〉
とある。
光文社古典新訳文庫といえば、異例のベストセラーとなったドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』で知られる新興の文庫シリーズである。
その名のとおり、よく知られた古今東西の古典作品を新たな訳で文庫化したもの。ドストエフスキーのほか、ロシアならトルストイにチェーホフ、フランスならスタンダールにプルースト、イギリスならシェイクスピアにディケンズ……と有名な文豪ばかり。すでに文庫版世界文学全集といってもおかしくないラインナップとなっている。
もちろん、いわゆる世界の古典文芸のなかにも殺人や同性愛者が出てくる作品は少なからずあるはず。だが、先の文章の少しあとに続く内容はひどく血なまぐさいものだ。
〈トンプソンは、太い円筒の握りとブリキの丸い鍔をつけた鋼鉄のぎざぎざの刃を、男の心臓に叩きこんだ。鍔が血の噴出をおさえ、トンプソンが勢いよく円筒の握りをねじると、男の心臓は真っ二つ、いや、それ以上に細切れになった。男は口を開き、一度痙攣しただけだった。尻をドアにぶつけ、前に倒れて死んだ。……〉
本を開いて、いきなりの殺人である。しかも生々しい。
いったいジャン=パトリック・マンシェットとは、どういう作家なのか。おそらく何十年にもわたって海外ミステリを読んでいる読者ならば、マンシェットはフランスを代表する犯罪小説家であり、この作品は、もともとポケミスで『狼が来た、城へ逃げろ』(岡村孝一訳)の題名だった、なんてことは先刻ご承知だろう。その旧版訳者の岡村孝一氏は、おなじフランスの犯罪小説作家ジョゼ・ジョバンニの名人芸ともいえる翻訳で知られる人。歯切れのいいリズムを生かした魅力ある訳文で熱烈なファンも多い。
ところが、今回の『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』の訳者、中条省平氏は、原文を読み、岡村訳とはまったく違った印象を受けたという。巻末の解説によると、岡村訳が「やけどするほどホット」だとすると、原文は「ひたすらクールで、高山のように希薄な空気のぴんと張りつめた世界」。
そのクールで張りつめた文体で描かれている物語は、誘拐犯罪と逃亡劇だ。
精神病院に入院していたジュリーという女性が、富豪の企業家アルトグに、甥ペテールの子守りとして雇われた。ところが、四人組のギャングに誘拐されてしまう……。
病的な歪みの妖しさに加え、これでもかとばかりに続く凄まじい活劇で一気に読ませる暗黒小説なのである。
あらためて今回の新訳を読むと、障害者ばかりが雇われている館でのヒロインの複雑な心理をたどるゴシック風サスペンスの面白さもさることながら、後半になってからの勢いのよさに興奮させられてしまった。とくにスーパー「ブリジュニック」で繰り広げられる「モンブリゾンの殺戮」のシーンなど、火薬や火焔をふんだんにつかったハリウッド活劇映画を見ているような迫力を覚えた。これが新訳ならではのものなのだろうか。
そのほか、さまざまな異常性をかかえた個性的なキャラクター、突発的な暴力の発露によるショック、幾重もの伏線とひねり、どこまでも起伏のある展開など、文庫でわずか二二〇ページ強のなかに、見事、良質なクライム・ノヴェルがそなえる要素が凝縮している。余分なにごりのない高純度の出来映え。
また深読みかもしれないが、ラストの場面を読むと、もしかしてこの作品はアメリカの資本主義というものを標的にしているのかもしれない、なんてことも思ったものだ。
ともあれ、とくにマンシェット未体験の読者に、ぜひ本作をお薦めしたい。なんとたったの五八〇円。
できれば九〇年代後半に学研から刊行された三作、『殺戮の天使』『殺しの挽歌』『眠りなき狙撃者』の文庫化も期待したいところ。ぜひぜひ、マンシェットの手刀による鋭い一撃を多くの人に与えて欲しい。