『水時計』

ジム・ケリー/玉木亨訳

創元推理文庫

 ジム・ケリーは、二〇〇六年にCWA(英国推理作家協会)最優秀図書館賞——図書館利用者を最も楽しませてくれた作家に対して、図書館員が贈る賞——を授与された。既に六作の著作がある期待の新鋭だ。うち五作が、新聞記者フィリップ・ドライデンを主人公にしており、本書『水時計』(創元推理文庫)は、デビュー作であると同時にシリーズ第一作でもある。惜しくも受賞は逃したものの、二〇〇二年のCWA最優秀新人賞にノミネートされた。

 舞台となるのは、イングランド東部ケンブリッジシャーにある小さな都市イーリー。沼沢地帯(フェンズ)と呼ばれる3,900平方キロメートルにもわたる大湿地帯の中に位置する、人口わずか一万五千人ほどのこの街は、干拓が進む前は北海に注ぐ大動脈グレート・ウーズ川に浮かぶ島だった。

 物語は、二〇〇一年十一月の凍てつく日に、フェンズ名物の氷結した水路に沈んでいた車のトランクの中から、男性の惨殺死体が発見されるシーンで幕を開ける。現場は人里離れた場所であり、張ったばかりの氷の上でたまたまスケートをしていた子供たちが見つけたのだ。

 翌日、今度はイーリー大聖堂の屋根の上で、ほとんど白骨化した死体が、ガーゴイルに跨った状態で発見された。冬を迎えるに当たって急遽決定した補修工事の最中に、塔の上に登った作業員により発見された死体は、やがて、三十年以上前に起きた近隣の給油所強奪事件の容疑者であることが判明。はたして、立て続けに見つかった二つの死体の間に、関係はあるのか。過去と現在の謎を追う地元の新聞記者フィリップ・ドライデンの身に、何者かの妨害の手が……。

 作中、主人公のドライデンが、「”沼沢地帯(フェンズ)の船”と称される大聖堂は、まさにその名にふさわしく、水平線に浮かぶ黒く強固な船楼といった感じに見えた」と述べているように、”浅い湖沼(ミーア)”が点在するどこまでも真っ平らな土地にあって、七十メートル弱の塔を備えたイングランド屈指の壮麗なカテドラルは、まさに沼沢地帯のランドマークと呼ぶにふさわしい。この堅固な石造りの聖域は、伝統や信仰、罪と罰、そして〈死〉といった”変わらぬもの”に対するメタファーだ。

 一方、河川、凍雨、薄氷、そして洪水と、作中さまざまに姿形を変える水は、”変化”の象徴である。それは人間の営み、心情、即ち〈生〉の暗喩である。

 イーリーという小さくも特異な街を象徴する、この二つの無機物の相克を通じて、そこに生きる人々の希望と絶望、欲望と懊悩を摘出するジム・ケリーの腕前は、すでに練達の域にある。

 こうして、しっかりと作られた物語をベースに作者は、丁寧に伏線を張り巡らせ、過去と現在の両方のパートに手がかりを埋め込み、いくつものサブストーリーを連関させて、かっちりとした謎解きミステリを成立させた。

 水路での死体発見から、洪水の迫る中での犯人との対決まで、全編を水に彩られた本年度最高の謎解きミステリである。

 ちなみに作者が、「自分の人生を変えた一作」としてあげている、ドロシイ・L・セイヤーズの代表作『ナイン・テイラーズ』(創元推理文庫)の本歌取りとしても、十二分に成功しており、随所に共通点が散見される。興味のある方は是非読み比べて、同じイングランド東部の沼沢地帯に屹立する聖堂を舞台とした新旧の名作の、相似と相違から英国ミステリの変わらぬ魅力を味わってみて欲しい。

 川出正樹

※第1回翻訳ミステリー大賞1次予選順位

第1位 

第2位 

第3位 

第3位 

第3位 

第6位 

第7位 

第8位