金沢在住の中国人ミステリー小説家・陸秋槎の新本格学園ミステリー『雪が白いとき、かつそのときに限り』(訳:稲村文吾)が、今月始めに早川書房から刊行されました。
 本書は2017年に中国で出版された同名タイトル『当且僅当雪是白的』を翻訳・出版した作品で、その時から 表紙イラストのデザインに日本人イラストレーター・中村至宏を起用しており、中国の他のミステリー小説と一線を画す造りになっていました。

 内容は、過去に校内で起きた「自殺事件」が「殺人事件」として再現されるという密室殺人もの。5年前、雪の降る日に校内で女子生徒の死体が見つかるが、周囲の雪に足跡がついていないことから自殺と判断される。そして現在、当時の事件と酷似した内容の殺人事件が起き、生徒会長の馮露葵は5年前に同校の生徒だった図書館司書の姚漱寒と一緒に調査を進める、というもの。

 生徒会長と司書という探偵助手コンビは、陸秋槎作品なら当然の女性同士。馮露葵は頭脳明晰で典型的な生徒会長キャラとして描かれていますが、ミステリー小説には疎いという設定。一方、馮露葵の助手として活躍する姚漱寒は、高校生よりも幼い外見をしていますが、大人として、そしてミステリー好きとして馮露葵を引っ張っていきます。生徒と先生(司書)、クール系年下と明るい年上、大人びた少女と子供っぽい大人の両者が事件調査の旅を続けるという、少女ミステリー好きならたまらない内容です。
 前作『元年春之祭』同様の、痛々しいほど純粋で美しい動機には一読の価値があります。

 2年前、原書の紹介文を日本の媒体に書く際、日本語の仮タイトルをどうしようか悩んだことがあります。
「当且僅当」という、日常では使わない中国語をどう訳せば良いのか、そもそもこの言葉はどういう意味なんだと調べるところから始まりました。英訳すると「If and only if」(の時かつその時に限り)になり、数学でよく使われている用語らしく、日本語にしても何か日本語に見えません。その時は確か、当初は陸さんから教えてもらった通りに『雪が白いとき、かつそのときに限り』というタイトルを使って書いたのですが、日本側から「長い」と言われ、『雪が白いかつそれのみ』とか『そして雪が白いときにだけ』など、色々案を出すことになりました。

 作品の顔とも言えるタイトルの翻訳は、翻訳者にとって悩ましい問題です。原題に従って直訳するか、内容の一部から抜粋するか、素晴らしいアイディアが天啓みたいに降りてくるのを待つかなど、方法は様々でしょう。しかし日本語と中国語には漢字という共通の表記方法があるので、「そのまま持ってくる」流用の形が多いと思います。
 今までに中国語から日本語に翻訳されたミステリー小説のタイトルをざっと並べてみましょう。

  • 蝶夢 乱神館記(著:水天一色)→ 蝶の夢 乱神館記
  • 虚擬街頭漂流記(著:寵物先生)→ 虚擬街頭漂流記
  • 遺忘・刑警(著:陳浩基)→ 世界を売った男
  • 我是漫画大王(著:胡傑)→ ぼくは漫画大王
  • 逆向誘拐(著:文善)→ 逆向誘拐
  • 13・67(著:陳浩基)→ 13・67
  • 元年春之祭(著:陸秋槎)→ 元年春之祭
  • 設局(著:紫金陳)→知能犯之罠
  • 黄(著:雷鈞)→ 黄
  • 第歐根尼變奏曲(著:陳浩基)→ ディオゲネス変奏曲

 上記を見ると、大体の作品が原題を忠実に訳していることがわかります。そのうち、『世界を売った男』は、確か小説にも登場するデヴィッド・ボウイの曲名が由来だったはずです。
 また私が翻訳を担当した『知能犯之罠』は、原題を『設局』といいます。「罠を仕掛ける」などの意味なのですが、そのまま訳してもタイトルとして据わりが悪いので、「IQの高い犯人による犯罪」という意味を込めて、現在の訳にしました。ちなみに、『邏輯王子的演繹』というタイトルが付いたバージョンもあったのですが、『論理の王子の演繹』は日本語にしても意味が分からない(論理の王子とは、作中の犯人を指す)ので、採用しませんでした。

 多くの日本語のミステリー小説を翻訳・出版している中国も、基本的には原題通りにしていますが、出版時期、翻訳者、出版社などによって訳が若干異なります。例えば、島田荘司の『占星術殺人事件』は『占星術殺人魔法』に、綾辻行人の『十角館の殺人』は『十角館事件』に、青崎有吾の『体育館の殺人』は『体育館之謎』に、今村昌弘の『屍人荘の殺人』は『屍人荘謎案』に、という具合いです。とは言え、中国語が分からない日本人が中国語タイトルを見ても、どの作品かすぐに見分けがつく訳になっています。

 ただ、中には一見しただけでは分からないタイトルがあり、そこから訳者の狙いやセンスを感じることができます。夢野久作の『ドグラ・マグラ』は原題の時点で意味不明ですが、中国語訳されるに当たり、『脳髄地獄』というタイトルになりました。一方、松本清張の『球形の荒野』は2011年に『一个背叛日本的日本人』(日本を裏切った日本人)という中身に踏み込んだタイトルになりましたが、今年再出版された際は『球形的荒野』という直訳タイトルになりました。他にも、最近翻訳出版された円城塔の『Self-Reference ENGINE』は『自指引擎』になり、英語から中国語に翻訳されたため、一瞬何の本だか分かりませんでした。

 中国ミステリー界隈には、故意に日本風のタイトルを付ける作家も少なくありません。『日月星殺人事件』『少女偵探事件簿』の他に、東野圭吾をリスペクトしたであろう『白夜救贖』(白夜の贖罪)、本当は「殺人事件」って言葉を入れたかったんじゃないかという『傀儡村事件』などは、日本語にしても不自然さはありません。とはいえ今度は、中国らしさがなくなるので、こういう翻訳の余白がないタイトルも翻訳者殺しなのかなと思う次第です。

 

阿井幸作(あい こうさく)

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)






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