鳴り物入りでデビューした作家がその後、梨のつぶてだということは少なくありません。中国のミステリー小説家・鐘声礼もその一人でした。彼は2020年、ユーモアミステリー小説家の陸燁華、ミステリ専門書店・謎芸館の店主で「中国のエラリー・クイーン」の異名を持つ時晨、『厳冬之棺』の作者・孫沁文ら9人の作家や編集者が共催した第1回QED推理小説賞を受賞し、翌年に受賞作品を含む短編集『放学後的小巷』(放課後の路地)を出したのですが、その後まるっきり音沙汰がありませんでした。

QED推理小説賞については過去に「第74回:中国のミステリー作家志望者は増えた。では読者は?」という記事で、この賞が設立された背景などを書いています。ちなみにですが、同賞の第2回は開催されていません。

そういうわけで、私の中で鐘声礼は消えた作家の一人となっていましたが、先日、本人から連絡があり、新刊を送ってもらいました。それが『熊猫騎士』(パンダライダー、2024年)です。

 そこで今月は鐘声礼の新刊『熊猫騎士』と過去作の『放学後的小巷』を主に取り上げたいと思います。

 まず『放学後的小巷』から。

 本書は日常の謎を題材にした短編集で、ゲーセンやおでん屋などたくさんの誘惑があるせいで「堕落巷」と呼ばれる路地や学校を舞台に、作者の分身のような阿礼という少年が友人たちの身の周りで起きた事件とも言えない不可解な出来事を解決していくという内容です。それらの「事件」がどういうものかと言うと、香菜(パクチー)好きな友達が頼んだ軽食に香菜が入っていなかったのはなぜか、友達が描いた黒板アートを消したのは誰か……など、真剣に考えるのもバカバカしい謎ですが、真相が分かったところで未成年の力ではそれ以上状況を好転できないため、阿礼も読者も無力感を覚えるというイヤミス風になっています。

 また、各話ごとに阿礼のキャラが少しずつ違っていたり、阿礼が初めて訪れるはずのお店の主人から「また来たね」的なことを言われたりと、各所に散りばめられた違和感も気になるポイント。実は作者あとがきもまた創作の一つであり、最後の最後で作品の根幹に関わる大きな種明かしがされ、まるで尻尾までアンコが詰まったたい焼きのようなうれしい造りになっています。

■伊坂幸太郎色が強い新刊

 デビュー作『放学後的小巷』は、家庭や学校の悩みを抱える中学・高校生の周囲で主人公の阿礼が探偵の真似事をするも力不足でほとんど何も解決できず、それでも諦めきれずに足掻く青春模様を描いています。では3年越しの新作『熊猫騎士』はどうかと言うと、実はこれもまた大きな問題を巡って市井の無力な人々が右往左往するお話で、伊坂幸太郎作品を思わせる群像劇でした。

白いフルフェイスヘルメットに白黒のライダージャケットと黒いズボンを身にまとい、首には真っ赤なマフラーを巻いてバイクで街を疾走するライダーがいた。正体も目的も分からないその存在は人々からパンダライダーと呼ばれ、街を守る正義のヒーローと見なされていた。しかしその街の建設放棄されたマンション(爛尾楼)で殺人事件が起き、現場でパンダライダーが目撃されたことから、警察の捜査対象となってしまう。事件当時は大雨で地面がぬかるんでいたにもかかわらず周囲に足跡は見当たらず、現場には焼け焦げた身元不明の死体があるだけ。そして、パンダライダーとも焼死体ともほぼ無関係な一般人たちのドラマが事件の真相を明らかにしていく。

 自分が暮らす街にパンダみたいな格好したバイク乗りがいたら話題になるでしょうし、実はアイツの正体は……とか、あそこでアイツを見たぜ……といった都市伝説めいた噂も流れるでしょうし、プラスイメージがついていればそれの模倣者も現れることだってあります。この本では、パンダライダーという存在が現実にいた場合、人々がどう反応するのかを明確に描いていて、多数の脇役による周縁の視線から中心人物の輪郭を浮かび上がらせる構造になっています。

 出てくる人物はバーのマスターやバーテンダー、交通警察官、配達員、配信者、借金取り、債務者、デベロッパーなどさまざまで、配達員と配信者がパンダライダーを追い掛けたり、債務者が借金取りに反撃したり、バーテンダーと客がマンションでの殺人事件について話し合ったりと、市井の人々の交わりを生き生きと描写し、また、百人いれば百通りの人生があることを伝えていますが、飛び抜けて個性的な人物は見当たりません。それとは対照的に、作品の中心人物であれだけ目立つ格好をしているパンダライダーは霧に包まれているかのようにつかみどころがなく、その目的もはっきりしません。模倣者が次々に生まれ、本人にインタビューしたという証言すら信じられなくなると、そもそもパンダライダーは実在するのか?という疑いを抱くまでに至り、せっかくはっきりした輪郭が実際は全く別人のものだったのかもしれないという事実にたどり着きます。まるで『攻殻機動隊』の笑い男編のような展開です。

 この脇役全員が主人公という群像劇に、ある中国の読者は、伊坂幸太郎の『ラッシュライフ』を連想させると評しています。作者の鐘声礼自身も伊坂作品が大好きで、ゲーム『428 〜封鎖された渋谷で〜』にも大きな影響を受けたと語っています。とは言え、群像劇を外国語で読むのは正直しんどかったというのが、私個人の率直な感想です。なにせ章が変わるたびに、さっきと違う人物の物語がさっきと違う場所とさっきと違う時間帯で進み、しかも他の人物が乱入してくることもあるわけですから、混乱するなと言う方が無理な話です。映像だったらそんなこともなかったかもなと思いました。

■爛尾楼を使った人でなしな動機

 ミステリー要素も忘れてはいけません。密室殺人事件の舞台となる爛尾楼の使い方が見事でした。爛尾楼とは、「爛」はグチャグチャ、「尾」は最後、「楼」は建物を意味し、すなわち「工事が最後まで完成されずに放置されている建物、主にマンション」を指します。建設工事が中断されると、マンションの引き渡しを行うことも当然不可能です。そこで一部のマンション購入者は電気も水道も通っていない部屋に住み、共同生活を送りながら会社に抗議したり政府に訴えたりします。しかもマンションを買うぐらいですから、一人暮らしではなく家族と共にです。爛尾楼問題は日本でも報道されているでしょうし、Youtubeを検索すれば関連動画も出てきますから、ここでは多く触れません。ただ最近読んだ中国ミステリー小説にも爛尾楼が出てきたので、思わず両作品を比較してしまいました。その本は燕返の『心案推理師』(2024年)です。

 本書の内容をざっくり説明すると、不動産開発会社に勤める旧友の王耀威から連絡を受けた心理学者の莫楠が、彼の担当する爛尾楼まで呼ばれます。そこには多くのマンション購入者が暮らし、中には莫楠の友人で王耀威の元妻・李馨暘とその娘の姿もありました。そして王耀威が爛尾楼から転落死したものだから、李馨暘を含む爛尾楼の住民が殺人事件の容疑者になってしまい、莫楠は今度は警察から事件の捜査を頼まれるという展開です。

 本書は爛尾楼問題を深く掘り下げていて、遅々として進まない工事、不便な未完成マンションで生活する人々の団結力、そしてそんな彼らに離間の計を発動する不動産会社など、解決までの道のりが容易ではないことを述べています。しかし本書で爛尾楼はあくまでも人を突き落とすのに便利だから殺人事件の舞台として選ばれただけで、殺しは単なる目的でしかありません。

 ですが『熊猫騎士』の場合、爛尾楼で人を殺したことが極めて重要となり、殺しは目的ではなく手段となります。工事が中断したマンションで殺しをしなければならなかった理由は作品の肝なので踏み込んで書けませんが、ここまで人間性が欠如した動機も珍しく、拝金主義の極地だなと感心すらしました。

 分かりやすさの面では『放学後的小巷』に軍配が上がりますが、『熊猫騎士』は技術力の向上を感じさせる新作でした。青春系日常の謎から群像劇という大きな転換を遂げた鐘声礼が次にどのようなジャンルに挑戦するのか楽しみです。今度は来年ぐらいに新刊を出すか、今年中に短編を発表してほしいです。

 

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/
・Twitter http://twitter.com/ajing25
・マイクロブログ http://weibo.com/u/1937491737



現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)


現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)

現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)


【毎月更新】中国ミステリの煮込み(阿井幸作)バックナンバー

◆【不定期連載】ギリシャ・ミステリへの招待(橘 孝司)バックナンバー◆

【不定期連載】K文学をあなたに〜韓国ジャンル小説ノススメ〜 バックナンバー

【毎月更新】非英語圏ミステリー賞あ・ら・かると(松川良宏)バックナンバー