ミステリの一サブジャンルに《倒叙もの》があります。おおざっぱにいえば冒頭で犯人が犯行におよび、その犯行を探偵がどうやって解明していくのかに主軸を置いた小説。フランシス・アイルズの『殺意』とかF・W・クロフツの『クロイドン発12時30分』といったあたりが代表格。これにテレビシリーズの《刑事コロンボ》や《古畑任三郎》をあげれば、どういったサブジャンルかはおわかりでしょう。
しかし、今回ご紹介するデイヴィッド・エリス『嘘つき仲間に囲まれて』In the Company of Liarsは、文字どおりの《倒叙》です。『広辞苑』の《倒叙》の定義(1)「時間の順序に従わず、現在から過去にさかのぼって叙述すること」を完全に満たしているからです。本書の第一章は「6月5日・土曜日」、2章は「6月4日・金曜日」……このあたりで結末が明かされ、そこから時間軸をさかのぼる構成になっているのです。ちなみに最終章は「2月7日・土曜日」。エピローグは「11年前」。
冒頭では、一見無関係なふたつの出来ごとが起こります。
・かつて優秀だったが近年はコカイン依存症と博奕の借金で首がまわらなくなっている医者(薬学者)がFBIの手入れにあって逮捕される。
・これまで世界各地でテロを実行し、無数の犠牲者を出してきたアラブ人テロリストの首魁がアメリカ軍によって捕獲される。三日前にはFBIが注意深く動向を監視していたアラブ人留学生が、パリ経由でアラブ某国へとむかっていたが、この男も同時にアメリカ軍の手に落ちる。
そして、このふたつの出来ごとの引金になったのが、刑事裁判で被告人になっていた女性ベストセラー作家の自殺です。この作家は恋愛関係のもつれから、元夫の同僚で恋人だった男性を殺害したとして起訴されており、有罪はまちがいなしと目されていました。
これが本書で語られる事件の結末。結末を知ってしまって、いったいミステリーのなにがおもしろいのか? そういぶかる方もいるでしょう。しかし、それは即断。
具体的なストーリー紹介は省いて(想像がつくと思いますが、叙述順=時系列逆順にうまく要約するのはむずかしく、かといって時系列順の紹介は完璧なネタバレになります)あいまいな言い方をするなら、たとえば途中で冒頭の事件を引き起こした真相らしき模様が浮かびあがってくるのですが、前の日付の章に読み進むうちに、その模様がぜんぜんちがう模様の一部にすぎないと判明する場面があります。ネガとポジが、思いこみと反対だとわかる瞬間もあります。そういった「逆どんでんがえし」が何度かくりかえされたのち、事件の発端が明かされる結末では、さらに意想外の模様が完成しているという、そんな仕掛けの超絶技巧のエンターテインメントです。
例をあげましょう。
たとえば物語が中盤にいたって、ある登場人物の家に盗聴器が仕掛けられ、本人もその事実を知っていることが明らかになります。これを境に、この人物の以前(時系列では以降)の発言すべて(あるいは一部かもしれません)が「盗聴器の存在を念頭においていたものである可能性」が生まれ、それまで読んできた物語は読者の頭のなかで様相をがらりと変えるのです。
また冒頭近く、自殺した女性作家の葬儀に参列している前夫を見て、某機関の捜査官が「あまり悲しんでいるように見えないな」とつぶやきます。いかにも前夫に疑惑をむけているようでありながら、まったくべつの意味だったことが明らかになります。ほかにも、こういった小さなサプライズが全篇にわたってちりばめられています。
こういった技巧を凝らしつつ、殺人事件裁判、国際テロ組織との闘い、さらには地方議会の汚職と腐敗という三本柱を巧みに組みあわせ、知的昂奮をさそう本書を書いたデイヴィッド・エリスの作品、すでに邦訳が二冊あります。まずデビュー作にして2002年度のエドガー賞を受賞した『覗く。』(原書2001年・講談社文庫)と『死は見る者の目に宿る』(同2007年・ランダムハウス講談社文庫)です。どちらも弁護士出身というキャリアをぞんぶんに生かした緊密なプロットのリーガル・サスペンスであり、同時に叙述にきわめて意識的な作品でもありました。
そんな作家エリスが《倒叙》という窮極の実験をし、実験小説という言葉にはいささか不似合なジェットコースター小説に仕立てあげた作品。ぼく個人は(こっそりと打ち明ければ、ちょっと中だるみもあったとはいえ)おもしろく読むことができました。
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