今回の「私設応援団」は、趣向を変えて「書評の愉悦」発の特別版でお届けします。
「書評の愉悦」は、書評家・豊崎由美さんが主宰されている文章講座で、東京・池袋コミュニティカレッジにおいて月一回、課題作を複数冊決めて受講生が書評に挑戦するという形で行われています。出揃った書評作品を受講生が採点し、その月の「書評王」を決めるという趣向もあり、プロである豊崎さんも同じ課題で書評を提出するため、時にはプロを制して受講生が書評王になることもあります。関心がある方は、こちらをどうぞ。
さて、その書評講座で六月の課題の一つになったのが、トマス・H・クック『沼地の記憶』だったとのこと。わがシンジケートでは、豊崎さんにお願いし、優秀作の一つを転載させていただくことにしました。惜しくも書評王の座は逃したとのことですが、読んでいただければわかるとおり、なかなか興味深い内容です。クックの世界を、「書評の愉悦」受講生はどう読み解いたか。どうぞ、ご覧ください。なお、同講座では書評を行うときに掲載媒体を仮想して執筆することになっています。この文章もそうした想定の元に書かれたものであることを、あらかじめご了承ください。
『沼地の記憶』
トマス・H・クック/村松潔訳
文春文庫
初読のオレ:面白くなくはないけど、長いし読みにくかった。こうも陰気な話だと、なかなか読み進める気力が沸かなくて。
再読のオレ:トーンが暗いのはこの作家の個性。20年前の『だれも知らない女』からそういう作風だったけど、ますます磨きがかかってるね。
初読:70過ぎの老人が1954年に起きたある悲劇的なできごとを回想するという体裁だけど。<のちにきわめて重大な日だったことがあきらかになるこの日は、しかし、それ以前の日々と少しも変わらなかった>みたいな思わせぶりな引きが多くって。語り手はすべてを知ってるのにいちいちもったいぶる。真相が明らかになるのは、ほんとに物語の最後の最後。正直、じれったい。
再読:破局はあらかじめ決められていて、その決定的瞬間に向けてらせんを描くようにじわじわと物語がすすむ。読者の興味を逃さない、巧妙な書きっぷりだよ。
初読:ずいぶん評価変えたじゃん、オレ。
再読:2回目は密度感が段違い。冗長だと思った部分が、すごく緻密に計算された伏線だったとわかるから。
初読:当時、24歳の高校教師だった語り手は「悪について」という特別コースを持っていた。歴史上の邪悪な人物・事件を次々に紹介していくという授業だ。このクラスの目立たない生徒の一人であるエディが、じつは12年前にこの町で起きた有名な女子高生殺人事件の犯人の息子だったという事実が浮上して物語が動き出す。語り手はエディに、自分の父親を題材にして「悪について」のレポートを書くことを勧める。小さな町で殺人者の息子として後ろ指を指されながらひっそりと生きるより、運命に自分で立ち向かうことで事態が改善すると考えたからだ。
再読:語り手は、大農場主の末裔で地方の名士でもある自分の父親のことをすごく尊敬していて、自分も父性的な行動をとりたいと思っていた。エディの父親は、自白したあと留置場で同房者に殺されてしまっていたから、まさにピタリとはまったんだよね。エディに思わぬ文才が備わっていることもわかって、語り手は途中までご満悦だった。ところがエディといっしょに殺人事件を調べていくうちに、語り手の胸のなかにある疑念が沸いてきて……。
初読:ぶっちゃけ「もしかしたら、エディの父親は無実かも?」ってことでしょ。
再読:それともうひとつ大きな謎が……。
初読:ああ、語り手が実は父親の(再読、あわてて初読の口をふさぐ)もがもがご、なにをする。
再読:それは言っちゃダメ。
初読:了解。たしかに、破局に一直線に向かうんじゃなくて、いくつかの謎を上手にちりばめてる。ラストだって、最初に想像していたのとはずいぶん内容が違ってた。というか、驚いた!
再読:ある意味、作品全体で読者にミスリーディングを仕掛けてるようなものだし。2回目はそこらへんも味わいどころ。
初読:わかんないのが、先に悲劇的な結末があるってわかってるのに、なぜ読んじゃうのかだよな。
再読:それは、この作品にものすごく古典的な悲劇の構造があるから。演劇の原点、ギリシャ悲劇の『オイディプス王』でいえば、国を襲う災いの原因を突き止めようとしたオイディプスはその結果として、自分が実は父親殺しであり、さらには実の母親と結婚していること、つまり自分こそが災厄の原因だったことを「発見」してしまう。この「発見の結果が根底的に自己否定になる」構造は、まさに本書にも共通してる。
初読:ぜんぶ木下順二『“劇的”とは』(95年、岩波新書)の受け売りじゃないか。でもたしかに、悲劇とわかっていても『オセロ』や『マクベス』はおもしろい。
再読:悲劇でしか語れないことはあるし、結果的にうまくいかなくても美しい行いはあるんだよ。
初読:語り手の同僚教師、ノラ・エリスのことなら同意。上流階級出身の語り手と、スラム地区出身のノラの恋は本書のオアシス。もったいぶった礼儀にとらわれた語り手とその父親に、彼女がいっぱつカマすところは最高! その率直さ、生き生きとした魅力に、語り手が惹かれるのはわかるよ。
再読:そこもだけど、作品全体の基調として悲劇のムードづくりがうまいの。舞台となっているミシシッピー州は、南北戦争で北軍に負けたことを根深く恨んでるというお土地柄。北部に比べ経済的にも取り残されていて、いまだに貧困率は高い。1954年といえば公民権運動前夜。白人同士の貧富差も大きいが、人種差別法のもとでさらに虐げられている黒人がいることは忘れちゃいけない。語り手の父親はプランテーション農場の名残のお屋敷に住んでるけれど、ようするに没落貴族だよね。ところが彼は、南部人にとって仇敵ともいうべきリンカーンの伝記を書いてたりする。南部的な価値観に対するノスタルジーや、父−息子の複雑な関係も、物語の重要な陰影になってる。メインのスジをおっかけるだけじゃなくて、「運命」へ至る背景がわかってくると、登場人物ひとりひとりの厚みが増してぐっと楽しくなる。
初読:アメリカ人なら、そういうディティールも1回ですっと頭に入るのかなぁ。
再読:日本人でも、注意深い読み手ならわかる。でもお前は、これからググって図書館からアメリカ史借りてきて演劇論引っ張り出しながら2回目読む運命なの。
山口裕之
プロフィール:
ふだんは実用書や料理本の編集をしています。書評講座受講生+ゲストで年に1回、文学フリマに出している『書評王の島』(vol.3まで既刊)もよろしくお願いいたします。
初の他流試合、いかがでしたでしょうか。「翻訳ミステリー大賞シンジケート」では、このような試みを継続していきたいと思っています。今後の展開をお楽しみに。(杉)