ハリー・デントンという私立探偵を覚えておいでだろうか。ほら、テネシー州の州都にして、カントリー・ミュージックのメッカであるナッシュヴィルを舞台に活躍するあの人ですよ。ナッシュヴィル在住の探偵? そんなの知らないなあ、って? チッ、チッ、チッ、それはミステリ読みとしての人生を損してますね……というのは大げさにしても、いわゆる私立探偵のイメージをいい意味で裏切ってくれるこの主人公を知らずにいるのはもったいない。

 そんなわけで、今月はスティーヴン・ウォマックによるハリー・デントン・シリーズをご紹介する。日本ではシリーズ6作のうち3作めまでが紹介されているが、4作め以降は未訳。そこで未訳書に焦点をあて、ハリー・デントンの魅力に迫るつもりだ。私立探偵には相棒がつきもの……というわけで、頼りになる相棒、三角和代さんとともにたっぷりと濃密にご紹介する。

 さて、まずは既訳書のおさらいから。主人公のハリー・デントンは元新聞記者。社主の弟の横暴な政界工作を暴露する記事を書いたがために社をクビになり、前科さえなければ取得できるという探偵免許をとって開業するもののさっぱり仕事がない。友人の紹介でローン不払い車の取り立て、いわゆるレポマンをやって糊口をしのいでいる状態。そんな彼のもとに、大学時代の恋人でいまは外科医の妻となっている女性から調査依頼が舞い込んで、というのがシリーズ第1作の『殴られてもブルース』(ハヤカワ・ミステリ文庫・品切)。2作めの『火事場でブギ』(ハヤカワ・ミステリ文庫・品切)では、別れた妻に泣きつかれ、3作めの『破れかぶれでステージ』(ハヤカワ・ミステリ文庫・品切)では、同じビルにオフィスをかまえるミュージシャンに頼み込まれて殺人事件の調査に足を突っ込むことになる。

 お気づきだろうか、どの仕事も広義の身内からの依頼であることに。開業して間もないせいで、身内の依頼に頼らざるを得ないという面ももちろんある。しかし、いい別れ方をしたとは言えない元恋人や元妻に泣きつかれて、ついつい依頼を受けてしまうところにハリーのお人好しぶりがよくあらわれているとも言える。

 それでも、しだいに身内以外の依頼をこなすようになり、探偵としての経験を積んで、それなりにたくましくなっていくハリーだが、ひじょうにつらい選択を迫られ、その後の彼を大きく変える事件に出くわす。それがシリーズ第4弾の CHAIN OF FOOLS だ。

 ベティ・ジェイムソンの依頼は、家出した17歳の妹ステイシーの行方を捜してほしいというものだった。ステイシーは厳格で口うるさい父親に反抗して荒れ、飲酒などの問題行動を理由に名門私立高校から退学処分を受けていた。ステイシーの行方を追い、ナッシュヴィルの歓楽街を捜しまわるハリーだが、どす黒い勢力が彼の行く手を阻む。

 はじめて読んだとき、過去3作と大きく雰囲気が異なっているのに驚いた記憶がある。反抗的な少女の家出と思われた事件に秘められたおぞましい秘密、ナッシュヴィルの歓楽街を支配する退廃的な空気、性産業で働く女たちの絶望感など、全体として暗くて重い。盛り場には素性のよくない男たちがつきもので、話を聞きに訪ねるだけでもそうとうの勇気を振りしぼらなければならない。ハリーも弱気になって何度となく引き返そうとするが、そんな自分を必死に鼓舞し、恐怖を押さえ込んで前に進んでいく。それでもダークサイドをのぞいた代償は大きく、その後の彼に暗い影を落とすことになる。まさにシリーズの転換点ともいうべき作品で、邦題をつけるとしたら『地獄の沙汰もファンダンゴ』といったところか。(東)

 そんなわけで、ハリーが大事な相棒さえもシャットアウトして幕を開けるのがシリーズ第5弾のMURDER MANUAL。彼はどん底まで落ちこんで、何カ月も世間とのかかわりを断っています。でも、先立つものがなければ引き籠もり生活もままならず。金にこまって相棒ロニーにまたレポマンの副業を紹介してもらおうとようやく動き始めるのですが、ハリーを待っていたものは悲しみコンボ。いい味だしていた脇役陣の、あんなにキュートだったロニーの愛犬シャドー、そしてチャーミングな家主のミセス・ホーキンズが立て続けに高齢により——。それだけではありません。恋人のマーシャに子どもができて、いますぐに結婚しようと小躍りしたハリーになぜかつれない態度だった彼女、返された言葉は、まだ好きよ、でも、あなたをわたしの子どもの父親として受け入れ、一生をともにするのは嫌だと気づいたの、でした。そりゃないよ、マーシャ。でも、現実を突きつけられて初めて自覚することってあるよね。

 ハリーはひさびさの本業で気を紛らわそうとします。よりよい人生を送るためのマニュアル本が大ベストセラーになっている作家の妻から、浮気調査の依頼です。「野菜を食べよう」だの「怒りの感情を抱えたまま寝るのはやめよう」だのといったことを並べた内容で、ハリーがすべての項目にツッコミを入れていた本の作者ですが、仕事は仕事。ところが、張り込み中に作家の他殺死体を発見。この役立たず、と、依頼主である奥さんは逆ギレ。マーシャの勤める検死局でも大問題が起こって気がやすまる暇はなく、そんなところに思いがけず、遺言でハリーに家が譲られたことがわかって一時はお祝いムードになるのですが、これがさらなるどん底へハリーを誘うプレリュードに。

 見事な踏んだり蹴ったりぶりで、タイトルをつけるならば『泣きっ面にマーチ』。紋切り型の人生のマニュアル本を登場させることで、人生にマニュアルなんぞあるか! とハリーが不格好に手探りで道を見極めようとする姿を浮き彫りにする構図になっています。探偵の物語にはアティテュード(確固たる自己、姿勢、気合い、気骨、反骨、ハッタリ、強がり、主張、意思などの総合体)の物語の側面があるのではないかと思っていますが、このハリーは騎士然とした探偵のイメージからは遠い。でも、べつに崇高なことを言わなきゃダメではないんだよね、と思わせる、ささやかなディテイルからじんわりと伝わってくる重みがここにはあります。じたばたともがいていたハリーが、人と人との関係をプールにたとえて導きだした説は、全文ここにご紹介したいくらいよい。マカロニ&チーズは野菜だと言って譲らない彼にたしかにアティテュードを感じ、そして惚れ直した作品です。

 シリーズ最後の作品はDIRTY MONEY。5作めとこの6作めはとくに話がつながっていて前・後編といってもいいくらいの結びつきがあります。マーシャがネヴァダ州レノのおばの家に身を寄せて赤ん坊の誕生を待っています。合併症で体調が思わしくない彼女は心細くなって、出産に立ち会ってほしいとハリーに頼んでくるのです。えー、身体も気持ちもきついのはわかるけれど、ちょっと、調子がよすぎない? でも、ハリーはほら、いい人だから、ざっと2500キロをものともせず、ナッシュヴィルからレノへむけてボロ車で出発。ところが人里離れた場所でエンスト。ヒッチハイクを頼んだ相手が悪者で、荷物も車も奪われるハメに。なんとかマーシャのもとにたどり着いた彼は数週間後の子どもの誕生を待つあいだ、知人の依頼でマネー・ロンダリングに関する調査を引き受けることにします。カジノの街レノにある売春宿に潜入するのです。ところが、孤独な売春婦と心を通わせたと思った矢先、彼女は命を奪われてハリーに容疑が。

 田舎町でぐだぐだ言いながら地元の人としゃべっている描写がなにかに似ていると思ったら、雰囲気がドラマの『マイ・ネーム・イズ・アール』ですよ、ハリー・デントンものって。シリーズ最終話の本作、メインとなるのは前作で道を見極めようとしていたハリーがはっきりと自分の気持ちに気づき、結果を受け入れるプロセス。ハリーにはあたらしく気になる女性も登場して読んでいるこちらもやきもき。つれないマーシャに見切りをつけてその女性を選ぶのか、マーシャと子どもを見守るためにレノに定住するのか、それとも、ロニーたちの待つナッシュヴィルへもどるのか。山場の克明な出産立ち会いシーンは、あらたな方向を見つけるにはどれだけの苦悩をともなうか象徴しているよう。邦題をつけるなら『お手上げでもララバイ』で。ハリーはへこたれません。たとえひとりだとひしひしと感じることがあっても、人はまだ先にいける。そう思わせてくれるのが基本的に個人プレイヤーである私立探偵小説の醍醐味なのかもしれません。(三)

(東野さやか/三角和代)