今回は、女性工作員の活躍を描いたランドン・ビーチThe Blue Hour Sanction(Landon Beach Books LLC/2023年)を取り上げます。

 大学を卒業したばかりのマーガレット・クランドールは、モーニング・ブライトと称する謎めいた会社より熱心な勧誘を受ける。具体的な職種は明らかにはされなかったものの、高額の報酬が約束されて自分の裁量で仕事を進めることができ、優秀であれば然るべく昇進もできるとの説明で、持ち前の闘争心を強く刺激されたマーガレットは入社を決める。
 モーニング・ブライトは、ウォール街で財を築いたジョック・ギデオンが元CIAのバイロン・ワースを誘って創設した諜報組織、ワース=ギデオンが所有するダミー会社で、半年間の訓練を経て過酷な最終選考に合格したマーガレットは、アドリエンヌ・アストラという新しい工作員の身分を与えられる。
 それから更に6か月後、現役の工作員であるフローレンス・フレミング(フロー)の下で訓練を続けていたアドリエンヌに、フローが任務で命を落としたとの連絡が入る。
 世界最大規模の海運会社スターラインの経営責任者であり、犯罪組織から提供された資金で自社の所有する貨物船を改造して武器密輸に加担しているヴィクター・ラース・ジュニウス暗殺のために派遣されていたフローだが、入念な準備工作にもかかわらず、任務は失敗に終わった。
 ワース=ギデオンは内通者の存在を探るのと同時に、アドリエンヌにジュニウス暗殺を命じるが……。
 
 物語は、ジュニウス暗殺未遂の場面(プロローグ)から幕を開ける。
 ここまでは普通のスリラーにも思えたものの、続く第1章では突然一年半ほど前に遡り、大学生として最後の陸上競技大会に挑むマーガレット(アドリエンヌ)が登場して、読者は冒頭から足元を掬われたかのような気分を味わうこととなる。
 七種競技の優勝候補と目されていたマーガレットだが、モーニング・ブライトの担当者からは「注目を集めないよう、優勝してはならない。二位から五位以内に入賞すること」を言い渡される。
 更に第2章ではそれから半年の時間が経過していて、コアという名前を与えられたマーガレットが真冬のスペリオル湖で工作員としての最終選考に挑む姿が描かれる。そして選考が終了するのが第9章で、ここまでで全体の約1/3が費やされる。
 なかなか物語が進まない印象を与えかねない構成ではあるが、第1章では、七種競技の最後に行なわれる800メートル走でモーニング・ブライトに入るために手を抜くのか、それとも自分の持てる力を発揮して優勝を勝ち取るべきか、葛藤を抱えながら走るマーガレットが活写され、第2章から第9章までをかけて描かれる最終選考では、3名の工作員候補の一人として全裸でスペリオル湖に浮かぶミチピコーテン島に放り出され、狼が放たれた島内を走破し、他の2名より先に灯台に辿り着くことがコア(マーガレット)に課せられるが、その際に携行を許されるのは弾丸が一発装填されたリボルバーとナイフのみ、という冒険小説が好きな読者にはたまらない展開が繰り広げられる。
 どちらの場面も緊迫感に溢れる語り口で、プロローグからすると過去の出来事であってもあまり気にならず、その瞬間に引き込まれてしまう。
 更に、紆余曲折を経ながら進む風変わりな作品に更なる魅力を与えているのが、敵役のジュニウスの設定だ。
 父親から受け継いだスターラインを世界有数の会社へと育て上げた彼は、子供の頃に映画『荒鷲の要塞』を観てリチャード・バートンの熱烈なファンになり、何度か整形手術を受けて容貌までアイドルに近づこうとする怪人物として描かれている。登場する回数はそれほど多くはないものの、その度にバートンが舞台や映画で演じた人物たちの台詞を引用しては、強烈な印象を残してくれる。
  寄り道の多い女性工作員の誕生譚ではあるものの、銃撃戦の描写も堂々たるもので、銃器やワインに関する蘊蓄も語られ、楽しんで読める作品に仕上がっており、スリラーファンのサイト、ベストスリラーズで2023年の最優秀アクション・スリラー賞を授与されている(https://bestthrillers.com/best-thriller-books-of-2023/)。

●作品リスト●
 Great Lakes Sagaシリーズ:
  The Wreck(2018年)
  The Sail(2019年)
  The Cabin(2019年)
  The Hike(2021年)

 Sunrise-Side Mysteryシリーズ:
  Huron Breeze(2021年)
  Huron Nights(2022年)
  The Blue Hour Sanction(2023年)本書
  Huron Sunrise(2023年)
  
 その他の作品:
  Narrator(2022年)

寳村信二(たからむら しんじ)

 WOWOWで放送している『三体』のドラマ(全30話)にはまってしまった。たまたま第25話を途中から観てしまい、慌てて26話から30話を録画した。第1話から25話は年末に再放送があるので、まとめて録画する予定。
 ドラマを鑑賞するなんて『ツイン・ピークス』以来だ。

●AmazonJPで寳村信二さんの訳書をさがす●

【原書レビュー】え、こんな作品が未訳なの!? バックナンバー一覧