今回はヤズミン・ゲイルノン(Yasmine Galenorn) の Scent to Her Grave を紹介する。
主人公は31歳の独身女性ペルシャ。アロマとスパの店ヴィーナス・エンヴィを経営している。若くして母をなくし、父に捨てられた彼女はおばのフローレンスに育てられた。おばは親代わりとなって愛情深く育ててくれただけではなく、こうしてシアトルの片隅でビジネスを始めるときにもサポートしてくれた。
お客は美しくなるため、そして癒やしを求めてヴィーナス・エンヴィにやってくる。店には選び抜かれたアロマオイルと自然の香りから生まれる石けんやバスソルトが所狭しと並び、一歩足を踏み入れると華やかな香りにつつまれる。ペルシャの自慢の商品ラインナップだ。
だが、店の一番の“売り”はペルシャ自身の鼻だった。人並み外れてきく鼻を持つペルシャがオーダーメイドでひとりひとりに合わせた細やかな香りの調合を行うと、顧客は心からのリラクゼーションを味わうのだった。
店内の壁には地元の画家によるボッティチェリの「ビーナスの誕生」の複製画が描かれていた。そして、店の隣に住むフローレンスの友人バーバラから贈られたギリシャ土産の美しい鏡「アフロディーテの鏡」が掛けられている。まさに女性の心身の美を追求する店にふさわしいではないか。
顔が広いフローレンスの支えもあって店は繁盛し、得意客のなかには地元の著名人もいた。ある日、地元の美人コンテストで優勝したリディアがやってきた。確かに美しいのだが、気が強く、わがままでなかなかやっかいな客である。コンテストで優勝したことでへんな自信をつけたのか、その傲慢さに拍車がかかっていた。その日も「アフロディーテの鏡」に映る自分の姿にうっとりとし、非売品であるにもかかわらず、お金ならいくらでも払うから売りなさいと高圧的な態度でペルシャに詰め寄った。
さらに、店が契約している庭師のトレヴァーが店内に入ってくると、わたしを追い回すのはやめなさいと大騒ぎを始めた。かつてリディアとトレヴァーはつきあっていたのだが、リディアから一方的に別れを告げたらしい。別れてからずいぶん経つのに、いまだにトレヴァーが自分を忘れられずにいると思っている自信過剰ぶりにペルシャは閉口した。そのあと美人コンテストでリディアに負けて2位だったコリーンが来店すると、今度はコリーンに対してマウンティングする始末。ペルシャはあまりに傲慢で他人の迷惑を考えないリディアにしびれを切らし、香りを調合するあいだ静かに待っていられないなら帰ってちょうだいと言ってしまう。
遅くまで仕事をした翌朝、ペルシャは少し疲れをひきずったまま店に向かった。ドアをあけた瞬間に、いつもと違うにおいを感じた。金属のようなにおいだ。カウンターの前にリディアが仰向けに倒れていた。髪に血糊がべったりとついていた。異臭は血のにおいだった。
リディア殺人事件の捜査の指揮をとるのはカイルだった。いまや警察官として出世しているカイルは、ティーンエイジャーのころにペルシャをデートに誘ったが断られ、以来ふたりは互いに遠ざかっていた。しかし、店で殺人事件が起こったとなると、避けるわけにもいかない。聞かれる質問に答えているうちに、ペルシャはリディアが欲しがっていた「アフロディーテの鏡」がなくなっていることに気づいた。
あちこちに敵が多いリディアを殺したのは誰なのか。店の鍵を持っているのはフローレンスとペルシャ、緊急時のために鍵を預けていた店の隣に住むバーバラ、従業員のタウニー、そして、庭の手入れのため最近鍵を渡したトレヴァーだけだ。全員が信頼できる人々であり、殺人を犯すとは思えなかった。
ところが、事件発覚後、トレヴァーの行方がわからなくなっていた。そして、トレヴァーの所有品のなかにリディアの血痕がついたハンマーが見つかった。警察がトレヴァーを捜しているとき、当人がペルシャの前に現れた。自分はリディアを殺していない——ペルシャは、その言葉に嘘はないと感じた。フローレンスが腕利きの弁護士を手配し、なんとかトレヴァーを救おうとするが、事態は不利な方向に向かうばかり。ペルシャは真犯人を見つけなければと思い立った。
どこかへ行くたびに、誰かに会うたびに、第一印象ならぬ第一臭覚で多くのことを感じとることができるペルシャ。並外れた臭覚で目に見えない背景を分析しながら、素人探偵になっていく。ふだん微量のオイルや香料を嗅ぎ分けている臭覚で、事件の背景や真犯人も嗅ぎ分け、小さなヒントから重要な真実に気づく能力に長けている。
この作品の魅力はペルシャの調査能力だけではない。不幸な子ども時代を過ごした彼女がおばをはじめとする周囲の人々と築いた絆や、人々を信じる気持ちにも打たれる。妻を不慮の事故でなくしたカイルとの関係も気になる。そして、なんといっても作中に何度も登場するアロマオイルの調合やリラクゼーションのコツは、どれも試してみたくなるものばかりだ。
本作は The Bath and Body シリーズの1作目であり、2005年にIndia Ink名義で刊行された。2作目以降に A Blush with Death(2006)、Glossed and Found(2007)が続く。
片山奈緒美(かたやま なおみ) |
翻訳者。日本語教師。首都圏の大学でコミュニケーション、日本語教育、多文化共生論などの科目などを担当。 |