テレビや新聞、オンライン・ニュースサイト、SNS……どこを見ても戦争や内紛、テロのニュースが目に入ってきます。ウクライナ、ガザ地区、ミャンマー、アフガニスタンなどの報道に心を痛めているかたも多いことでしょう。それらのあいだに埋もれるかのように行方不明の人や、何年、何十年も前に忽然と姿を消した人を探す人々についてのニュースが伝えられることがあります。ある日突然大切な人がいなくなってしまった人たちの悲しみ、心情はいかばかりか。想像することしかできません。

 先日もそうしたニュースに触れ、ふとこの作品を引っ張り出してきました。キャサリン・クラークの Steal Away です。手元にあるのは1998年刊のペーパーバックで、たしかいまはもうすっかり痛んでいる表紙にテス・ジェリッツェンの推薦文を見つけて購入したように記憶しています。

 シングルマザーのレイチェルは、最愛の一人息子デイヴィッドとささやかながら幸せな生活を送っていました。子どもらしく元気なデイヴィッドは、9歳にしては聞き分けがよく、母親を心配させるような危ないことはしない子でした。

 ある日、デイヴィッドは学校に行く前に今日のおやつはピーナッツバター・クッキーがいいと母におねだりをしました。母の手作りのこのクッキーが大好きだったのです。レイチェルは息子のリクエストに応えようと、仕事からの帰り道に材料を買いにいきました。ところが彼女が帰った家にはデイヴィッドはいませんでした。下校途中で友達と多少の寄り道をすることはあっても、大好きなクッキーを食べる日に遅く帰ってくるわけがありません。レイチェルは息子が通りそうな道、行きそうな場所を探し回り、買ったばかりのお気に入りの自転車が路上に放置されているのを発見します。仲良しの友達とは学校で別れたことがわかりました。
 あの子が自転車を放り出して一人でどこかに行くはずがない。
 レイチェルはすぐに警察に通報し、別れた夫スティーブンにも連絡をしました。

 デイヴィッドはどこにいるのか、生きているのか。何の手がかりもつかめないまま数日、数週間……と時間ばかりが過ぎていきます。探し続けるレイチェルの脳裏によぎるのは息子の屈託のない笑顔と何気ない日常の会話ばかり。そして、いまはレイチェルのそばにいる別れた夫と暮らしていたころのつらく苦しかった日々。

 レイチェルとスティーブンのあいだには、もう一人子どもがいました。その子を幼くして失ってしまった哀しみをなんとか乗り越えることができたのは、デイヴィッドのおかげ。でも、いまそのデイヴィッドがいなくなってしまった。

 最初の子どもの死と前後してスティーブンはそれまで以上に仕事にのめり込むようになり、忙しさもあるのか妻への言葉がきつく、厳しい態度を取るようになっていきました。やがて二人は離婚し、レイチェルがデイヴィッドを育ててきました。彼女にとって息子はかけがえのない、絶対に守らなければいけない存在です。

 捜査が長引くにつれ、最初はレイチェルを気遣っているように見えたスティーブンが少しずつ以前のような厳しい接しかたをするようになっていき、彼女は元夫の態度にも心を蝕まれていきます。

 息子が行方不明になった日を境に、レイチェルは目の前の苦しみだけではなく過去の苦痛とも対峙することになりました。最初の子どもの死、夫との諍い、若いころから美しく華やかな妹ミランダと比べられてきたこと……

 物語の進行のあいまにレイチェルのこうした過去の苦しみについて綴られ、それが現在と深く結びついていることが明かされていきます。過去は終わってはいませんでした。
 そして、最近離婚したばかりのミランダも関わっている失踪した子どもたちのための活動をしている基金に大きな秘密があることがわかっていきます。人々の過去と暗い思惑が新たな悲劇を生んでいたのです。

 著者はマサチューセッツ州に住む弁護士。同名義では他の作品が見当たりませんが、デイヴィッドを必死に探すレイチェルの心理描写は真に迫っており、ぜひまた書いてほしいところです。

片山奈緒美(かたやま なおみ)

翻訳者。日本語教師。首都圏の大学で非常勤講師としてコミュニケーション、日本語表現、多文化共生、留学生の日本語などの科目などを担当。
最新の著訳書はリア・ワイス『スタンフォードが教える本当の「働き方改革」』、日本語口語表現教育研究会『社会を生き抜く伝える力 A to Z』(第3章担当)など。
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