おまえのことはたぶん愛しているんだ、でもいまは気分じゃないんだよ。そう声をかけては待たせる本が数えきれない腹心の友のみなさま、こんにちは。今回は毎日目に入る場所にあったペイパーバックがいい加減にしろよ……と訴えてきたので手にしました。内容紹介もすっかり忘れていた1冊は、ちょうどクリスマスの時期を舞台にした喪失と欲望まみれの妄想に満ちたノワール、“Kiss Me, Judas”(1998年)。

 寒い。ホテルのバスタブで氷漬けにされている。血まみれの氷。脇腹の激しい痛み。腹に並んでいるのはホチキスの針か? 握っていたメモ――生きたければ救急に連絡して。バスタブ近くの電話になんとか手をのばした。
 おれはフィニアス・ポー。妻が事故死して仕事もやめて家もうしなってから、数カ月入っていた心の病院を後にしたばかりだ。ホテルのバーで切れ味のいいナイフを連想させる女に声をかけられ、すっかりのぼせあがった。200ドルで相手をしてくれるというその女ジュードと部屋にあがった。
 腎臓をかたっぽ奪われていた。
 完璧な尻と肩甲骨のあいだの第三の目のタトゥー、その直後のきらめくメスの記憶。酒に薬を入れられたに違いない。そして手荷物からは大事な銃だけがなくなってもいた。あの女、見つけだして殺してやる、そう思うと同時にどうしようもなくまた女に会って触れたくてたまらなかった。臓器売買の被害にあったと考えるデンバー市警の元同僚のムーン刑事と初対面の――FBIか?――〈火ぶくれ男〉の質問をのらりくらりとかわし、勝手に病院から逃げだすことにした。外は雪。懐が寂しい。重症を負った入院患者のバッグから身内のふりをして金を盗んだ。
 病院のインターンのローズ、旧知の闇医者クラムが経営するポルノショップの若い店員のイヴと、力になってくれる女に出会うたびにおれは性的な妄想をして、妻を思いだす。ホテルのフロントにはジュードからの手書きのメモが残されていた。わたしは落ちこんだらボウリングに行くと。犯人探しに乗り気なイヴの助言で、ボウリング・レーンのあるバーに向かうと、浴室でのあやふやな記憶に残っていたジュードの共犯で、クマのような巨体の〈プー〉という密売人を捕まえた。明朝11時に駅で待ち合わせだという。なんとしてでも彼女を捕まえ、移植されていなくても“鮮度が落ちている”とみんな口を揃えて言うが哀れな腎臓を取りもどす。そう決意するおれの前に〈火ぶくれ男〉が現れて身分を明かし、さらにおれをピンチに追いこむ事実を突きつけた。

 ここから物語は二転三転、ぐいぐいとカーブしていきます。書棚の本に呼ばれた気がしてよかった、これ好きだな。そこまで厚くない本ですし、容赦ない犯罪小説がお好きなかたはぜひ。詩的で凄惨。そもそも癖のある人物しか登場しないし、主人公フィニアスは、結婚前から妻が病気で余命いくばくもないとわかっていて、妻がストレスで倫理的にとてもまずい方向に歪んでいくのにしたがって、自分も病んでいき幻覚を見るようになっていきます。“手術”後の痛み止めも必要で、やばい薬も口にする。だから一人称の語りに事実と妄想が混じり、どれが現実に起こっていることなのか線引きが明確でない。刊行当時の評価を見ると、そこが難点でもあり微妙という意見もあったようですが、わたしはこの新事実を信じていいんだろうかと戸惑いを覚えるのがとても楽しかったです。あとね、妄想かと思われるなかにちらちらと伏線が仕込んであったりするんですよ。

 本書はウィル・クリストファー・ベアのデビュー作。1966年ミシシッピ生まれ、現在はカリフォルニア在住とのこと。いまのところ長編はフィニアス・シリーズ三部作+あと1冊のみ。SNSでは活動を発見しましたが、ほかにジャーナリスト、脚本家といろいろ仕事をされているようなので、執筆はお休みって感じでしょうか。三部作は全部読んで不憫なフィニアスの行く末を見届けたい。

三角和代(みすみ かずよ)
訳書にカー『幽霊屋敷』、グレアム『罪の壁』、ブラウン『シナモンとガンパウダー』、タートン『名探偵と海の悪魔』、リングランド『赤の大地と失われた花』他。SNSのアカウントは@kzyfizzy。

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