書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。こちらは10月号なのでとりあげているのは9月分ですが、間もなく新しい号が更新されます。併せてお楽しみくださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

酒井貞道

『ネプチューンの影』フレッド・ヴァルガス/田中千春訳

創元推理文庫

 

 ネレ・ノイハウス『生者と死者に告ぐ』では、捜査が事件の核心にじわじわ迫り続けるので停滞感は全くないのに、真相の全貌は終盤になるまで判明せず、ために犯人が警察に先行し続ける。そのバランスが絶妙で、読んでいてとても楽しい。エイダン・トルーヘン『七人の暗殺者』は、主人公の、饒舌に饒舌を重ねた語り口が暴威を振るう。他の登場人物から鍵括弧「」付きの台詞を根こそぎ奪って、地の文で語り倒すスタイルは、暗殺者集団との戦い方のえげつなさと相俟って、主役の強烈な個性を否応なく読者に突き付ける。続篇もあるようなので楽しみです。

 でも今月は『ネプチューンの影』を選びます。こちらの主役アダムスベルグ署長も個性豊かなうえに、今回は彼自身の私生活にも深く関与している連続殺人が扱われる。弟を失う契機となった事件に、アダムスベルグの力のこもるのもむべなるかな。……などと通り一遍の書評をフレッド・ヴァルガスが書評家に書かせると思ったか、と言わんばかりに、130ページ過ぎにアダムスベルグらは、カナダで研修を受けるため海外出張してしまうのだ。もちろんそこで受ける研修やらエピソードやらは、フランスでの連続殺人とは何の関係もなさそうだ。いやいや何してんのこの作家?! 翻訳者もカナダのフランス語を九州弁で訳してんじゃねーよ! 楽しいからいいけど! でも捜査は?! などと思っていると、そこでとんでもないことが起きるのである。このオフビートな展開にはびっくりしました。そしてこれを受けての、アダムスベルグ達レギュラー陣の行動がまたいいんですよね。いやあいい小説を読んだ。

 

千街晶之

『ネプチューンの影』フレッド・ヴァルガス/田中千春訳

創元推理文庫

『ネプチューンの影』フレッド・ヴァルガス/田中千春訳 創元推理文庫

 お久しぶりのフレッド・ヴァルガスである。今回は「夢見る署長」アダムスベルグ自身の事件とも言うべき内容。三十年前に弟に着せられた冤罪を晴らそうとするアダムスベルグは、その前からずっと続いてきた同じ手口の連続殺人事件の真犯人をある人物だと睨んでいた。だが、その人物には犯行を続けられない強固な理由があった。果たしてアダムスベルグの推理は的中しているのか、それとも思い込みか? このシリーズの過去の作品も奇天烈な事件を扱っていたけれども、本書もそれらに劣らない。いや、ミッシングリンクの種明かしのとんでもなさは旧作をも凌駕しているのではないか。ジャン=クリストフ・グランジェの『死者の国』といい本書といい、今年は「フランス新本格」と呼びたくなるタイプの作品の当たり年だ。

 

川出正樹

『ネプチューンの影』フレッド・ヴァルガス/田中千春訳

創元推理文庫

 星の数ほどある〈連続殺人もの〉の中でも、こんなにも奇妙奇天烈なミッシング・リンクに出会ったのは初めてだ。凶器が変わっているのも、被害者が多種多様なのも、すべてこの動機ゆえだったとは。『ネプチューンの影』は、〈アダムスベルグ警視自身の事件〉だ。“一風変わった夢見る署長”の過去を語ることで、現在あるアダムスベルグがいかにして形づくられたのかを明らかにし、あわせて未来の彼の姿を示唆する。天才名探偵の活躍譚に警察捜査小説の興趣が加わり物語に厚みが増したシリーズの要石となる作品です。前作『裏返しの男』から七年、待った甲斐がありました。CWA賞インターナショナル・ダガー賞を四度受賞したフレッド・ヴァルガスの面目躍如たる逸品です。今月はもう一冊、「暗号クロスワードのどこが面白いかというと、嘘をつくと同時に、まったく正直でもあるところです。誤導がすべてということですよ」という作中の台詞がぴったりとくるジェフリー・ディーヴァーの『カッティング・エッジ』もお薦め。次々と予想外の扉を開けて突き進む追う者と追われる者――名探偵と犯罪者と目撃者――の虚々実々のノンストップ遁走曲が予想外の結末へと収斂する。『ボーン・コレクター』や『バーニング・ワイヤー』路線の”ディーヴァー流必勝フォーマット”に則った流石の逸品です。

 

北上次郎

『短編ミステリの二百年 1』小森収編/サマセット・モーム他/深町眞理子・他訳

創元推理文庫

 こんなに刺激的で面白いアンソロジーを読んだことがない。巻末の小森収の評論(なんと160ページもある!)を読みながら、収録の短編を読んでいくと、ミステリーがこれだけ面白く、奥行きのあるジャンルであることがわかってくる。

 この労作に深く敬意を表したい。

 

霜月蒼

『11月に去りし者』ルー・バーニー/加賀山卓朗訳

ハーパーBOOKS

 反則である。知ってる。先月の七福神で吉野氏と杉江氏が挙げていた。話題作が続々と刊行された9月だったから、あのとき僕はこれをまだ読めていなかったのだ。10月はジェフリー・ディーヴァーの『カッティング・エッジ』が「いかにもディーヴァー」という感じで楽しかったし、陸秋槎『雪が白いとき、かつ、そのときに限り』の日本のミステリに範をとりつつ、やけに嫋嫋たる叙情がたゆたう空気感にも好感を抱いた。でも『11月に去りし者』を推さないわけにはいかんのです。

 舞台は60年代、組織に追われるクールな殺し屋の逃亡劇、という昔ながらの枠組みに、著者は明らかに現在の感覚を持ちこんでいて、お約束のノワールなリリシズムを供しながらも、清新な物語を編み出している。その象徴が、殺し屋と出会う田舎町の主婦シャーロットである。暴力者である主人公と出会うことで彼女に何が起きるか。本書が重要なのはそこである。思えば今年は犯罪を触媒にして立ち上がる女性たちの名編がいくつもあった。『拳銃使いの娘』『沼の王の娘』『ブラックバード』、どれも2019年を代表する傑作であり、本書もこの列に連なる。そもそもルー・バーニーは『ガットショット・ストレート』でも素晴らしく食えないイカした女性を登場させていて、その感覚は本書にも流れている。

 とにかく僕はこの作品の最終章が痛快で痛快で大好きなんですよ。この痛快さは今年ベストじゃないかな。これを最後に入れたってことは、本書が「シャーロットのドラマ」であることの傍証といっていいと思う。あ、あと、主人公を追ってくる第二の殺し屋、この男と黒人の少年をめぐるエピソードが悪党パーカーみたいに酷薄で、これまた素晴らしいんですよね。

 

吉野仁

『カッティング・エッジ』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子訳

文藝春秋

 圧倒的なサスペンスを体感した。事件や題材をめぐる妙、主要登場人物へ迫る危機、章ごとのクリフハンガー、中盤以降に見せるツィストの連続技など、すでにディーヴァーの凄さもシリーズのパターンも十分に分かっている第14作目でありながら、それでもなお夢中で読ませる仕上がりには驚くしかない。ほかでは味わえない面白さだ。そのほか、今月のベストで遜色ない二作があった。まずひとつは、行方不明の子ども専門の探偵ナオミが主人公の、レネ・デンフェルド『チャイルド・ファインダー 雪の少女』。ひところ、都会ではなく山林地帯や田舎の町を舞台にした作品に対し、カントリー(もしくはルーラル)・ノワールというレッテルが貼られていた。ウッドレル『ウィンターズ・ボーン』がその代表作か。『雪の少女』もまたその系列にあるとともに、いわゆる「卑しい街を歩く騎士」私立探偵小説の現代女性版であるようにも感じられた。消えた少女探しの過程にとどまらず、厳しい雪山の環境をめぐる現実味あふれる筆致も読みごたえがあった。もう一作、カサンドラ・モンダーグ『終の航路』は、地球の陸地がみな海に沈んだ近未来が舞台で、生き別れた娘を追いつづけ母親を主人公にした冒険小説。設定こそ大胆なフィクションだが、場面ごとに臨場感あふれており、容赦ない困難の連続と生きのびるための闘いが生々しく描かれている。親子の関係だけではなく男女の恋愛シーンも多く、ヒロインの心の声が聞こえてくるような物語だ。

 

杉江松恋

『生者と死者に告ぐ』ネレ・ノイハウス/酒寄進一訳

創元推理文庫

 短篇集だと『ミステリ短編の二百年1』で、なにしろあの大乱歩の『世界推理短編傑作集』に対抗するアンソロジーを作り上げる、しかも各巻に短篇ミステリー通史となる評論を書き、すべてを読むと探偵小説を「本格」と呼ぶ王道のミステリー観のカウンターになる評価軸が完成するという趣向なのである。小森収の評論こそが主役というべきアンソロジーであり、彼が過労で倒れてもいいから一刻も早く次を、という気分にさせられる。まあ、必読です。

 で、長篇でシリーズものの七作目にあたるネレ・ノイハウスを選ぶことにした。罪のない市民が次々に狙撃されていき、〈仕置き人〉を名乗る(おお、訳語はできれば仕置人にしてほしかった)犯人からの声明文が届く。これだけだと普通のミッシング・リンクものなのだけど、『生者と死者に告ぐ』にはその先があるのね。犠牲者を結ぶ環は比較的簡単に発見されて、その後で犯人捜しが始まるのである。ホワイじゃなくてフーダニットなのだ。これがまた容疑者が多くて絞り切れない。あいつかと思ったら別のやつが疑わしくなったりして、捜査陣は最後まで引っ掻き回されるのである。そのおもしろさですね。最後の最後まで誰が犯人か絞り切れないフーダニット。私はそういうのが好きなんだなあ。犯人はちゃんと手がかりになるシグナルも出しているし、そういう意味ではフェアだ。そうだよ、こういう警察小説を読みたいんだよ、と頷きながら読んだのでした。いいよ、ノイハウス。

警察小説強めの十月でした。これから年末に向けて、どんな作品が出てくるのでしょうか。また十二月には川出・杉江のベストテンイベントもありますので、そちらもぜひご期待ください。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧