そっかー。あんまり”コージー・オア・ノット”ということを意識していなかったのでなかなか新鮮ですね。と、突然何を言い出したのかわからない方のために説明しておきますと、前回の課題作『ルイザと女相続人の謎(名探偵オルコット1)』(創元推理文庫)を読んだ筆者が、この作品にスイーツだのペットだのという分かりやすーいコージー要素が出てこなかった、かつ歴史ミステリの分野に入るんでは? と思ったため

「で、これ(『ルイザと女相続人の謎』)ってコージーなんですか?」

と問うたのに対し、コージー番長が解説を加えた。

……というのが前回の流れでした。まあ筆者もコージー・ミステリについてほとんど知識がない状態でジャンルの定義に踏み込んだりというペーパードライバーの車庫入れのような(つまりは無謀な)ことをするつもりはありませんのでどうかご安心を。

 それでは今日も元気にアンナ・マクリーン『ルイザの不穏な休暇(名探偵オルコット2)』(創元推理文庫)いってみましょー。

【あらすじ】

 ルイザが『若草物語』で作家として成功をおさめ、今は1887年。55歳となっていた彼女は女優ファニー・ケンブルから手紙が送られてきたことで、自分が無名作家だったときに起こった一夏の事件、彼女がじゃがいも貯蔵庫と死体を結びつけて考えるきっかけとなった事件のことを思い出していた——。当時は1855年。ルイザはまだ22歳。彼女たちオルコット一家は前回の事件で張り詰めた心をほぐすため、母方の伯父にあたるベンジャミン氏の招きでニューハンプシャー州ウォルポールという田舎町を訪れることになった。ルイザは新たな小説を書きだしたところで、静かで落ち着いた夏をウォルポールで過ごせることを喜んでいた。だがウォルポールの町は鉄道建設の最中で、移民労働者たちが諍いを始めた上に、これから高騰するであろう土地を巡って守銭奴タッパー氏を中心にきな臭い動きが起こっていた。おまけにタッパー氏の息子嫁アイダが叔父ベンジャミンを頻繁に訪ねてきて、ルイザの生活をかき乱すことに。どうやらアイダはベンジャミンに粉をかけているらしいのだ。そんなときオランダ系移民労働者の一人が不慮の死を遂げ、ルイザは死んだ労働者の妹リリーから「兄は殺されたのだ」と聞かされる。どうやら彼の死には隣人タッパー氏が一枚噛んでいるらしく……。

 いや、面白い。面白いよ? 前作同様、伏線の張り方が上手くて謎解きミステリとして優秀だし、『若草物語』を読んでいれば(恐らく読んでいなくとも)当時のオルコット家の様子を興味深く読めるはずだし、そしてこのへんの面白さは後々説明するけれど……でもなあ、なんか……退屈じゃないか?

 面白いのに退屈ってどういうことだと思われても仕方がないのだが、このシリーズの作者、この二作を読んだところだと、結構起伏なくダラダラっとした印象を与える文章を書くところがある。もちろん歴史ミステリのシリーズとしては当時のオルコット家の様子を丁寧に描く必要があるし、元となった歴史がある以上、誤解を与えるような表現を割けるためにしつこい位に描写を詰め込む必要があることも確かで、それが美点となる場合もある。事実、一作目の『ルイザと女相続人の謎』では「あー話に展開ないしそろそろ退屈だなー」とこっちが思った頃に、当時の細やかな描写を挿入して「へー、そうなんだー!」と”へぇボタン”を連打させてくれる……で、また(話の展開が遅くても)読み進められるという良い循環ができていたのだ。だって「洗濯のときにはいちいちボタンは取り外さなければならない。ボタンは当時とても高価なものだったのだ」みたいなトリビアが入ると、な、なんだってー! と叫んでついついページをめくっちゃうもんなんですよ。今回はそれがあんまりないんだよなあ。正確にはトリビアからくる良い循環が後半まで持続しなかったのだな。

 もう一つ驚きだったというか個人的にマイナスに働いたのは19世紀前半のボストンという魅力的な舞台をあっさりと捨ててしまったこと。まあ田舎町がお好きな方もいるだろうけど、極端に言ってしまえば本作の舞台1885年のウォルポールという田舎町にミス・マープルが出てきたとしても多分一切違和感を感じないですよ*1。なんで田舎町ってどれも同じに見えるのかなあ。でもこれは読み手側の問題かもしれませんね。

 とまあ散々こき下ろしておいて何だけれど、じゃあ本作の魅力は? ということについて語っておかなければフェアじゃない。まず謎解きミステリとして優秀なことは前述のとおり。特に本格ミステリ好きを自認する方々にはジル・チャーチルと並んでお薦めする。謎解きのインパクトは前作よりも強かった。じゃがいも貯蔵庫で死人が出るということ以外、まず何が謎なのかわからない状態で始まるので戸惑いを覚えるのだが、それすらもきちんと謎解きのカタルシスに繋がるという出来。ただし個人的にはせっかく話の始まりとして、鉄道建設のアイルランド系移民労働者とオランダ系移民労働者の対立や、ホイッグ党支持者と民主党支持者の対立など非常に歴史を感じさせるポイントを持ってきたにも関わらず、謎解き的な意味でお話にからんでこなかったのは肩すかしを食らった。

 もう一つ、ここは絶対に言っておかなければならない魅力はオルコット家というちょっとおかしな一家のこと。前作でも父ブロンソンがユートピア(共同体)に参加して一家揃って餓死しそうになっただとか、もう完全に変人として扱われていることがわかるのだが*2、本作では母アッバに焦点が当たる。ルイザが本作の中で書いていた新作の短篇小説は女性の本質について書かれたものであり、その主人公となる女性は「多くの悲運に見舞われて、強い、独立心に富む正確」であり、理想を「男性のなぐさみものではなく、同志にな」る女性なのだが、一見ここに提示された女性像はルイザ(若草物語でいうジョー)自身の理想像に思える。だが本書では(保守的な)母性の象徴として描かれるルイザの従姉妹イライザや、妖婦たるアイダ、見合いを嫌がって孔子に逃避する親友シルヴィア、自立の象徴かつ女性的でもある(一見ルイザの理想の女性に見えなくもない)女優ファニー・ケンブルなど様々な女性と対比させることで、実はルイザの理想の女性像が母アッバ——優しく、辛抱強く、勇気があって、賢い——から来ていることが本作を通してわかるという仕掛けになっているのだ。そうした人間模様を観察することで、ルイザが作家として成長していく部分も読みどころだろう。この先、ルイザを含め、オルコット家がどうなっていくのか、史実どおりに展開するのか、史実のどのあたりをピックアップしていくのか、まだまだ楽しみなシリーズであることは間違いない。

コージーについて今回まででわかったこと

  1. うむむ、特に無いんだけど女性性を考えさせるあたりはコージーらしさかな。

そして次回でわかること。

それはまだ……混沌の中。

それがコージー・ミステリー! ……なのか?

小財満判定:今回の課題作はあり? なし?*3

でも本作に退屈さを感じたことも間違いないのでなしで。

コージー番長・杉江松恋より一言。

 あれま。意外なことに判定は「なし」か。鉄道建設に関するもろもろの歴史的記述が謎解きの伏線として機能していないとか、その辺の解釈には少々異論があるなあ……が、まあいいでしょう。一勝一敗ということで次もこのシリーズを読んでもらおう。残念なことに第四作は本国でも出版された形跡がないので、「あり」でも「なし」でも次がアンナ・マクリーン篇の最後ということになるんだけど。ちなみに第三作『ルイザと水晶占い師』も、物語の舞台はボストンではないです。そのへんが評価にどう関係してくるのか。楽しみに読ませてもらいます。来週の更新は祝日でお休みだから、次々週にこのシリーズについての結論を聞かせてもらいましょうか。そして次の課題はもう予告しておこう。「好奇心は○○をも殺す」という、アレですよ、アレ。やはりコージーと来たからにはアレを読んでもらわないとね。

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小財満

ミステリ研究家

1984年生まれ。ジェイムズ・エルロイの洗礼を受けて海外ミステリーに目覚めるも、現在はただのひきこもり系酔っ払いなミステリ読み。酒癖と本の雪崩には気をつけたい。

過去の「俺、このコージー連載が終わったら彼女に告白するんだ……」はこちら。

*1:というとクリスティ・ファンから怒られると思うのだが。例えば『鏡は横にひび割れて』はご存知の通りセント・メアリ・ミードに新興住宅地が出来るというお話で、クリスティが田舎町を画一的に書いた、という意味では全くない。田舎町というイメージの没個性な面を示したかったのみ。そもそもミス・マープルはイギリス在住なので……

*2:このあたりは興味を持って『ルイーザ・メイ・オールコットの日記—もうひとつの若草物語』(西村書店)マイヤースン,ジョーエル他などのルイザの評伝を読むととても面白かった。名探偵オルコットで描かれるとおりでは実はなく、そうした変人で家族を苦しめる父ブロンソンと家計を支えるルイザの間では確執があった等々。

*3:この判定でシリーズを続けて読むか否かが決まるらしいですよ。その詳しい法則は小財満も知りません。