折々のむだ話(その1)——スプーフ感覚でいこう
評論家・翻訳家の山形浩生さんが、「朝日新聞書評しなかった本」の一つに、私が訳したドン・ウィンズロウの『サトリ』を挙げていらっしゃる。トレヴェニアンの『シブミ』なんてどうせ変な日本誤解小説だろうと思うと笑っちゃって、前日譚の『サトリ』もまともに読む気になれないとの由。
http://cruel.org/asahireview2/asahi2botsu01.html
山形さんの文章には「なるほど!」と思うことが多いのだが、これはちょっとどうなんでしょう。ウィンズロウを「救いのない暗い話」の書き手と前提しているところも変だしね。『犬の力』はそうかもしれないけど、ウィンズロウといえば軽妙さが売りで「決まり金玉!」じゃないのかなあ(名句「決まり金玉!」のことを知りたい方は、ニール・ケアリー・シリーズの第二作『仏陀の鏡への道』を読もう! 茶木則雄さんの解説でも取り上げられているぞ)。
さて「シッブーミー」なんて笑っちゃうという点だが、そもそもトレヴェニアンは『シブミ』を冒険スリラー小説の spoof として書いたのだ。「スプーフ」というのは実質的にパロディと同じで、特定のモデル(007とか)をもじるのがパロディ、特定のモデルがないのがスプーフだ。
たとえば主人公のニコライ・ヘルは「裸‐殺(らさつ)」という必殺技の持ち主だが、なんと『シブミ』では、「真似をされるといけないので、どんな技かは詳しくは書かない」と作者の注が入る。日本の「シブミ」の精神を会得した西洋人のヒーローという設定にはもともとスプーフ感覚が入っていて、読者がニヤニヤしながら楽しむことが想定されているのだから、「笑っていいとも!」なんですね。
でも、それじゃあ、全篇ただのおふざけかというと、とんでもない。日本への深い理解や、アメリカの物質主義への批判や、真っ向勝負の冒険活劇が用意されていて、読者をうならせる。遊び心のある変格派でありつつ、読みごたえのある本格派でもある点が、とてもユニークなのだ。
『サトリ』にもその二面性が引き継がれている。トレヴェニアンにならってtongue in cheek(からかい半分)の面も入れた、と作者自身も言っていますしね。『サトリ』は『シブミ』を承継しつつ、また違った独自の世界を展開している作品。読みくらべて両作家の本質的な違いを考えてみるのも楽しいですよ。
そういうことは訳者あとがきに書いておけよとおっしゃるかもしれないが、何しろ私も「シブミ」の精神を会得してしまったので、何もかも書くのは控えたくなったのだ。今後、若い女性たちが私を「渋いおじさま」と呼んで慕うようになっても、それは仕方のないことかなと、「サトリ」の境地に達している今日このごろです。
◇黒原敏行(くろはら としゆき)1957年和歌山県生まれ。東京大学法学部卒。翻訳家。主な訳書に、バート『ソフィー』、マイクルズ『儚い光』、フランゼン『コレクションズ』、マッカーシー『すべての美しい馬』『越境』『平原の町』『血と暴力の国』『ザ・ロード』『ブラッド・メリディアン』、コンラッド『闇の奥』、シェイボン『ユダヤ警官同盟』、ウィンズロウ『サトリ』、ほか多数。 |
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