今回ご紹介するのは、二〇〇九年に『静かなる天使の叫び』で日本に初めて紹介されたR・J・エロリーの Saints of New York です。タイトルからおわかりのように、舞台はニューヨーク。著者のエロリーはバーミンガム生まれのイギリス人ですが、二〇〇三年に上梓されたデビュー作 Candlemoth から Saints of New York まで計八作、すべてアメリカを舞台にしています。著者のサイト(http://www.rjellory.com/)によると、デビューに至るまでに二十数作書き、イギリスのさまざまな出版社に持ち込みをしていたらしいですが、断りの返事によく書かれていたのが「イギリス人によるアメリカが舞台の作品を出す気はない」という言葉とのこと。で、エロリーさん、「だったら、アメリカの出版社に持ち込めば?」というアドヴァイスを受けて、アメリカの出版社に送るのですが、これまた「イギリス人によるアメリカが舞台の作品を出す気はない」と同じ文句で却下されてしまいます。それでもなおアメリカを舞台にした作品を書いてデビューを果たし、以来ずっとアメリカを舞台に書きつづけるって、すごい粘り腰ですね。

 それはさておき、Saints of New York のお話。

 ある日、ダニー・ラングという二十代半ばの男が頭部に銃弾を受けて死亡します。事件の捜査にあたるのはニューヨーク市警の刑事フランク・パリッシュ。ダニーは押し込み強盗でいくどか逮捕された前歴があり、そのことを知っているパリッシュは、殺害された原因はおよそドラッグか金がらみだろうとあたりをつけます。ところが、この直後にダニーの自宅で、彼の妹レベッカが絞殺死体が発見されたことで、パリッシュは事件の背後には予想以上に複雑なものがあるのではないかと思いはじめます。

 ダニーとレベッカは子供のころに両親をなくし、それぞれ別の里親に引きとられますが、ダニーはグレて悪の道へ、かたやレベッカはまじめに学校に通い、いわゆる普通のいい子の道を歩みます。悪とは無縁と思われたレベッカまでもが、なぜ殺されたのか。レベッカには抵抗した痕跡がなく、長かった髪はばっさりと切られ、爪にはふだんはつけないマニキュアがほどこされていました。その状況からパリッシュは、ラング兄妹殺害事件の鍵を握るのはレベッカだと踏み、レベッカが通っていた学校の校長や友人、里親のもとを訪れます。

 調べを進めるうちに、レベッカが評判どおりの普通の少女ではなく、ダニーとつるんでポルノフィルムに関わっていたこと、さらにはレベッカと共通の友人がいる少女が数年前に殺害されていたことが判明します。その少女は死体で発見されたとき、レベッカと同じく、いつもとは異なる装いをしていました。ふたりの死にはなんらかのつながりがあるのではないかと考えたパリッシュは、確証のないまま単独で捜査を進めます。その結果、ここ数年のあいだに、レベッカと同年代である十代後半の少女数名が殺害されたり行方不明になっていることを知ります。

 チンピラどうしの諍いが原因と思われた事件が、意外に根が深く、十代の少女をターゲットにしたポルノがらみの事件だった、と簡単に言ってしまえば、ごくありふれた題材の話なのですが、さすがエロリー、濃密な物語にしあげています。濃密さの一因は、人間および人間関係の描き方にあります。パリッシュは真相を突きとめるために越権行為も犯しますが、その責任がパートナーに及ばないように、確かな証拠がないからと詳しいことを話さず、たびたびひとりで行動します。とはいえ、別段パートナー思いというわけではなく、やや内省の強いおひとりさまタイプと言いましょうか、自分が思ったことを自分のやり方で静かに進める人物です。その背景には、妻と離婚し、すでに大きくなった子供ふたりとは自由に会えるものの、ひとりで暮らし、アルコールに依存しているという私的な面があります。まあ、他者との輪のなかに自らの存在を認めるよりも、“個”の意識が強いがゆえに離婚に至り、人ではなくアルコールに頼るようになったのかもしれませんが。それでも、パリッシュからはどこかで人とのつながりを求めている雰囲気が醸されており、実はとても情の深い人物のような気もします。その“個”の意識と他者への思いのあいだで微妙に揺れているようなパリッシュの人となりは、本作の大きな魅力になっています。

 タイトルの Saints of New York は、一九八〇年代にマフィアの撲滅に貢献した、刑事をはじめ法に携わる十二名の人たちを指しています。そのうちのひとりがパリッシュの亡き父親で、伝説の刑事として尊敬の念を集めています。しかし、Saints(聖人)と称される十二名には、抗争を繰りひろげるマフィアたちから賄賂を受けとり、彼らが利を得る片棒をかついだり、殺人を犯したりするという裏の顔がありました。パリッシュは十代のときに父親の行状に気づき、以来そのことを心の重荷として抱えています。

 パリッシュは離婚やアルコール依存の問題があるとして、上司からカウンセリングを受けるよう命じられていますが、カウンセラーとのやり取りが、ラング兄妹殺人事件の捜査と交互に描かれています。カウンセリングの内容は主に父親のことで、そのなかで Saints of New York の実態が明らかにされます。また、一九七〇年代〜八〇年代のマフィアの勢力争いや構図も語られており、カウンセリングの部分だけ抜き出して読んでも、なかなか興味深いものがあります。

 著者のサイトおよび『静かなる天使の叫び』にある三橋曉氏の解説によると、エロリーは父親の顔を知らず(生まれたときにはすでに家を出て行っていた)、七歳で母親を亡くし、その後数年の寄宿生活を経て、母方の祖母のところに身を寄せますが、十六歳のときに祖母も他界してしまいます。そういった自身の人生が、『静かなる天使の叫び』と同様に、 Saints of New York にも反映されていると思われます。ラング兄妹だけでなく、誘拐された少女たちのなかにも両親が離婚したり死亡したりしたために、片親あるいは里親のもとで育った者が何名かいます。彼女たちの親子関係、パリッシュと父親の関係に注目して本作を読むのも一興でしょう。

 エロリーは二〇〇三年にデビューして以降、年に一作のペースで作品を上梓していますが、今年も秋に”Bad Signs”という作品が出るようです。またもやアメリカが舞台で、さらにまたもや親を亡くした人物が登場するもよう。楽しみに待ちたいと思います。

 思い切り余談ですが、某大型書店で洋書の棚を眺めていたときのこと。 Saints of New York は、The Black Dahlia やら American Tabloid やら L.A.Confidential やらにはさまれておりました。ElloryEllroy。初めて気づきました。

高橋知子(たかはしともこ)英米文学翻訳者。訳書に、リー・ゴールドバーグ『名探偵モンク モンク、消防署に行く』『名探偵モンク モンクと警官ストライキ』、マイケル・ディルダ『本から引き出された本』など。エロリーも好きだけれど、エルロイも好き。

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