会社づとめのころ、ある同僚がいつもスーツに綿ソックスで会社にきていたのです。
それも白ソックス、で。
Twitterで作家の福田和代様と、『冷血の彼方』に登場するキャラの話をしていたところ、当サイトの事務局の方から、こちらのコラムへのご招待を受けました。この方はなにか重大な誤解をなさっていると感じましたが、絶好の機会ですので全力で語らせていただきます。
スーツに白ソックスの男について。
元同僚は、『冷血の彼方』の白ソックスのロシア男、レヴィンティンにちなんで、レヴィ君としておきましょう。
レヴィ君は同期で、芸大出のくせして数字に強かったので、営業に配属されて企画部のダメ新人を担当してました。つまりわたしの担当の営業さんでした。
レヴィ君はずいぶん苦労したと思います……。
ダメ人間の企画担当者が〆切直前に没をくらったり、没の上にさらに没をくらったりして、軟体動物のようにフニャフニャになるのをみて、「しょうがねえな」といいながら工程管理表を書き直してくれました。いいヤツでした。金持ちで車持ちで日曜日はバイクでツーリングにいくアウトドア派で、酒が飲めないから飲み会ではタクシーがわりに!
わたしのじめじめした男の趣味とはかけ離れた爽やかなルックスの男性でしたが、幸いむこうも、かわいくてやさしい和風の美人が好みでしたので、陸と腐海で(※1)平和に共存してました。
しかし、腐海にいても殿方のソックスは気になります。いい足首があると、湿地帯のワニのように水面に目だけだしてじっとりと観察していたんですよ……。
「レヴィ君、白ソックスはやめなよ」
打ちあわせのとき、対面で脚を組んだ彼の靴下が思い切り露出しまして、わたしもみてみぬフリができなくなりました。目の前に白ソックスのシワがくるんです。だるだるの足首が……。
スーツを着た男性の造形上のポイントは足首です。(メガネもポイント高いけどね!)
黒曜石のように磨きあげられたプレイントゥの革靴、ぴしっと折り目のついたズボンの下からちらっとのぞく引き締まった足首。ビジネスマンにおいては胸元の逆三角に継ぐ重要領域です。そこになぜ忌まわしい爬虫類が生息しているのでしょうか?
そういうことをいいましたら(実際にいった)、レヴィ君は「ナイロンソックスが嫌いなんで」と言い訳しました。肌触りがあわないとかなんとか。
彼が当時、総務の女性に片思い中なのは、社内ではバレバレでした。本人だれにも気づかれてないと思ってましたが。わたしがみたところ、彼女のほうも好感は持っているようで、レヴィ君が強気で押せばなんとかなりそうにみえました。
しかし彼は真面目すぎて、彼女も真面目すぎて、更にどっちも自宅住まいでした。レヴィ君がデートにこぎつけて、なにごともなく彼女を家に送り届けたと聞いたときは、力が抜けました。翻訳ミステリなら、こういう展開はありえないでしょう。子どものひとりぐらいできてますよ!
わたしが会社をやめたときも、彼はまだ白ソックスをはいてました。風の噂に、レヴィ君は別の女性とお見合いで結婚したと聞きました。
白ソックスにこだわる男は、ソックスを脱ぐべきときに脱がなかったんです。そういうとなんだかカッコよく聞こえますが、本当に残念な男でした。
『冷血の彼方』のレヴィティンも、いろいろ残念な部分が多いです。
スーツに白ソックスで、ロシア人です。ロシア人への偏見にみちみちてますが、ブランド感がありませんからね……。ロシアの紳士物高級ブランドって聞いたことあります?
しかし、主人公でスロバキアの女刑事のヤナは、彼が白ソックスをはいている理由をズバッと見抜くのでした。
このくだりを読んだとき、それまで重い話だなと思いながら読んでいた小説が、急に鮮明になりました。モノクロからカラーへ。
そうだった、男の白ソックスにはこういう理由があったのでした。以前、人生で何人めかに遭遇した白ソックス男性から聞いたことを思いだしました。
東欧あたりに出張しないと、こんな話は聞けません。ロシア男の白ソックスの理由を、スロバキアの女刑事が見抜く。たかが白ソックス。ソックスから重苦しい現代史が透けてみえます。これぞ翻訳物を読む醍醐味です。
じつをいうと、『冷血の彼方』は、ロシア男が女刑事のベッドで靴を脱ぐ場面までは、あんまり面白くありません。真冬のさなかに、スロヴァキアで発生した人身売買組織がらみの死亡事故を発端に、女刑事が家族のしがらみを引きずりながら事件の黒幕を追う話なので、はじめのほうはひたすら暗いです。
売春、殺人、弾圧、家族の破滅。
16章で舞台がニースに移ると、突然、陽光がきらめき、輝くようなイケメンがあらわれます。
ここでやっと気がつきました。これは暗い話ではなかった、と。
おそらく作者のジェネリンは、背景から描いてゆく作家さんなのです。16章まではペタペタと背景を塗ってます。黒一色で。
主人公の姿もはっきりしません。しかし、この謎のイケメンの眼差しから投射された印象で、ヤナがかつてはすこぶる美しく、今も魅力的な女だと読み手にわかる仕掛けです。
16章まできて、ようやく作者は主人公の顔を描きこみはじめたのです。女刑事と相棒のロシア男。不釣り合いだけど、それぞれに優秀なふたりの刑事の立ち姿が、くすんだ街を背景にくっきり浮かびあがってきます。
その背後の闇には、家族の顔が散りばめられてます。悪党の顔も。
作者は、後書きによれば、司法コンサルタントとしてユーロに滞在中だそうです。国際会議の気だるい感じも、リアリティがあります。熟女を書くのがやたらうまいくせに、美男は同じタイプしか書かないところをみると、なんだか怪しいと腐海アンテナが反応しまくりですが、わたしの場合、これは誉め言葉です。
脚本家もする人らしく小説の舞台は、深夜のスロバキアの路上から、ストラスブール、ニース、豪華ホテルへ移り変わり、場面ごとに過去がカットバックします。
主人公はかつては美女で、今は渋くてかっこいい女刑事。
相棒物らしく、色恋抜きなのがまたいいのです。掘り出し物です。シリーズはすでに四冊でていて、未訳本がまだ三冊あるというのが悩ましいです。ぜひ邦訳されますように。
ロシア男は、次の本にも登場するのでしょうか? そこのところが一番気にかかります。
この本を読んだ今、昔の同僚のことが多少理解できるようになりました。
今なら、元同僚のレヴィ君は相当にいい男だったのだとわかります。ナイロンソックスが肌に合わなかったのは本当だったのでしょう。(でもせめて紺ソックスにしてほしかった……)
そういう足下含めた真実がわかる年齢になる前に、女は白ソックスをはく男の事情を知っておくべきじゃないか、と思うのです。たかが白ソックスで取りこぼすには惜しい男性が、世間にはイッパイいるのですから。
以上男の白ソックスに関する私感と長すぎるレビューでした。
(※1)腐海。食物連鎖の最底辺。BLという日の当たる大陸が成立する以前の、古き神々を信奉する闇の住人たちの住処。純文学からインスマスまでいろんな場所とつながってます。たぶん。
図子 慧(ずし けい) |
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愛媛県生まれ。広島大卒。1986年、『クルトフォルケンの神話』で、集英社コバルト・ノベル大賞に入賞。 著書に、『駅神』『閉じたる男の抱く花は』『君がぼくに告げなかった こと』など。 ●公式サイト「次のページなどない!」→ http://zushikei.blogspot.com/ ●Twitter→ http://twitter.com/zusshy ●電子出版サイトpubooにて、オリジナル含めた電子書籍を公開中http://p.booklog.jp/users/zusshy |
作者: 図子 慧
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