書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がその月に読んだ中から三冊ずつをお薦めする動画配信「翻訳メ~ン」はご覧いただけているでしょうか。現在、二人の選んだ2019年度の翻訳ミステリー・ベスト10が公開中です。本サイトと併せてお楽しみくださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

酒井貞道

『パリのアパルトマン』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

 過去に色々あったらしい男女が、アパルトマンの予約をダブルブッキングされてしまう。パリで一人静かに過ごしたかった二人は当初反目し合うが、お互いの事情を知るにつれて……というロマンス小説のような展開をたどる。一方で、そのアパルトマンをアトリエとして利用していた天才画家の「謎」もまたクローズアップされる。意外な展開が次から次へと繰り出されるのが本書の特徴であり、その性質上、未読者相手に内容を詳しく紹介するのはご法度だ。よって紹介者たるこちらは隔靴掻痒の思いに駆られるのだが、終わってみれば紛れもなく「ミステリ」になっていることは固く保証したい。いやあ冒頭からは、こんな話になるなんて思いもよりませんでした。しかし一方で、序盤の各要素はある意味では最後まで完全に維持もされるわけです。どういうことかって? 読んでください。それしか言えることはないのです。

 

川出正樹

『パリのアパルトマン』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

 昨年、入念に作り込まれた謎迷宮のごときサスペンス小説『ブルックリンの少女』で、文字通り最終ページまで読み手の鼻縻を取って引き回し、予想外の真相とえも言われぬ余韻でミステリ・ファンを唸らせたギヨーム・ミュッソがまたまたやってくれました

。舞台はクリスマス間近のパリ。厭世的で人間嫌いの劇作家の男と心身ともに傷ついた元刑事の女が、心ならずも同じアパルトマンで暮らすことになってしまう。そこは天才画家が遺したアトリエ。始めは反発し合う二人だかやがて……、という幕開けは、まるでロマンティック・コメディのようだけれども、そこは、あのギヨーム・ミュッソだ。一筋縄でいくわけがない。、初手から読者の意表を突いてくる。凄いぞ、今回も。

 急逝したコンテンポラリー・アート界の寵児が遺した未発見の遺作三点を巡る、美と愛と創造と破壊の物語であると同時に、父性と母性の物語でもある本書は、登場人物の屈託と罪悪感、そして自己救済を望む心が事態を動かし、邪悪な存在を暴き出し、思いもよらない結末へと到る。

 重めのテーマを核としながら、あくまでも愛とユーモアとエスプリに富んだ、ハラハラドキドキさせてくれる読後感の良いエンターテインメントに仕上げている点がギョーム・ミュッソ作品の特徴だ。本国フランスでは、『その女アレックス』の作者ピエール・ルメートルをも凌ぐ人気を博す作者が紡ぎ上げた愛と奇跡に彩られた、クリスマス・シーズンにぴったりのノンストップ・サスペンスを堪能あれ。

 

千街晶之

『パリのアパルトマン』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

『パリのアパルトマン』(原題そのまま)とは、内容の見当がつかないにも程がある即物的なタイトルだが、中身は情感豊かなミステリだ。業者の手違いが原因で、自分こそ住む予定だった家にもうひとり住むつもりの人間がいると知った男女。最初は互いに反目しつつ、天才画家の遺作をめぐる謎を協力して探ることに……という冒頭から想像される通りの予定調和的な展開で中盤までは進む。しかし、そこから終盤にかけての展開は「そっちに行くの?」と呆気にとられること必至で、フランス・ミステリらしい技巧と情感が融合した作品に仕上がっている。ところで、今年は日本の「キンバク(緊縛)」が紹介されるフランス・ミステリを二作も読んだのだが(ジャン=クリストフ・グランジェの『死者の国』と本書)、流行っているのだろうか。

 

吉野仁

『パリのアパルトマン』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

 元刑事の女と劇作家の男はもともと見知らぬ他人同士だった。しかし、はからずもパリで同じアパルトマンに暮らす羽目となる。そこは急逝した天才画家の家で、ふたりはその画家による未発見の遺作を探しはじめた。という冒頭の展開は、巻末解説で川出正樹さんが指摘しているとおり、往年のロマンチックコメディ映画そのもの。事件や謎の妙、それを探っていくスリラーの面白さもさることながら、次から次へと主人公たちに襲いかかるトラブルやおかしな状況そのものがユニークで先を読まずにおられなくなるのだ。さらに、最後の最後まで意表をついてくる。たっぷりと愉しませてもらいました。そのほか、ジェイムズ・A・マクラフリン『熊の皮』は、アパラチア山脈の麓で自然保護管理の仕事をする男が主人公ゆえ、土地の自然を描く筆致が濃厚で迫力があった。

 

北上次郎

『翡翠城市』フォンダ・リー/大谷真弓訳

新☆ハヤカワ・SF・シリーズ

 SF叢書の一冊なので、本来なら対象外だろうが、ミステリーのファンも十分に楽しめると思うので、取り上げておきたい。特に、アクション小説をお好きな方ならおすすめだ。SF的な細かな設定については省略する。翡翠を身につければ超人的な能力を持つことができる一族がいると思っていただければいい。そういう翡翠の戦士たちが闘う物語だ。

とにかくカッコいい。ラストの壮絶なアクションまで一気読み。船戸与一「山猫の夏」と、香港ギャング映画のカッコ良さがここにはぎっしりと詰まっている。これが売れてくれないと続編が翻訳されないだろうから、ただいま私、必死なのである。続編が読みたい!

 

霜月蒼

『流れは、いつか海へと』ウォルター・モズリイ/田村義進訳

ハヤカワ・ミステリ

 なんと心地よい読み心地か。読み終えたくなかった。正統の形式を守りながらも現在の空気を呼吸しているタイムレスな逸品を、アメリカン・ミステリの古豪が見事に書き上げたという気がする。

 身の覚えのない罪で投獄され、警察をクビになって私立探偵を開業した主人公が、自分の過去の事件と現在進行形の事件に取り組むというスタンダードなテーマを、モズリイは自分の声で鮮やかに演奏してみせる。過去の物語の挿入具合、主人公と家族や友人知人とのエピソードも唸るほど巧く、ただこの主人公がいろいろな人々と出会い、ニューヨークを歩き回る場面だけを永遠に読んでいたいと思わせるほどだ。おまけに近年のアメリカン・ミステリが文芸的なリアリズムと引き換えに失ったキャラ立ちが素晴らしく、とくに主人公に借りがあると言って共に行動する冷酷な元犯罪者メルカルトと、心の苦しみに耐えられなくなった主人公の泣き言を受け止めるエフィがいい。

 ハードボイルド・ミステリないし私立探偵小説がミステリの前線から退いて随分経つから、ハードボイルドとはどういう物語なのかわかりづらくなっている。「ハードボイルドってどういう小説なの?」と問われたら、本書を差し出せばいいのではないか。

 

杉江松恋

『パリのアパルトマン』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

 今月はこれでいいな、と思っていた本が11月刊行どころか、まだ世に出ていないことに気づいて慌てている杉江松恋です。みなさま、寒くなってきましたがお変わりありませんでしょうか。

 というわけで今月は『パリのアパルトマン』を推さざるをえなくなった。昨年の『ブルックリンの少女』も、ん、フランス・ミステリーなのになんでブルックリン、と戸惑っているうちにあれよあれよという間に明後日の方向に連れ去られてしまい、最初のページを開いたときにはまったく予想もしなかった場所で大団円を迎えるというお話であったが、今回は雨降るパリの街角で物語が始まり、やはり、ちょ、ちょっと待ってくださいよう、という感じで読者は引き回されていく。パリの貸し部屋で偶然に出会った二人がいやいやながら一つの目的のために協力することになるというのが骨子で、男女二人の視点で並行して話が進んでいくので、自然と複線構造になる。ここが巧くて、謎の天才画家ショーン・ローレンツについての記述も、一方が関係者に会って話を聞いているかと思えば、もう一方が資料にあたって同じことを別の角度から確認する、という具合で、読者に情報開示をするやり方が抜群にいい。この足場固めがあるから、思い切り遠くまで飛べるのだな、と納得した次第である。好き放題やっているように見えて一つのモチーフが全体を貫く構造になっているのもよく考えられている。先の見えないスリラーのお手本というべき作品だ。観光小説の色合いもあって華やかなので、年末年始の旅行時などにお薦めしたい。

フランス・ミステリー強し、の十一月でした。今年もあと残り僅かになってきましたが、元気に読んでいきたいと思います。みなさま、ちょっと早めですがどうぞよいお年を。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧