ここ数年、ミステリー界では北欧が元気ですが、じゃあ南半球はどうなんだろうと視線をぐんと南に飛ばすことがたまにあります。で、最近注目しているのが南アフリカのロジャー・スミス(『血のケープタウン』『はいつくばって慈悲を乞え』/いずれも早川書房)と、オーストラリアのピーター・テンプル(『壊れた海辺』/ランダムハウス講談社)。
今回ご紹介するのは後者、ピーター・テンプルの Truth です。
舞台はメルボルン。主人公のスティーヴン・ヴィラニは殺人課の課長を務め、部下をまとめて指揮をとる任務に追われるいっぽう、上司からは成果を求められる日々を送っています。私生活に目を移せば、三人の子どもがいるものの、妻とのあいだは冷え切っており、テレビのニュース番組のアンカーウーマンと関係を持っています。まあ、中間管理職のストレスにさらされ、家庭を憂いながらも、外で息抜きをしてしまう仕事人間といったところでしょうか。
一日の大半を仕事に費やすヴィラニですが、ある日、メルボルンの高層マンションのペントハウスで売春婦と思しき女が他殺体で発見されます。セキュリティがきわめて厳しい建物にもかかわらず不審者が忍び入った痕跡はなく、女の身元は判明しません。
その後まもなく、こんどはメルボルン郊外のオークリーで三人の男が殺害されるという事件が発生します。こちらもすぐには被害者の身元はわからないのですが、捜査を進めるうちに、殺された男のなかに、以前、特殊作戦部隊に帰属していた者がいることが明らかになります。
いっぽう、売春婦殺害事件のゆいいつの手がかりになったのは、街頭に設置された複数の防犯カメラに映っていた一台の車、プラドでした。怪しいと目をつけたヴィラニたちがプラドの所有者を探ったところ、これまた元特殊作戦部隊員のキッドという男が浮上します。
オークリーでの殺人事件とペントハウスでの殺人事件、そしてキッドとはひとつの線でつながっているのか。ヴィラニたちの捜査が進むにつれ、ドラッグの売人やら組織が次々と浮かびあがってきます。
ここまで来れば、ドラッグがらみの警察小説か、と推測する人が多いでしょう。そう、まったくそのとおりで、題材はいたって素直なものなのです。ただし、著者テンプルの特色なのでしょうか、ドラッグにまつわる事件に警察が奔走する様子をサスペンスフルに描くというのではなく、ヴィラニの日常、警察の日常のある期間を切り取って描いた作品といった態をなしています。
ヴィラニが部下と話しているかと思えば、長女から電話が入って家庭の問題を告げられる。捜査現場にいたかと思えば、つぎの場面では、父親が暮らす実家にいるといったぐあいで、『壊れた海辺』の解説者、三橋曉氏いわく「ややもすると不親切ともとられかねない、読者を突き放すかのような語り口」で、「余計な説明的文章をほとんど差し挟まない」んですね。
正直なところ、最初は面食らいますが、日常とは刻々と時間が過ぎ、さまざまなことが重なり合って起こるものと思って読み進めれば、事細かにくどくどと書かかれていないストーリー展開が心地よく感じられ、いつしか引き込まれていきます。これも、テンプルの筆力なのでしょう。
上記に書いた家庭の問題ですが、いたってまともで優等生らしき長女とは違い、反抗的な次女(末っ子)がヴィラニの頭痛の種になっています。どうやらドラッグに手を染めているようなのです。このことが、二件の殺人事件ともつながってきます。さらには、ヴィラニの腹違いの弟であり医師でもあるマークが、麻薬界の大物の主治医を務めていたことがあります。わたしの日本人的(?)感覚からすると、捜査への影響は? ヴィラニの立場は? と案じてしまうのですが、苦悩するとか感傷にふけるといった場面はほとんど登場しません。枝葉は最小限にとどめる、読者に想像の余地をあたえる、というのもテンプルらしさですね。
本書は、2010年にマイルズ・フランクリン文学賞という、オーストラリアでもっとも優れた文学作品にあたえられる賞を受賞しています。『壊れた海辺』は2007年度の英国推理作家協会(CWA)賞のダンカン・ローリー・ダガー賞に輝いていますが、CWA賞や米国探偵作家クラブによるMWA賞ほど有名ではないにしろ、ジャンルを問わない文学賞を受賞したところに、テンプルの作風がかいま見えるのではないでしょうか。
先日出版された「このミステリーがすごい! 2012年版」に掲載の?我が社の隠し球?によると、来年は南アフリカの作家、デオン・マイヤーの『血のサファリ(仮題)』が武田ランダムハウスジャパンから上梓されるとか。おお、南半球! いや、おもしろければ北でも南でもいいんですけど。
高橋知子(たかはし ともこ) |
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翻訳者。訳書に『名探偵モンク モンク、消防署に行く』『名探偵モンク モンクと警官ストライキ』『本から引き出された本』など。 |