海外、とくにアメリカのミステリには元軍人という主人公がよく登場します。ぱっと思いつくだけでも、マイクル・コナリーが生み出したハリー・ボッシュ、ジェレマイア・ヒーリイのジョン・カディ、ジェイムズ・リー・バークのデイヴ・ロビショー、それに忘れちゃいけない、わがいとしのロバート・クレイスによるエルヴィス・コールの名前があげられます。もうちょっと新しいところでは、リー・チャイルドが生んだジャック・リーチャーなんていう、強くてタフでかっこいいヒーローもいますね。

 でも、軍出身の女性が主人公の話となるとどうでしょう? サラ・パレツキー描くところのV・I・ウォーショースキーは弁護士出身、スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンは元警官、ローラ・リップマンのテス・モナハンは新聞記者でした。うーん、なかなか思いつきません。テレビのニュースでは、アフガニスタンやイラクに派遣された女性兵士の姿がごくあたりまえに映っているというのに、意外とないものなんですね。

 前置きが長くなりました。今回ご紹介するのは、ロリ・アームストロングの NO MERCY (2010)。現役の軍人、それも銃の名手にしてスナイパーという女性が活躍するミステリです。

 陸軍所属のスナイパーとしてアフガニスタンやイラクで戦ってきたマーシー・ガンダーソンは、榴散弾攻撃によって網膜剥離となり、現在は休職中の身。手術によって失明は避けられたものの、スナイパーとして復帰することは不可能で、軍にとどまる場合は事務職への配置換えを覚悟しなくてはなりません。

 そんなおり、サウス・ダコタ州の小さな町で保安官をつとめていた父が病死したのにともない故郷に戻ったところ、彼女の帰郷を待っていたかのように、先住民族の少年アルバートの変死体が発見されます。マーシーの実家は大きな牧場を経営しており、死体が発見されたのはその牧場の敷地内。保安官事務所は事故死の可能性大と考えますが、少年の母親は納得がいかない様子です。息子の最近の交遊関係に不安を抱いていたからです。

 その母親から、アルバートがつき合っていた少年少女に話を聞いてもらえないかと頼まれるマーシーですが、いまひとつ気が乗りません。尊敬する父を亡くした悲しみが癒えないうえに、自分自身のこれからを真剣に考えねばならず、とても他人のことまで頭がまわらないからです。しかも、不動産業者からは牧場の売却をしつこく迫られ、妹のひとり息子リーヴァイはなにやら悩んでいる様子。

 そんなこんなでなにもせずにいたある日、リーヴァイが事件に巻きこまれたことで事情が一変します。リーヴァイはアルバートと親しく、しかも現場はまたもやマーシーの実家の牧場。ふたつの事件になにか関係があると考えるのが自然です。腰の重いように見える保安官事務所の姿勢に業を煮やし、みずから動きはじめるマーシーですが、たちまち命を狙われるはめに。それぞれの事件はどうつながっているのか、背景にあるのは牧場の売却をめぐる争いなのか、人種問題なのか、それとも原因はまったくべつのところにあるのか。

 スナイパーというと常に冷静沈着、動じるということがないタイプを思い浮かべますが、私生活でのマーシーはかなり熱いタイプ。言いたいことをずけずけ言うし、いらいらしているときには手が出ることも。長いあいだ故郷と疎遠だったことをうしろめたく思う気持ちの裏返しなのか、素直になれない性格ゆえなのか、それとも地元にいるという気のゆるみなのか、他人のちょっとした言葉や行動にいちいちカチンときたり、強く言い返したりしてしまい、あとで後悔すること数知れずなのです。

 そんな彼女も、作戦行動となると人が変わります。20年の軍隊生活はだてじゃありません。自室に隠した8挺(!)の銃から、どれを使おうかと検討する姿はクールのひとこと。たったひとり、誰にも頼らずに敵のもとへと乗りこむ姿は性差を超えたかっこよさを感じます。私生活との落差が大きい分だけ、よけいにそう思うのかもしれません。男性が主人公だったら、こういう効果は期待できませんよね。ついでながら、著者のアームストロングは、作家になる前は銃器メーカーに勤めていたとのこと。なので銃の使い方も効果的です。

 キャラだけで読ませる話なのかと思われても困るので、内容についても語っておかなくてはなりません。若い命が奪われた事件という縦糸に、マーシーの過去や家族の問題、さまざまな人間模様、戦場での体験、土地の売買をめぐるトラブルといった横糸が何本も織り込まれていますが、なかでも印象的なのがインディアン居留地と貧困の問題です。舞台となるサウス・ダコタ州は全米でもっとも経済的に貧しい州とされ、10パーセント近くいる先住民族の貧困が問題になっているとか。物語にも白人と先住民族の確執や差別意識がさりげなく盛り込まれ、それが事件の背景の一部となっています。

 それにもうひとつ、情景描写の秀逸さもあげておきましょう。なにもない大平原、どこまでもつづくまっすぐな道路、鉄条網を張りめぐらせた牧場の境界線など、一度も行ったことがないのにすべての情景が目に浮かぶような文章がじつに心地よいのです。ちょっと埃っぽい空気のにおいまでしてきます。アメリカのなんの変哲もない田舎町の話が好きなわたしにはまさにツボでした。

 本作はロリ・アームストロングの長篇5作めにして、マーシー・ガンダーソン・シリーズの第1作です。過去4作は、ジュリー・コリンズという私立探偵と幼なじみのイケメン探偵のコンビによるシリーズでしたが(これもなかなかいいんですよ!)、4作中3作がシェイマス賞にノミネートされ、4作めの SNOW BLIND で最優秀ペイパーバック賞を射止めています。そしてこの NO MERCY からはハードカバー作家に昇格、2010年のシェイマス賞最優秀長篇賞に輝きました。すでにマーシーのシリーズの2作め、MERCY KILL も刊行され、まさに、いまのりにのっている作家と言えましょう。

東野さやか(ひがしの さやか)ジョン・ハートやウィリアム・ランディの重厚なミステリのほか、ローラ・チャイルズのコージー・ミステリも手がける。最新訳書はハート『アイアン・ハウス』(ハヤカワ・ミステリおよびハヤカワ・ミステリ文庫)。洋楽好きでアイドル系からヘヴィメタルまで雑食的になんでも聴く。座右の銘は「生涯ミーハー」。

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